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レシピ小説「デスペラード」第9話【ドレッシングの再現レシピ】

第9話「ドレッシングの再現レシピ」

お盆休みの前にサトシが「POP」を閉めた。
カジさんの店についていた常連客の多くが、サトシが切り盛りするようになった「POP」から離れた。カジさんの巧みな話術や人柄で保(も)っていた店はその柱を失って閑古鳥が啼くようになった。元々水商売の経験のないサトシに「POP」を引き継ぐというのは荷が重過ぎたのかもしれない。コロナによる自粛営業令の施行も客の減少に追い打ちをかけた。
生計や将来への不安を抱えサトシは次第に心を病むようになって行った。夜眠れない、食事が喉を通らないと訴えるようになった。そうして最後には泣く泣く店を畳み、サトシは今帰仁(なきじん)の実家に帰って行った。落ち着いたら訪問介護の仕事でもすると言っていた。
店の最後の片付けを私は手伝った。壁の古いポスターを剥がして丸めながらサトシはまた泣いた。ごめんねと言いながらサトシは泣いた。嗚咽するサトシの背中をさする以外、私にしてあげられることはなかった。
 
九月の頭に不動産屋から「デスペラード」の店舗のリース契約更新のお知らせが届いた。
私はこの機会に一度、朝子さんの見舞いがてら東京に戻って店のリース更新について彼女の意思を確認してみようと考えた。私が店を借り受けてから丸四年が過ぎようとしていた。朝子さんが戻って来る日が見えないまま、いつまでも今のかたちで私が店を続けて行くわけにも行かない。
三日間、店を休むことにした。
東京に帰るのは二年ぶりだった。空港もモノレールも電車も人で溢れて私は緊張感と息苦しさで掌にうっすらと汗をかいている自分に気づいた。灰色のビルの間を黙々と行く人々の歩く速さは早送りした動画を見ているように感じられた。自分が生まれ育った街であるにも関わらず目に入る風景はどこか素っ気なく薄っぺらく映った。夏の終わりの関東の空気は重くじんわりと湿って肌に纏わりついた。
東新宿の安いビジネスホテルへチェックインした。
部屋はベッドの上でスーツケースを開き切ることが難しいほど狭く、まるで独房のようだった。
私はシャワーを浴びて汗を流してからぶらぶらと歩いて新宿三越裏の天麩羅屋に向かった。江戸前のからっと揚がった天麩羅をカウンター席で食べたかった。
天麩羅屋は昔懐かしい佇まいのまま元の場所にあったが、三越はなく巨大なビックカメラのビルに代わっていた。iPhoneで調べてみると三越はもう十年も前に閉店していた。自分が、那覇へ渡るよりずっと以前から新宿の街に足を踏み入れていなかったことに私は改めて気づいた。
6700円のお任せ天麩羅コースをつまみながら角ハイを三杯飲んだ。少しずつ気持ちがリラックスして来た。
食べ終わって店を出ると新宿通りを東へ進み、新宿三丁目まで歩いた。かつて伊勢丹裏と呼ばれていた末広亭のある一角をぐるりと回るように流して歩く。伊勢丹裏と私たちは呼んでいたが正確には伊勢丹の裏というよりは、今はもうない新宿スカラ座の裏である。スカラ座のあった辺りには現在、H&Mが建っている。
末広亭の前の道を靖国通りへ抜ける手前に日本酒の品揃えが粋な古い居酒屋がある。元の上司が気に入っていてたまに連れて行かれた。気難しい亭主と愛想のいい女将が切り盛りしていた。常連の上司と一緒でないと少し入り難い店だった。店は今でも同じ場所にあるが、店主夫妻は不在で常連客が営業を引き継いでいると聞く。
いろんなことが変わってしまったと私はしみじみ思う。私の知っている新宿はもうなくなってしまった。東京はいつの間にか私の知らない街になってしまった。
 
次の日、朝子さんを訪ねた。笹塚に暮らす朝子さんは近所の昔からあるイタリアン・レストランを待ち合わせ場所に指定してきた。
代理店の新入社員時代、アサオはこの街に住んでいた。当時流行っていたロフト付きのアパートを水道道路沿いに借りていた。その当時、よくこの同じイタリアン・レストランで一緒に酒を飲んだ。魚の形をしたボトルのペッシェヴィーノという安い白ワインを私たちはもっぱら飲んだ。魚介がたっぷりと入ったシーフードサラダを必ず大きなサイズで頼んでシェアした。ワインの空きボトルにいっぱいに入ってくる特製ドレッシングをかけながらそのサラダを食べた。ドレッシングの調合についてしばしば私たちは議論した。濃厚な旨味はどんな素材に由来するのか、あれこれと推理を働かせた。店の人に訊くと笑って企業秘密ですと言われるばかりだった。
今、ネットを検索するとその店のドレッシングの再現レシピがいくつもヒットする。
一度、そんなレシピのひとつに従って再現を試みたことがある。
玉葱・人参・林檎を各五十グラム、大蒜一片、擂り胡麻三十グラム、塩小匙二分の一、胡椒少々、オイル百二十cc、醤油六十ccをミキサーにかける。
私がそのドレッシングをかけたサラダを振る舞うとアサオはちょっと違うなあと言いながらばりばりと完食した。確かに、近い味わいなのだけれどどこか少し違って私にも感じられた。記憶の中のあのドレッシングの美味さにはセンチメンタルな補強が施されていて、私たちが再びあの同じ味に出会うことは不可能なのかもしれないと思った。
 
私が店に着くと朝子さんは既に窓際の席に座っていた。頬の血色もよく、元気そうに見えた。短めのボブカットはおそらくウィッグなのだろう。朝子さんの向かいに腰を下ろして正面から対すると確かに睫毛が一本もないことに気づいた。
朝子さんは終始元気だった。大きな声で喋り続け、ずっと笑っていた。本当に元気なのか、それとも無理をしてそうしているのか私には判然としなかった。
やって頂戴よと朝子さんは繰り返した。もうすぐ私が戻るからそれまでは「デスペラード」をやってよ。私が戻る時には近くに新しいあなたの店を探そうよ。内装は全部私がやるから。お望み通りの店を作って差し上げるから。
それから朝子さんは延々と私が開くことになるらしい新しい店についてのアイディアを話し続けた。
私はシーフードサラダを食べながら適当に相槌を打った。ドレッシングは昔と変わらず美味しかった。アサオに食べさせたいと私は思った。アサオはなんと言うだろうかと考えた。ちょっと違うなあと言うような気がした。或いは、これだよなあと言うだろうか。
結局その日、朝子さんは「デスペラード」のリース契約を更新する、もう少し私に店を預かって欲しいという主張を曲げなかった。
きっと元気になるからと別れ際に朝子さんは言った。
待ってるよと私は言った。
オッケーと朝子さんは手を振って私たちは別れた。

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