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レシピ小説「デスペラード」第6話【アヴォカド・サラダ】

第6話「アヴォカド・サラダ」

「デスペラード」の閉店時間を午前二時と私は決めている。南国の繁華街の夜は遅い。飲み屋に人が出始めるのは午後十時を回った頃からだ。それに合わせて知り合いの店の多くは朝五時まで営業している。けれどもう私の歳では夜通し働くのはきつい。その分、他店よりも早めの午後六時から店を開けることにしている。早い時間のお客は飛び込みの観光さんが多い。営業前に店を覗いて軽く飲んで何かをつまんで行く水商売のお客たちもいる。
その日、「中村」の若が店に現れたのはオープンして間もなくの時間だった。
カウンター席に腰を下ろしながら若はいっぱいに膨らんだコンビニ袋を私に差し出した。
これよかったら使って下さい、たくさん頂いちゃったんでおかーがマスターに少し持ってけって。ハンダマです。
わあ、ありがとうございます。
袋の中には濡れた新聞紙に包まれて瑞々しいハンダマがぎっしりと入っていた。
ハンダマは地方によって金時草とか水前寺菜、式部草などと呼ばれている野菜で葉の裏が鮮やかな紫色をしている。英語ではオキナワン・スピナッチと言うらしいがほうれん草よりはもっとえぐみや香りが強い。
マスターはハンダマどうやって食います?と若が早々とジョッキのビールを空けながら訊く。
私は生で食うのが好きなんですよ、あとお浸しかな。
うちもおかーがお浸しにします。あとちょこっと天麩羅にしたり。
若、今日ちょっと時間あります?よかったら今これ使ってアヴォカド・サラダを作りますよ。
えー、マジでなー。じゃ、ちょっとサトルにLINEして店の準備任せよう。
まずハンダマを洗い、ペーパータオルに包んで水気を取っておく。それからアヴォカドを大きめの賽の目に切る。切ったらすぐにレモンを搾ってアヴォカドを潰さないように優しく和える。そうすることによってアヴォカドの変色を抑えることが出来るし、レモンの酸味が隠し味にもなる。
ツナ缶のオイルを切ってボウルに空ける。たっぷりのディジョン・マスタードとマヨネーズ少々を加えて混ぜ、ペースト状にする。そこに先程のアヴォカドを入れる。上からハンダマの葉をちぎって加える。
全体をざっくりと混ぜる。混ぜ過ぎるとアヴォカドが潰れ、ハンダマがヘタってぐちゃぐちゃと見栄えの悪いものになってしまう。
こりゃまたじょーとーですなあと出来上がったアヴォカドサラダを口に運びながら若が言う。
粒マスタードが利いてるんすね、あとレモンかねー。
そうなんですよ、アヴォカド・サラダって普通マヨ味じゃないですか?これにもマヨネーズは入れてますけど、どっちかっていうとディジョン・マスタードを強めにしてレモンをたっぷり搾るところがポイントですね。
これは白ワインに合うさー。こりゃ美味いわ。うちの店でもパクろう。
ぜひぜひと私は笑う。よかったら少しおかあさんにも持ってって下さいよ、ハンダマの御礼に。
あり、あざっす、おかーに勉強させますわ。
私はアヴォカド・サラダをジップロックのコンテナに詰めて若に渡す。
若はもう一杯生ビールをお代わりして帰って行った。
 
華ちゃんとシンジの話題に私はあえて触れなかった。
越えてはいけない一線というものがあることを私は知っている。地元の人たちは一見オープンでフレンドリーなようでいて余所者に簡単には心を開かない。ないちゃーである私が彼らに心から受け入れられることはきっとない。街の人々が私に比較的優しく接してくれているのは、私があくまで朝子さんから一時的に店を預かっているだけの短期滞在者と知っているからだ。
内地の人間にとって沖縄は温暖でのんびりとした楽園というイメージだが、いざ有事の際には国は一番に沖縄を切り捨てるだろう。
沖縄の人たちの楽天性や鷹揚な気質は南国の民の特性だと捉えられているかもしれないけれど、そう一概には片付けられないものなのではないかと私は感じる。明日何かが起こってもおかしくない土地に生きることが運命づけられていたら目の前のことを精一杯楽しむほかない。明日を憂いて人生を費やすよりも今日を笑って過ごそうと思うようになるのはきっと自然な道理だろう。
この土地の人々が内地の人間に心底気を許すことはないとしてもそれは当然のことだと私は思う。内地の人たちはいつか内地に帰ることの出来る人であり、いつか自分たちやこの土地を見切るかもしれない人たちなのだ。
三十年間勤めた会社を辞めて私は自分が何者でもないという現実を突きつけられることになった。会社名と役職名を外した私は初老のうらぶれたただの男だった。人というものは案外誰しもが地位や肩書きに依存しながら生きている。どこの会社に勤めているとかどんな役職にあるとか、そういう肩書きを背負って多くの人が生きている。しかしそれは盤石な何かではない。私のように会社を退職するとか人事異動で左遷されるとか何かがあれば手にしている肩書きなどあっという間に消え失せてしまう。私は肩書きを失って初めて自分が今まで確かに立っていると考えていた場所が存外に脆い地殻の上だったと気づくことになった。
そうして丸裸に剥かれて私はこの街へと迷い込んで来た。料理も接客も店の経営についてもずぶの素人である私がこの遠い未知の土地でバーのマスターとして働くことになった。たとえ見知らぬ相手だろうと周りの誰かに教えを請い、助けを乞いながらやって行く他に私には生きる道はなかった。
あまりに無力な生き物を目の前にして大抵の人は蹴飛ばしたりはしない。出来る範囲でなるべくなら手を差し延べたいと思うのが人情だろう。この街の人々はきっとそんな気持ちで私に接して来たのだと感じる。
自分は一体いつまでこの街で「デスペラード」を守って行くのだろうと私は時々考える。朝子さんが帰ってくるまでと自分自身にずっと言い聞かせているけれど、もし朝子さんが帰って来ることがなかったら自分はどうするのだろう、と考えてはいけないことにまで思考が次第に及んでいく。
今年の年明けから朝子さんの何度目かの癌治療がスタートした。抗癌剤と放射線を併用する治療だという。月に一週間入院して治療を受けるセッションを四回続ける。この前、朝子さんからまた髪や眉毛や睫毛までがすっかり抜け落ちてしまったとあっけらかんとした調子で伝えるLINEが届いた。情熱的なロマ族の女性のような朝子さんの長くカーリーな黒髪のことを私は思い出す。ウィッグで毎日いろいろな髪型に変身できるのはとても楽しいと朝子さんは以前書いてきたことがある。それはきっとまったくの嘘ではないのだろうけれど、その楽しさを遙かに上回ってあるだろう苦しさについて朝子さんはいつも決して言及しない。

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