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【善と悪】じゃなくて【好き嫌い】

これまで、私生活や仕事で

好き嫌い激しい人苦手だったし

その人のこと苦手な自分も

好き嫌いで相手を見ていると思って

自己嫌悪していた。

そんな自分は

『私だって嫌なこと我慢しているのに、あの人は自分のこと棚にあげて好き嫌いで働いてて、そのくせにさも自分は常に正しいみたいでおかしな人だ。』

『好き嫌いで動く人』は『正しくない』

『好き嫌いで動く人』は『間違っている』

自分のなかにそのような『正義感』があった。

でも

自分が振り回していた『正義感』も

結局は『好き嫌い』と同じものだと気づいた。

自分にとって『善』『悪』なんてものは

『好き』と『嫌い』と同じなんだ。

どんなに勉強しても

どんなに自分以外の人が『善』だと

『好ましい』といっても

自分にとって『嫌い』なもの

『受け入れがたいもの』は『悪』に感じるんだ

頭で理解しようとしても

心で受けとるのを拒否しているんだ

そういうことを踏まえた上で



『嫌いなものは嫌い』


『嫌なものは嫌だ』

自分のなかに生じている感情を有ってはならないと

『自分』が否定するのはやめることにした。

『嫌いなものは嫌いだ。』

『嫌なものは嫌なんだ。』

見ないふりをしたかった醜い自分。

でもそんな感情も自分の一部。

受け入れてしまえば

ひとしきり『本当に嫌だ、嫌いだ~!!!!』

って感じきったら

味のしなくなったガムのように

吐き出しておしまい。

自分にとって楽しい次のことに集中できることに気づいた。

これならたぶん必要以上に誰かを傷つけることは

少なくなると思う

ただいま実験中

『ソーシャルディスタンス』なんて言葉が流行っているけど

物理的な距離はもちろん

気持ち的な距離も自分と相手の関係性で

付かず離れず

痛まない距離で過ごせればいいんじゃないかな。

と思った新月の夜。

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