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LanLanRu文学紀行|黒いダイヤモンド

ジュール・ヴェルヌ著

舞台:19世紀 / イギリス(スコットランド)

「黒いダイヤモンド」とは石炭のことを言うらしい。『‎八十日間世界一周』や『海底二万里』のジュール・ヴェルヌが描いた地下世界での冒険小説。イギリス、スコットランドの炭坑地帯が舞台である。
10年前に閉鎖されたスコットランドのアバーフォイル炭坑で、かつて監督をしていた技師ジェイムズ・スターのもとに、かつて坑夫頭を務めていたサイモン・フォードから炭坑まで来て欲しいという謎めいた1通の手紙が届く。ところがその後、それと相反する内容ー炭坑まで来るに及ばないという手紙が届くのである。一体誰が2通目の手紙を出したのか。どうしてジェイムズ・スターを炭坑から遠ざけようとするのか。地下坑の奥底で次から次へと奇怪な事件が起こるので、楽しく一気に読めてしまった。
石炭の成り立ちから世界の石炭の埋蔵状況に至るまで、自然科学的な知識もふんだんに盛り込まれているので、石炭について少し詳しくなったような気分にもなれる。

サイモン・フォード:『黒いダイヤモンド』に描かれるスコットランド坑夫の姿

ジュール・ヴェルヌは31歳の時にスコットランドへ旅をしているが、その時に見た石炭の廃坑の光景が『黒いダイヤモンド』の着想のもとになったという。実際、古くは石炭の採掘がスコットランドの主要産業であり、低地地方の炭坑では良質な石炭を多量に産出していた。

『黒いダイヤモンド』に描かれているのは、そうしたスコットランドの炭坑の中で、長年石炭の採掘を行ってきた坑夫の姿だ。
一般的に危険で劣悪なイメージがある炭鉱労働だが、きついばかりではないらしい。彼らは代々坑夫として暮らしていて、生活そのものが炭坑に結びついている。坑夫頭のサイモン・フォードなどは、生れ落ちてからずっと炭坑の中で暮らしていたといい、石炭を掘りつくして廃坑になっても、なおそこを去ろうとはしなかった。誰もいなくなったアバーフォイルの廃坑の中に居を構え、息子のハリーと二人で、落盤の危険はないか、水の浸透はないか、炭坑のメンテナンスをしながら新しい炭層を探し続けるのだ。
「人間は結局自分の苦労を愛するものだ」とジュール・ヴェルヌは書いているが、代々炭坑の仕事に情熱的に取り組み、守ろうするサイモン・フォードのような坑夫にとっては、炭坑の閉山はすなわち、コミュニティーの崩壊と存在意義を失うことを意味するのであった。

ちなみに、ジュール・ヴェルヌの生きた19世紀にはイギリスの産業発展と共に栄えたスコットランドの石炭業も、20世紀には斜陽の一途を辿り、サッチャー政権のもとで多くは閉鎖に追い込まれた。今ではスコットランド国立炭鉱博物館(National Mining Museum Scotland)に、産業遺産として往時の施設が遺されているのみである。

石炭に関するジュール・ヴェルヌの予言

『黒いダイヤモンド』を読んで驚いたのは、ジュール・ヴェルヌが1877年当時、既に消費の増大による、石炭資源の枯渇を心配していたことだ。それが当時の一般的な風説だったのか、ジュール・ヴェルヌ自身の科学的知見に基づく考察だったのかは分からないが、『黒いダイヤモンド』には下記のような一節があるので引用してみる。

しかしながら、一般的には気前のいい自然も、数千年の消費を賄うだけの十分な森林を地中に埋めなかった。石炭はいつの日にか絶えてしまうであろうーそれは確実である。したがって、石炭に代わる何か新しい燃料が発見されねば、全世界の機械はやむを得ず操業を中止せねばならないであろう。
(中略)
「では、スターさまは、人類は自分たちの地球をついに燃やしてしまったかも分からないとおっしゃるのですか?」
「そうだよ!すっかりね」と、技師は答えた。「地球は最後のひとかけらまで、機関車や、牽引車や、汽船や、ガス工場のかまのなかにほうりこまれたたかも分からないよ。そうして、わたしたちのこの世界は、いつの日にか、なくなってしまったかも知れないよ!」

『黒いダイヤモンド』p40/p55-56

結局、石炭を掘りつくす前に石油がエネルギーの主流になっていったので、ジュール・ヴェルヌの心配は杞憂に終わっているのだが、エネルギー消費量が更に増えているこの現代、化石燃料枯渇の恐れがより一層深刻になっているのはいうまでもない。
それにしてもSF小説の大家のジュール・ヴェルヌはさすがに慧眼というべきか、『黒いダイヤモンド』の中では水力と電力の可能性について述べているし、また1874年の著作『神秘の島』では「水素と酸素からなる水がいつか燃料になるだろう」と述べて、水素エネルギーの存在さえ予言しているのであった。

さいごに

SF小説の生みの親といわれるジュール・ヴェルヌ。科学的知見を取り入れながら、未知の世界へと空想を羽ばたかせているのが、彼の冒険小説の楽しいところ。ここでも廃坑の中に住み着いてしまうサイモン・フォードの暮らしぶりや、地下の湖畔に作られてゆく「石炭の街」の描写など、少々突飛な気もするが、想像しながら読むのが面白かった。漫画でも映画でも体験できない、本ならではの空想の楽しさを思い出させてくれた一冊だ。



〈参考文献〉

・『黒いダイヤモンド』(文遊社, 2013)ジュール・ヴェルヌ 著
      新庄嘉章 訳
・「見えてきた石炭の「終わりの始まり」 感謝しつつ別れたい」
   (朝日新聞,2018)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO85347260W5A400C1TJP000/

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