小樽にて、僕イチ最高なオカマ発見。 10年ほど前、小樽のゲストハウスに遊びに行っていた頃、小樽の街の夜の早さに僕は凍死寸前だった。23時を過ぎたら、もうみんなガラガラ閉まってしまうんだ。僕は当時まだまだ呑み盛り。ぶっ飛び上等、北国どんと来い状態だったから、雪に足を取られながら、ゾンビの様に「酒場〜、酒場〜」と徘徊した。 すると、一軒、灯りを見つけた。 まっちろけな小樽の街に浮かぶ、まっきいろな看板。 「小樽おやじ屋本舗」 小樽という街柄、なんか渋い炉端焼きでも出してく
鳥取バナシがとりあえずのところ、ひと段落したから、ここからは自分のことを、色々書いてみようと思う。 ここnoteで僕は、とぐろ精汁郎(せいじゅうろう)って名前で、大して文才の無い文章を書いている。 もちろん本名ではなく、これはその昔、新宿は歌舞伎町で俳句をやっていた頃の、格好を付けて言えば俳号だ。 当時ぼくはカメラマンのアシスタント 時給換算100円未満の極貧生活。 何をするにも結局は金がなきゃ何も出来ん、という事で、アシスタントをしながら色んな仕事をした。 撮影のスタ
だいぶ間隔が空いてしまった ぼくの尊敬して止まないフォークシンガーがnoteを始めた。ぼくの中のチャランポランな彼のイメージが、がらんがらんと音を立ててぶっ壊れるかのような文章に、また惚れ直したりするのだ。 昨年、鳥取のおじいちゃんを亡くして 色々書きたいことがあれど、フェイスブックやらでツラツラと垂れ流すのは、人によっちゃ、ともすれば興味のない話 オナニーは部屋に篭り、こっそりとするものなのだ。 という事で、わざわざリンクをクリックしてまで読みたい!って人にだけ、見て
まあまあ日が経ってしまった事もあり トピックはビンビンに思い出せるが、感情の部分が、かなり危うい。 だけど、報告書を書いている訳でも無し 自由だ!フリーダム! (僕の大好きな友人のまねっこ) 祖父さんの四十九日法要と片付けで鳥取に来た二日目、一日遅れで妹がやってきた。 これまた良く出来た妹で、実に要領よく即戦力となり、家が片付いてゆく。 兄貴といえば、物思いにふけってしまい、最終的にはサボり出す始末。 ひとしきり片付け(と物思い)を終えた頃、夜は近所の飲み屋に出向く事に
逝去した鳥取の祖父の四十九日で、先日鳥取に行ってきました。 孫らは、良いか。 みたいな話もあったのだけど、いかんせん、家の片付けが膨大に残っているもんで、少しずつ取り掛からないとな、みたいな。 そんなで鳥取。 力仕事担当の僕は身体バキバキに疲れたけれど、結果的に行っといて良かった。 まず着いた日は、業務用冷蔵庫の中身をチェックして、滞在日数分の献立を組み立てる。 冷凍されていた豚肉を見つけたので、助っ人野菜制度導入で豚しゃぶに決まり。 翌日からの労働に備え、スーパードラ
来るべきダウンに備えて買った荒木経惟の「写真への旅」が面白かったよ、って話の続き。 ハマるハマらないはあれど 写真とすごく向き合えるんじゃないだろうか。 ‥僕はどんな目線で言ってるんだろうか と、この部分何度も書き直してる。 だけど、そもそも、だ。 このnoteというサービスを始めてみたキッカケは「じいちゃんの急逝」という辛い出来事を 何かの形でアウトソースしたかったからだけど 実は前からフツフツと検討していた理由の一つに、Facebookでツラツラ長文を書くのがタル
モデルナ二発目を打ち終えて、そこそこ弱りましたが、とりあえず鞭を打って今日は仕事してます。 弱っている時は(特に高熱を出している時は)、耳攻めに弱くなる。ちょっと攻められただけでお手上げしちゃう。 だから弱っている時は、聴覚をシャットアウトして、視覚過敏にしてとことん休むのだ。 家に読んでない本は結構あるし(路上。やっぱり途中で断念)、それをゆっくり読んで過ごすも良いのだけど、接種会場の近くに渋い古本屋があって、何冊か買ったもんだから、それを読んだ。 昔、ラジオから聴こ
振り返ればナンボでも出てくるのが思い出てなもんで、もうそろそろ良い塩梅。 あっぱれ、あっぱれ くどいなーって思いませんでしたか。 じいちゃんの戒名に"天晴"という言葉が入ってたから、というか、あっぱれな人だったから戒名に入れてくれたみたいで、そんなあっぱれエピソードの話。 じいちゃんのあっぱれエピソード、そのいち 88歳にして新車を一括キャッシュで購入 昨今の高齢者免許返納の流れに逆行して、娘(僕の叔母さん)の反対を「わしゃ事故らんけ、大丈夫じゃ」と一蹴して、クラウン
勝負の話繋がりでもう一つ。 じいちゃんは、亡くなる二〜三週間までワンラウンドプレーしていたぐらい大のゴルフ好きだ。 僕もまだ楽しさを存分に味わえるほど上手くはないが、年に数回ゴルフをする。 そのうちの一端を担うのは、親子三代に渡るゴルフ合戦なのだ。 大抵はキャリアも長く今でも現役バリバリの父親が一等賞で、じいちゃんが二等賞で僕はビリッケツの三等賞。(結局最後まで勝てなかったな) だが、その夏はとんでもない事が起きた。 僕は自己ベストを更新ペース、今回こそ脱三等賞だ!
中学生の終わり頃にもなると、自分の限界値を把握させる、というていで、父親が自分の飲んでいるビールを少し分けてくれた。 くすんだ金色のグラスに注がれたソレは、すごく不味かった。 それを見てばあちゃんは 「頭が悪ぅなるけ」と心配そうにする。 それを見てじいちゃんは 「ともくん、勝負しようや」とニンマリ笑う。 これが僕とじいちゃんの第二次大戦勃発の合図となる。 じいちゃんは根っからの商売人で、晩年は酒屋の店主として暮らしていた。 先の腕っぷしが強かった所以も、毎日の様に酒樽
田舎の祖父が逝去した。 1週間ほど前に父親からじいちゃんが余命1〜2ヶ月、との連絡を受けてから、あっという間に逝ってしまった。 あまりに潔くて、不謹慎ながらカッコイイと思ってしまった。 通夜に告別式、最低限の遺品整理を終えて ようやく少し落ち着いてきたので、書いてみようと思った。 鳥取県の琴浦町という洒落た名前の港町で、じいちゃんは生涯暮らしていた。 子供の頃は、年に3度(GW、お盆、正月)田舎に帰省する事が我が家の恒例となっていて、比較的"田舎のじいちゃんばあちゃん"