裏千家流 茶の道(19) 茶の湯の作法

小生の師匠から疑問の課題であったとの教示を踏まえての資料を頂いております。
読込んで見ますと曹洞宗の僧侶の説と理解できますが、詳細は不明です。
理のある説ではありますがそのまま受け入れて良いのか?との疑問は残りますが、皆さんのご認識を求めての掲載です!

古い伝統を持ち完全に簡素化されて無駄はないとされるが、はたから見ると明らかに無駄と思われる作法がある。
それは茶釜から柄杓でお湯を汲んで茶碗に移すとき、必ず余分の湯を釜にもどす作法である。
茶碗の大きさでお湯の必要量は無分量で明らかに分かるのだから、その分だけを汲めば釜に戻す必要はなくなる道理である。
それを敢えて昔からのしきたりとする所に、この作法は「貴重な無駄なお手前」となる。
これを理解するには、その背景にある教えを学ばねばならない。
飲料としての茶の起源はインドにある。 そして当初は薬品として用いられた。
その名残が日本で、「茶を服す」という薬用語に残っている。
またインドや中国では、修業を妨げる眠気ざましに利用された。
我が国へは、臨済禅を伝えた栄西により茶も伝来された。
茶の湯は利休により大成されたが、その作法の底辺には曹洞宗開祖、道元の禅の思想が脈動している。
永平寺を開いた道元は、門前を流れる谷川の水を柄杓で汲んで使ったあと、杓の底に残った水を地に捨てずに、元の谷川に戻し下流の多くの人々の便に供したという。
この道元の行ったしきたりが、利休により杓底の湯を釜に返すお手前にしたと考えられる。
このように一滴水をも粗末にしない陰徳を積むことを重んじる禅の心が、寂びの素質を旨とする茶道に反映したと思われる。

以上の説ですが、興味ある追加の掲示説明です:
禅門の食作法に生飯(さば)をとるしきたりがある。 
生飯は一言で言えば、自分に与えられた食物の少量を生死の別なく一切の生物に等しく施すしきたりで、米飯なら自分の椀に盛られた中から数粒を、親指と薬指でつまんで偈文を唱えつつ自分の食膳に供えるしきたりである。


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