裏千家流 茶の道(20)透き木の扱い

裏流の点前での課題ですが、4月の炉仕舞いとして通常に行われる透き木釜の炭手前での透き木扱いの所作に関する提示です!
2年前にブログ掲載したものですが、少し修正をしました!
また速水流家元による7日の聖護院献茶の動画を拝見して、透き木風炉を使っておられたので思い出してのことです!

小生は師匠より、透き木は炉壇よりとって右に返し扱う、炉壇に戻す際も右に返すとの教示を受けています!
この所作についての疑問は、茶友より受けた「右手に持った物は左に返す」「左手に持った物は右に返す」との教示です!
この所作律について、かって裏流業躰より教示を受けた記憶もあり、体の所作としては流儀を越えた基本律との認識に至りました!
例えば、茶杓を伏せるときや、柄杓の扱いなどもこの所作です!
実は、火屋の蓋を開ける手が、右に返すので客視点から道具の裏を見せない感性が所作の本質と解して、透き木の返す手も右に理ありと信じてきましたが、今般「右手に持った物は左に返す」との逆律の教示を受けて悩んできた次第です!

確認をした教本での記述では
*淡々斎の茶書「風興集」S11年版では、透き木を打返すとの表記のみで、右返しか左返しかの記述はなし!
*淡々斎弟子の女流業躰、浜中宗俊書では、全て右に返し!
*鈴木宗保本のS46年版では、全て左に返し!(この業躰は鵬雲斎時代の裏流中心です!)
*最新の教本では、全て右に返し!

さて上記火屋の扱いについても「右手に持った物は左に返す」に反して逆手の感性との判断もしますが、蓋をしてあれば、陰の姿なのでこれを開けて陽の姿にするとするなら伏せた茶杓を右に返すのと同じ所作なので、律違反でもないように感じます!
次に透き木の扱いですが、
先ずは右の透き木をとって、左で扱い、右で左に返し、左の透き木をとり重ね、左でおきます!
(風炉では釜の右側におくので、再度 右で左に返しておきます!)
後には、左でとって右で右に返して、上の透き木を右炉壇におき、下の透き木も右に返して左炉壇です!
(風炉では右でとり左でもちそのままで、上の透き木を右縁におき、下の透き木は右に返して左縁です!)

この考察は、右炉壇の透き木は裏返すので、茶杓や柄杓と同じに左に返すほうに理がある!
後に重ねた透き木を裏返すのも同様で下の透き木を表返しする為(でも上が逆廻しになるのは些か気にはなります?)
最後の透き木は表返しなので、右に返すほうに理がある!
  
また小生の推論からすれば、風興集ほかでこの透き木の返す方向に記述がないのは、上記の考察がその手とすれば、その記述を
複雑とためらったものか?
対して、宗俊派は全て右に返すほうが所作が楽との感性? 
宗保派はこれに反して逆手の感性? 
最新の教本はまたこれに反して逆手の感性?

是非機会があれば、業躰にこの教本の所作についての解説を求めたいものですね!


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