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ゲームで学んだ「お金の使い方」

「ねぇお母さん、カレーのシール貼ってもいい?」と7歳の息子が私に聞いてきた。カレーのシールとは、子供用のカレーにおまけでついているシールのことだ。
「えー、だめだよ」と私は答えた。
「なんで?」
「だってもったいないでしょ」
  息子は素直にシールを今までとっておいたシールと一緒にしまった。

 私はそういったシールはもったいなくて使えない。ここぞという時に使おうと、大切にしまっておく。
 以前、頂きものの柿(恐らく高級)がとてもおいしかったので、最善のタイミングで食べようと機を待ち続けて食べずにいたら、傷んでしまい結局捨てる羽目になり、「捨てるくらいならおいしいうちに食べてしまえばよかった」と後悔した。その後もおいしい果物を頂くことがあったが、なぜか「おいしいうちに全部食べてしまおう」とはならずに、毎回同じ過ちを繰り返しては涙を呑んでいる。
 取っておいたシールは腐りはしないが、最善のタイミングなどというものはやって来ることなく、綺麗なまま捨てられる羽目になる。

 お金の使い方に関しても同じだ。
 周りの人間が、喉が渇いたからと気軽にコンビニやスタバで飲み物を買っているのを横目で見ながら、「あー、スーパーや薬局だと安く買えるのにコンビニで買うのは勿体無いな」と喉の乾きを我慢しながら、コンビニの高い飲み物を飲んでいる人間を横目で羨ましく眺めている。
 外出中、ランチをしようと思って、こういう価格帯のこのくらいのものを食べたい、というイメージを頭に描きながらお店を探すのだが、「もう少し良いお店があるかも」とか、「ちょっと予算オーバーだな」とか、「デザートがついていないしな」とかいった理由で、うまく私のイメージにはまるものがなく、なかなか決まらない。理想のランチを探してぐるぐる歩いている間に時間はどんどん経ち、お腹も空いてきて、結局「もうここでいいや」と予算オーバーのベストではないお店で妥協することとなり、「だったら最初のお店にしておけば良かった」と後悔する。

 私は銀行の預金額の確認をあまりしない。たまに思い出して数ヶ月単位で記帳するのだが、記帳すると大体残高が増えている。
 別に老後が不安で貯金をしているとかいうわけではない。むしろ老後なんて何とでもなると思っているくらいだ。じゃあなんで使わないのかというと、ただ単に、もったいなくて使えないだけなのだ。物も一緒で、ベストのタイミングで使いたいという強い欲求に抗えず、使えないだけなのだ。
 まるで折り紙の中に入っている金と銀の折り紙が使えない子供と同じように。

 そのなんとなく増えている通帳を眺めながら、ふと幼少時代遊んだテレビゲームを思い出した。

 昔、ファミコンで『マネーゲーム』という株投資を模したソフトがあった。100ステージ目から始まり、1ステージ進むごと(減るごと)に株が変動し、株の売買で儲けたお金で新しい住居や車を買ったり、結婚や子供をもったりしてゲームを進めていく。
 当然ゲームなので、現実ではやらないような大きな取引をしたり、無謀なチャレンジをすることだって出来るのだが、なぜか私は慎重だった。資産が減るのが怖くてビクビクしながら株の取引きをしていた。途中で買うべき住居や車なども買わずひたすら収益をあげることに執着し、ステージの最後の方に全財産を一気に使い果たした。
 『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などのRPGゲームなんかでも同じで、慎重に慎重にゲームを進めた。死んではいけないからと、十分過ぎるほどにレベルを上げてから戦闘に挑んでいたし、これ以上進むと死ぬかもしれないからと遠くに行っていても、わざわざセーブポイントまで戻って体力を回復させていたので、クリアするまで結構時間がかかっていたと思う。お金やアイテムなどもなるべく使わないようにして、ゲームの最後に大量のお金やアイテムを持て余していた。

 ゲームの中なら殺されても、お金を使いまくっても、失敗しても、やり直しが効くしそれがゲームの醍醐味なはずなのに、それがなかなかできなかった。私の中の勿体無い精神が邪魔をして、思い切ったことができない。ゲームなのにゲーム(遊び)ができないのだ。

 ヤバい。
 これだと私の人生も最後になってバタバタと慌ててお金を使うことになるのではないか?
 いや、人生の終わりがいつか分かるならまだいい。ある日急に交通事故なんかにあったりして、「あぁ、こんなことならもっと人生楽しんでおけば良かった」なんて悔やみながら死ぬかもしれない。
 そんなのは嫌だ。
 勿体ないと思って抑制してきたことが、実は人生の使い方を無駄にしてきていただけなんじゃないのか?ということに、私はゲームを通して気づいた。私にとってゲームは、リアルな人生のシミュレーションだったのだ。
 テレビゲームなどと違ってリアル人生ゲームはやり直しがきかない。でもできる限り謳歌したい。あるかどうか分からない未来のためにケチケチしてる場合じゃない。今を楽しまないと、柿のように美味しいタイミングを逃して無駄になってしまう。

 
 私は本棚からなんとなく捨てずにとってあった木の板を取り出し、「カレーのシール、ここになら貼ってもいいよ」と、YouTubeを観ている息子に渡した。
 息子は嬉々として今まで保存していた沢山のシールを取り出して、木の板にシールを貼り始めた。とても楽しそうに。
 大事なのはシールやお金なんかじゃない。一度限りのリアル人生ゲームを楽しむことなのだ。

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