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LanLanRu文学紀行|モンテ・クリスト伯(前編)

アレクサンドル・デュマ著

舞台:1815-1838年/フランス

決して試験前に手に取ってはいけない。読み始めたが最後、夢中になってのめりこんでしまうこと請け合いだ。わくわく、どきどき、はらはら。ぞくり。華麗な復讐劇のスリルとサスペンスにページをめくる手が止まらない。続きが気になって気になって、勉強なんか上の空。おまけに寝不足。

この本を手に取ると、子供の頃に夢中で読んだ興奮をそのままに思い出す。
『モンテ・クリスト伯』。アレクサンドル・デュマの代表作である。
無実の罪で14年間も孤島の牢獄に閉じ込められた男、エドモン・ダンテスの復讐劇。物語の舞台は19世紀前半、革命後の激動するフランス。当時の政治状況などわかっていなくても楽しく読めるが、一度整理してみても損はない。

1792-1804:第一共和政
1804-1814:第一帝政|ナポレオン1世
1814-1830:復古王政|ルイ18世・シャルル10世
※1815年にナポレオン100日天下
1830-1848:七月王政|ルイ・フィリップ
1848-1852:第ニ共和政
1852-1870:第二帝政|ナポレオン3世

約80年間もの間に7回も大変革が起きていることになるから、当時のフランスの政治は相当にダイナミックだ。エドモン・ダンテスも、そのような政変に巻き込まれて人生を破壊された一人である。
1815年、フランス革命で倒されたブルボン朝の復古王政の最中であるが、エルバ島に監禁されていたナポレオンが脱出して盛り返しを企てる。俗にいう100日天下だが、この時にナポレオン脱出の手引きをしたと疑いをかけられたのがエドモン・ダンテスだった。身に覚えのない罪で未来を奪われ、一度は自殺さえ考えるが、思わぬ幸運で脱獄叶い、巨万の富を手に入れる。数年後、モンテ・クリスト伯爵と名乗って1838年のパリに現れたダンテスは知力と財力を駆使し、自分をおとしいれた3人の男たちーフェルナン・ダングラール・ヴィルフォールに完璧な復讐を遂げていく。

読みだしたら止まらない『モンテ・クリスト伯』その秘密

この本、続きが気になってつい読み耽ってしまうのが困るところ。ところがこの面白さ、種も仕掛けもしっかりあるのだ。
『モンテ・クリスト伯』は、1844-1846年にかけて、もともとパリの「デパ」紙に新聞小説として連載された物語である。もとより大衆小説として生まれたわけだが、新聞小説の宿命として、読者を新聞につなぎとめて購読を続けさせるための役割を持っている。そのための手法というのがこうである。
連載の一回一回に、毎回小さな山場を持ってきて、さらに次回に続く謎を残して、さあ、次回もお楽しみ、といった具合。フランスでは折からジャーナリズムの成長期。フランスの新聞王、エミール=ド=ジラルダンが「プレス」紙を創刊したときのアイデアが『モンテ・クリスト伯』でも用いられているわけで、私たちはまんまと新聞社とデュマの術中にはまっていたのである。
加えて緻密な伏線回収、というより明らかに伏線なので、いつ回収されるのか気になってしかたない情報の数々。また、絡み合いながら同時に進行していく、さながら三重奏のような復讐の構成。それらが息もつかせぬ展開となって、話をぐんぐん盛り上げていく。

『モンテ・クリスト伯』の多彩な登場人物たち

個性的な登場人物の数々も魅力である。実は、デュマが『モンテ・クリスト伯』を書くにあたっては元ネタとなった実話があった。警視総監ジャック・プーシェの監修『パリ警察古文書調査覚書』だ。そこに「ダイヤモンドと復讐」という記録が入っていた。ナポレオンの第一帝政期、パリに住む若い靴屋の犯罪事件簿である。

靴屋が大金持ちの娘と結婚することになり、それを妬んだ靴屋の友人四人が、靴屋を「王のスパイ」として皇帝の官憲に密告する。靴屋は夜中密かに逮捕され、詮議も受けず七年間牢獄に閉じ込められる。牢獄で知りあったイタリア人の聖職者に、靴屋は献身的に尽くす。その聖職者の臨終を看取り、聖職者から莫大な遺産を譲りうける。釈放後、靴屋はその遺産を手にパリに舞い戻り、変装を駆使して、かつて自分を陥れた友人四人にじわじわと真綿で首をしめるように復讐をする。

話の大筋はほとんどそのまま『モンテ・クリスト伯』に使われているようだが、デュマは物語のために、より魅力的な舞台背景と登場人物を用意した。靴屋の男よりも、海を行く航海士のエドモン・ダンテスを。また、大金持ちの娘よりも、貧しく可憐なメルセデスを。このほうがずっとロマンチックだ。
悪人たちも活き活きと描かれている。例えば銀行家のダングラール。人生すべてが欲得尽くの金銭判断。また検事総長のヴィルフォール。自身も罪のある身でありながら、容赦なく人を裁いていく。他にも、幸運を手に入れながら、なお強欲で身を滅ぼしていくカドルッス、自立心の強いダングラールの娘のウージェニー、いじらしくモンテ・クリスト伯を慕うエデやジュリーなど、それぞれに個性豊かで魅力的だ。
そして何より、主人公のダンテス自身、素朴な船乗りから無期懲役囚、そして億万長者の伯爵へと、その転身が見逃せない。脱獄後もモンテ・クリスト伯、ブゾーニ神父、ウィルモア卿、船乗りシンドバットと、様々な顔を使い分けて人々を翻弄していく。しかし仮面に隠したその心情はいかばかりか。「待て、そして希望せよ。」小説最後のメッセージに至るまで、復讐に悩みながら次第に人間性を取り戻していくエドモン・ダンテスの心理描写も圧巻だった。

さいごに

小学生の頃から今にいたるまで、少なくとも4回か5回は読んでいる計算だ。だからあらすじなんかもわかっていて、登場人物もみんな顔なじみのはずなのに、それでもやっぱり面白いのだ。今回だって最後にはのめりこんでしまって、あちこち仕事が遅れ気味になっている。
一つ面白い逸話がある。デュマの晩年の息子との対話。実は忙しくて自分の作品をほとんど読んだことがないというデュマの部屋に、デュマの息子は父の書いた本を持ってきて読むことをすすめた。父は読み始め、『モンテ・クリスト伯』を途中まで読んだときにこう言ったいう。
「この『モンテ・クリスト伯』は、まさに傑作だ。しかし、結果を見とどけるまで、おれは生きていられそうにないよ」
そんなわけで作者自身、面白さということについては折り紙つきの『モンテ・クリスト伯』なのである。

今回は書ききれなかった『モンテ・クリスト伯』の影響や関連作については別稿にまとめた。作者のデュマについても少し紹介したいと考えている。

後編はこちら >>>
LanLanRu文学紀行|モンテ・クリスト伯(後編)


〈参考文献〉
・『集英社版 世界文学全集26 モンテ・クリスト伯Ⅲ』(集英社, 1980)
  松下 和則、松下 彩子訳/綜合社編
・『アレクサンドル=デュマ ■人と思想139』(清水書院, 2016)
  辻 昶、稲垣 直樹 著








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