バイト代をもらいたくない

高校を卒業して3月、私は人生初のバイトを始めた。
今も楽しく元気に働いているわけだが、給料日が近づくごとに強くなっていく思いがある。

「バイト代もらいたくない!!!!!」

こう叫べば、「じゃあ私が代わりに…」と手を挙げる人がたくさんいる事だろうが、とにかくバイト代をもらうのが怖い。
自分でもよく分かっていない生まれたての感情なので、なんとか言語化してみようと思う。

バイト代をもらいたくないというよりは、バイト代をもらったことによって、金銭感覚や労働の楽しみが奪われてしまうのではないかと恐れているのかもしれない。

金銭感覚

私は今まで完全にお年玉のみで生活しており、その金額は平均4万円。この4万円で次の正月まで、つまり1年間やりくりしなければならない。
友達と外食に行く時には月2回まで700円を貰える。それ以外のお小遣いは無い。そんな状況で18年間生きてきた。

それが、1ヶ月働くだけでおよそ8万円貰えるようになるのである。え????

たかだか1ヶ月間働いただけで、8万円ももらえるのヤバくない?人生の裏技??
社会人の読者は鼻で笑うだろうが、私にとってはかなり大問題だ。

私はお金があればある分だけ使ってしまうタイプだ。それは自分で分かっている。
そんな人間に8万円などという大金を渡してしまったら、人格が変わる危険性がある。危ないから、給料を渡すのはもう一度考え直した方がいい。

労働の楽しみ

そして、バイトが楽しすぎる。
無償でも構わないぐらい、人生経験として楽しいのである。

逆に今までが不当だった。私にとって学校での生活は無償労働にすぎない。

いや、学業自体はなかなか楽しい。問題は学問ではなく、それを修めるにあたって生じてくる人間関係である。勉強だけしてればいいと言われたら喜んでやるが、誰々がどこのグループにいるとか、誰々が部活を辞めそうとか、そういう問題がマジでめんどくさかった。

今思い返せば、高校には妖怪がたくさんいた。
簡単な漢字が書けない。授業中にBeRealを撮る。最近の主なニュースを知らない。向こうが勝手に買った花束の料金の一部を何も知らない私に要求してくる。
高校だけではない。今までの人生、正直言って化け物だらけだった。

どこまでが友達なのか、この人には挨拶すべきかしないべきか、あまり仲良くない人や嫌いな人も含めた約40人が狭い部屋に押し込められ長い時間を過ごす。
その環境でこそ出会えた友達もたくさんいるが、私にとって学校は基本的に禁忌の獄であった。

それに比べたら、バイトは人と人との間に適度な距離感がある。こっちが踏み込まないかぎり、面倒なことは起きない(人間関係においては)。バイトなんか労働の場でしかないので、挨拶など最低限のことだけしていれば良い。これはコミュ障の私にとってはとても好都合だ。同じ制服を着た人には元気に挨拶。それさえ守れば浮くことはないのだから。

バイト先ガチャはどうやらSSRを引いたようで、そのおかげでとても楽しく働くことが出来ている。

だからこそ、自分の労働が金銭に変換された時に、純粋な労働の楽しみが壊され、ただ金銭を得るためだけに働く悲しきマシンになってしまうかもしれないのが怖いのである。

今はこんな事を言っているが、きっと給料を手にした時には涎を垂らしながら、

「ゲヘ!!!!もっとくれ!!!!!!!」

と叫んでいることだろう。それもなんとなく分かっているので、今にしかないであろうこの気持ちをこのタイミングで綴らせてもらった。

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