俳句の話
鳥取バナシがとりあえずのところ、ひと段落したから、ここからは自分のことを、色々書いてみようと思う。
ここnoteで僕は、とぐろ精汁郎(せいじゅうろう)って名前で、大して文才の無い文章を書いている。
もちろん本名ではなく、これはその昔、新宿は歌舞伎町で俳句をやっていた頃の、格好を付けて言えば俳号だ。
当時ぼくはカメラマンのアシスタント
時給換算100円未満の極貧生活。
何をするにも結局は金がなきゃ何も出来ん、という事で、アシスタントをしながら色んな仕事をした。
撮影のスタートが遅めの日は新聞配達のアルバイトに、週末は撮影が休みの時も多かったから地元のコンビニで深夜アルバイトをしたり、そんな中で、新宿の歌舞伎町の外れ、思い出の抜け道という小道にある酒場で、24時以降のバーテンダーを勤めた時期がある。
その店は、日替わりでバーテンダーが変わる、新宿にはよくあるスタイルだったのだけど、僕は日替わりというより、時間割り、バーテンダーの中には24時には店を閉めたい人たちもいたから、じゃあその後は僕がやるよ、ってんで、バトンタッチをしたカタチになる。
バーテンダーと言っちゃえば格好良いのだけど、僕の当番の時は、缶ビールとブラックニッカのロックとハイボール、それと業務用焼酎のチューハイだけ。値段は僕任せだったので、てっぺん超えてヘラヘラと入ってきた酔っ払いに、「水をよこせ!」なんて言われた時には、水道水を500円で売ったりして、怒られたもんだ。
少し話を戻して
僕がこの店に行くきっかけになったのは、高円寺の「ペリカン時代」で飲んでいる時、隣に同世代ぐらいの女の子がいて、僕は「可愛い!好き!」となってしまった。
酒好きは打ち解けもスムーズなので、その子と「卓球バー(と呼ばれてた)」に行って卓球をして、良く入り浸ってた「なんとかBAR」に行ってゲロを吐き、翌朝、高円寺の駅のホームで連絡先を教えてもらった。
数時間後の昼過ぎ、メールが来て、内容は覚えてるわけがないけれど、とにかく「今夜は新宿で飲もう」的な内容で、撮影を終えたらシャワーを浴びて、コンドームを友人から分けてもらって、新宿に向かった。
で、行ったのが歌舞伎町の外れにある
「芸術公民館」というお店。
結局その日は、その女の子とは何も起きず、気付いたらその子は別のお店に飲みに行ってしまってたのだけど、僕は芸術公民館で、「俺は毎晩歌舞伎町で酒を飲み、俳句をやっている」という男と出会った。
僕は、それどころじゃなくヤケ酒気味だったのだけど、そんな僕を見てその男が俳句を詠んだ。
の、内容は、とっくに忘れてるけれど。
ただ、なんとなくうっすら覚えてるのは、ちょっと刺さったのだ。もっと、じーさんばーさん達が、のほほんと聞こえの良い言葉で遊んでるイメージだったのだけど、なんかずっと格好良かったのだ。
それから、その人の真似をしながら、俳句を始めた。「新宿で飲むなら通り名を決めろ」と言われ、とっさに「トミー」と答えてしまった。すぐに後悔をした。その後、しばらくしてこっそり「とぐろ精汁郎」という俳号を思い付き、気に入って使ってたのだが、なんだか恥ずかしくて、最後まで「トミー」のまま通してしまった。
金なんて無かったから、毎晩飲み歩くことは出来なかったけれど、それまで、酒を飲んじゃ女のケツを追いかけて、やむなく散り散り、惨めだった僕のゲロが、ゲロじゃなくなった。
僕のゲロが一つの俳句になった。