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対等な関係性とは...?

おはようございます。とがみんです。

昨日は23時に寝て、今日の朝5時に起き、2度寝して8時にカフェで朝活をアイスコーヒーを飲むところから1日が始まりました。

ぼけーっとしながら、今日もまたジャーナリングをしているのですが「対等な関係性とは...?」というテーマに対してアンテナが立っているので、それをテーマにつらつら言語化していきます。

なぜ「対等な関係性とは...?」にアンテナが立っているのか?

自分がコーチングをやっていくとなった時や、クライアントとしてコーチングを受けている時に、「コーチとクライアントは対等な関係です」なんて言葉を自分で言ったり、聞いたりすることに対して、とても違和感を感じてしまっているのです。

「対等な関係性」ってそもそもどういう関係性なんだっけ?とか、
コーチとクライアントは対等な関係性なのか?なんて。
そもそもなんでコーチとクライアントは対等な関係性だよって伝えるのか?とかとか。

そのもやもやからは、たくさんの問いが立っていたのですが、これからコーチングを自分がやっていくぞ!というスイッチが入ったので、いよいよ向き合っていく必要があるテーマ認定をしました。

なので、この辺りについて、つらつらジャーナリングをしていきます。

なぜ違和感を感じてしまっているのか?

そもそも「コーチ」と「クライアント」という名前が違う時点で対等じゃないじゃん!!なんていう突っ込みを入れたくなる。

「コーチ」には、クライアントが自己実現するために、必要なサポートをしていくという役割があり、「クライアント」には自己実現をしていくために、自分に向き合い、自己決定をして生きていくという役割がある。

名前も違うし、役割も違う。

なので、「コーチとクライアントは対等な関係性です」と伝える背景には、そんな「名前」や「役割」を超えた、もっと深いところに本質的な意味があるんだろうな?という思考になるわけです。

そもそも「対等な関係性」とは?

そもそも「対等な関係性」とはなんなのか?

「コーチ」と「クライアント」を表面的に捉えると、それに対しては「対等な関係性」だとは思えないのが今のとがみんの感覚。

「コーチとクライアントは対等な関係性です」と言う背景には、「コーチ」と「クライアント」に共通する部分に対して言っているのだと感じています。

じゃあ、その共通部分とは?となるのですが、

浮かんでくることをつらつら書くと。

「コーチ」も「クライアント」も同じ人間である。
「コーチ」も「クライアント」も自己実現のために、それぞれの役割をになっている。

つまり、「コーチ」も「クライアント」も、

「自己実現」を目的とした1人の人間として生きている。

その意味で「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!ってことなんじゃないかな〜〜〜。

そして、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるわけですが、その背景にはどんな意味があるのか?なぜ伝えるのか?

なぜ、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるのか?

なぜ、「コーチ」と「クライアント」は対等な関係性ですよ!と伝えるのか?

「コーチ」と「クライアント」という役割で対話をしていきますが、お互い「自己実現」を目的とした1人の人間として生きているという意味で対等ですよ!

「コーチ」はコーチ自身の自己実現のためにコーチをしている。
「クライアント」はクライアント自身の自己実現のためにクライアントをしている。

お互いの自己実現に向けて一緒に協力しましょう!

という協働関係のために、伝えるんだ!と書きながら思えてきました。

今日のジャーナリングはこんなところで。

仕事行きます。

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