![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99257104/rectangle_large_type_2_df27ccf49b989da4cb3193b8fbcdf042.png?width=800)
対等な関係性とは...?
おはようございます。とがみんです。
昨日は23時に寝て、今日の朝5時に起き、2度寝して8時にカフェで朝活をアイスコーヒーを飲むところから1日が始まりました。
ぼけーっとしながら、今日もまたジャーナリングをしているのですが「対等な関係性とは...?」というテーマに対してアンテナが立っているので、それをテーマにつらつら言語化していきます。
なぜ「対等な関係性とは...?」にアンテナが立っているのか?
自分がコーチングをやっていくとなった時や、クライアントとしてコーチングを受けている時に、「コーチとクライアントは対等な関係です」なんて言葉を自分で言ったり、聞いたりすることに対して、とても違和感を感じてしまっているのです。
「対等な関係性」ってそもそもどういう関係性なんだっけ?とか、
コーチとクライアントは対等な関係性なのか?なんて。
そもそもなんでコーチとクライアントは対等な関係性だよって伝えるのか?とかとか。
そのもやもやからは、たくさんの問いが立っていたのですが、これからコーチングを自分がやっていくぞ!というスイッチが入ったので、いよいよ向き合っていく必要があるテーマ認定をしました。
なので、この辺りについて、つらつらジャーナリングをしていきます。
なぜ違和感を感じてしまっているのか?
そもそも「コーチ」と「クライアント」という名前が違う時点で対等じゃないじゃん!!なんていう突っ込みを入れたくなる。
「コーチ」には、クライアントが自己実現するために、必要なサポートをしていくという役割があり、「クライアント」には自己実現をしていくために、自分に向き合い、自己決定をして生きていくという役割がある。
名前も違うし、役割も違う。
なので、「コーチとクライアントは対等な関係性です」と伝える背景には、そんな「名前」や「役割」を超えた、もっと深いところに本質的な意味があるんだろうな?という思考になるわけです。
そもそも「対等な関係性」とは?
そもそも「対等な関係性」とはなんなのか?
「コーチ」と「クライアント」を表面的に捉えると、それに対しては「対等な関係性」だとは思えないのが今のとがみんの感覚。
「コーチとクライアントは対等な関係性です」と言う背景には、「コーチ」と「クライアント」に共通する部分に対して言っているのだと感じています。
じゃあ、その共通部分とは?となるのですが、
浮かんでくることをつらつら書くと。
「コーチ」も「クライアント」も同じ人間である。
「コーチ」も「クライアント」も自己実現のために、それぞれの役割をになっている。
つまり、「コーチ」も「クライアント」も、
「自己実現」を目的とした1人の人間として生きている。
その意味で「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!ってことなんじゃないかな〜〜〜。
そして、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるわけですが、その背景にはどんな意味があるのか?なぜ伝えるのか?
なぜ、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるのか?
なぜ、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるのか?
「コーチ」と「クライアント」という役割で対話をしていきますが、お互い「自己実現」を目的とした1人の人間として生きているという意味で対等ですよ!
「コーチ」はコーチ自身の自己実現のためにコーチをしている。
「クライアント」はクライアント自身の自己実現のためにクライアントをしている。
お互いの自己実現に向けて一緒に協力しましょう!
という協働関係のために、伝えるんだ!と書きながら思えてきました。
今日のジャーナリングはこんなところで。
仕事行きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?