初対面の人に自分の本を目の前で読んでもらった駆け出しラノベ作家のおはなし
こつこつと階段を上る音が聞こえたかと思うと、すりガラスの向こうに水色と灰色のシルエットがうごめいた。
2019年10月7日、18時。ほぼ約束通りの時間。渋谷の喫茶店に、レンタルさんが現れた。
レンタルなんもしない人――通称、レンタルさん。
「なんもしない人を貸し出す」という、ちょっとふわっとしたサービスがどういうわけか人気を博している。
これだけ人気のサービスなのだから、一度くらい経験しておきたいと思った。ただのミーハーである。原理はタピオカといっしょだ(私はゴンチャが好きです)。
でも――どうせ依頼をするのなら、何か、めずらしい依頼をしてみたい。
レンタルさんのことを知ってすぐ(今年の4月くらい)から、ぼんやりと、どういう依頼をしたら面白いか、レンタルさんのことを十分に"利用"できるのか、ずっと考えていた。
そんなこんなのうちに、作家デビューに向けた作業も佳境に入った7月――ちょうど七夕の日。私はこんなDMをレンタルさん宛に送った。
「自作小説をレンタルさんに読まれるところを観察したい」という依頼です。
(中略)
レンタルさんには、私の目の前で、こちらの本を読んでいただきたいのです。
小説の著者というのは、読者から言語化した後の「感想」を頂くことはできますが、読者がコンテンツに触れている瞬間の、言語にならない、生の「反応」を頂くのはとても難しい、というか原則不可能です。
知人に頼めばいいのかもしれませんが、知人は多かれ少なかれ、私という著者の人生や人となりを知ってしまった上で読むことになるので、どうしてもノイズが乗ってしまうと思うのです。
本当にピュアな、生の反応を頂くためには、こうしてレンタルさんにお願いするしかないのです。
もし、私の小説をつまらなく感じて読み続けられないようでしたら、その際は読むのを中断していただいても構いません。
とにかく、「赤の他人が自作の小説を読む時の反応」を見てみたいのです。
(そのためにも、私の普段のツイートなどは極力見ないようにお願いします!)
(後略)
ちょうどテレビでたくさん取り上げられていた時期で、おそらくレンタルさんの元にはDMが殺到していたことだろう。返事が来たのは2ヶ月以上後。
9月になって、暑さもずいぶん和らいだ頃だった。
了解です、希望日時の候補や集合場所などまたお知らせください
返事が来た瞬間は、ほんとにびっくりした。そもそもがダメもとでの依頼だったからだ。ほら……「本を読んでもらう」のって、ちょっとだけ「なんかしてる」感あるじゃん。一応過去の依頼記録をさらって、本を読んでいる依頼を見つけて、あ、絶対ダメってわけではないんだなって確認はしてからメッセージを送ったんだけれど、それでも2ヶ月も間が空いてしまうと「やっぱりダメかー」なんて思ってしまっていた。
ちょっと内心わたわたしながら、こちらの希望を伝えた。思いのほかすんなりと日程調整は済み、10/7にレンタルさんとお会いすることが決まった。
急に涼しくなった日の渋谷で
待ち合わせの30分前にはお店に着いて、準備をしようと決めていた。
「月曜にレンタルさんと会うんだ」とぽろっと漏らしたらちゃっかりついてきた友人ふたりと一緒に、ちょっと落ち着いた雰囲気の喫茶店に入る。2人掛けのテーブルを、隣合わせで2つ使わせてもらうことにした。
……実はこの時、もう、相当緊張していた。かたや無名のラノベ作家、かたやフォロワー24万の人である。フォロワー数にそこまで重大な意味はないとわかってはいても、やっぱりどうしても意識してしまう。
レンタルさんに読んでもらう本の準備を忘れていたことを思い出し、あわてて取り出してサインをする。我ながらそこそこうまく書けた(特に「あおい」の部分が)のだけれど、記念に写真を残すのをすっかり忘れてしまっていた。これも緊張のせいだ。
渋谷まで歩いてきたので、体は少し火照っていた。アイスコーヒーを頼んで、レンタルさんが来るのを待つ。時間があったら読もうと思って買っていた『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。』を取り出してページをめくってみたりもしたが、まったく頭に入ってこなくて結局は帰りの電車で最初から読み直すはめになった。
店員さんの足音にびびって振り向くのを5度くらい繰り返した後――すりガラスの向こうに、レンタルさんの影が見えた。
写真のようなレンタルさん
水色の帽子、グレーのパーカー。いつもTwitterで見ている通りのレンタルさんが立っていた。思わず「トレードマーク通りですね」的なことを口にしてしまった記憶がある。
こちらが感動しっぱなしでは依頼を始められないので、とりあえず飲み物を勧めつつ依頼の趣旨を改めて説明。15分前にサインをした文庫本を手渡す。
『わたしの知らない、先輩の100コのこと』。8月24日に発売された、私の作家デビュー作だ。タイトルと表紙の通りに、このかわいい女の子(後輩ちゃん)と男の子(先輩)がいちゃいちゃするだけのお話である。
恋愛もののライトノベルであることは前もって伝えていたので、レンタルさんもびびったりはせずに受け取ってくれた。
受け取ってすぐ、開く前にスマホを構えて写真を撮るレンタルさん。さすが手慣れていらっしゃる。せっかくなので最近つくった名刺もすっと渡してフレームに収めていただいた。
てっきり即座にTwitterに載せられてしまうものだと思っていたから、この記事を書いている時点でまだ載っていないのが残念だ。レンタルさん目線が見たかった。
そうこうしているうちに頼んだ飲み物も到着し――いざ、依頼開始。
目の前で自作小説を読まれるという体験
レンタルさんが本を手に取り、ページをめくり始める。私はレンタルさんの観察に専念する。口絵部分に書かれた台詞にも丹念に目を通しているのが印象的だった。
そもそも「目の前で自作小説を読まれる」というだけだったら、意外と多くの物書きが経験したことがあるシチュエーションじゃあないだろうか。少なくとも皆無ってことはないはずだ。
友人に自作の添削を頼んだりして、うっかり目の前で読まれてしまう状況もなくはないだろう。……その場合、恥ずかしくて大変なことになるが。
文章には、筆者の思考が籠もる。
知人に自作の文章――それも妄想たっぷりの小説を目の前で読まれるということは、自分の妄想の中身をまるごとぶちまけているに等しい。相当な羞恥心が襲ってくるはずだ。
ところが、それが、「赤の他人に目の前で自作小説を読まれる」のだったらどうだろうか。
私の場合ではあるが――気恥ずかしさは、ほとんどなかった。
せいぜい、読者のみなさまから感想をいただいた時の「読まれてしまった……」的なちょっとした気恥ずかしさ。それくらいの羞恥具合だった。
読書する人
手元にもう一冊『100コのこと』を用意して、チラチラ見えるページを参考にレンタルさんが今どこを読んでいるのかを把握しながら、私は観察に集中する。
事前に「読むのは遅いです」と聞いていた通り、1ページにかける時間が長い。よく見ると、目が1~2秒を1周期として上へ下へと行き来している。
おそらく、一行ずつ丹念に文字を追っているのだろう。台詞が多くて下半分が白いページでは上下の度合いが小さくなり、逆に地の文をぎっしりと書いているページでは目だけではなく首ごと動かすことが多かった。
まだ、どことなく、空気が張り詰めている。というよりむしろ、私が、張り詰めさせていたのだろう。
言い訳をすると――私は、ずっと緊張していたのだ。
普段はコーヒーにガムシロップを入れないくせにミルクと間違えて入れてしまうし(缶コーヒーみたいにほのかに甘くなってしまった)、ストローは注意力不足で上下逆さに突っ込んでしまうし(折れ曲がらなくて飲みにくかった)。
そんなドジを紛らわすためには、レンタルさんのことを観察するしかなかった。
表情はほとんど変わらず、目だけが上下に動く。以前SAORIさん(アンドロイドのお姉さん)にレンタルされていたけれど、口元だけだったらよっぽどレンタルさんの方がアンドロイドに近いんじゃなかろうかと思った。
時折、思い出したようにコーヒーをひとくち口に含む。読み始めてすぐは間隔が短かったけれど、徐々に、間隔が広がっていく。集中していると思っていいんだろうか。私の紡いだ物語の世界に一歩でも引き込めていたら嬉しいな、そんなことを思う。
にしても――本当に、表情が動かない。
読者の皆さんから「にやけてしまって電車で読めませんでした」という感想を多数いただくほどごってごてのあまあまに仕上がっている私の小説を読んで、ぴくりとも頬を動かしてくれないと、ちょっと自信をなくしてしまう。まだこれでも甘さが足りないのか、と。
まあ――こういう、ひたすら男の子と女の子が友達以上恋人未満の関係でいちゃいちゃするお話、好き/嫌い、合う/合わないはどうしても存在するから、仕方ないといえば仕方ないのだろうけど。
それでも、どうしても、力不足だなあと思ってしまった。
ツイートをしたりしながら、ひたすら、自分の作品が読まれるのを眺める。
レンタルさんはたまに唇を左→右の順に盛り上げるように動かす癖があるのを知った。ロボットじゃなくて人間なんだと安心する。
ところで、レンタルさんが明確に私の文章に対して何らかのフィードバックを返してくれたのは、観察に漏れがなければ一度きり。166ページ(あんまり珍しいのでメモってしまった)、血液型についての豆知識的なことを書いた部分で、なぜか、「うんうん」というように頷いていた。理系の人はやっぱりこういうところが気になっちゃうんだろうか。
……逆にいうとこれ以外、レンタルさんは読書中、にこりともしなければ首をかしげることもしなかった。私が不審者みたいにニヤニヤしながら書いていたのと対照的である。
また、レンタルさんがコーヒーをひとくち飲む。
観察されていたのは誰だ?
1時間も経つと、友人どもはこのシチュエーションに飽きてしまって、めいめいスマホをいじって好き勝手やっている。奥の奴なんてイヤホンを耳に突っ込んで動画を見始めていた。お前の隣に座っているのはフォロワー24万の男だぞ。
そんな惨状を写真に収めておきたくて横にスマホを向け、気付かれないよう無音カメラでぱしゃっと撮る。そして正面に向き直ると――
レンタルさんが、こちらをちらりと見ていた。
この時にはピンとこなかったのだが、帰りの電車でレンタルさんの本を読んで、DMでお礼のメッセージのやり取りをして、やっとわかった。
私が、一方的にレンタルさんを観察していたのではない。
私もまた、レンタルさんから、観察されていたのだ。
受け身のエンタメ感が、サービスの(利用者側ではなく)提供者側にもたらされるという稀有な仕事が「レンタルなんもしない人」なのではないかと、最近思うようになった。
――『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。』p.15
なんだ、そういうことだったら、もっと色々話をしたのになあ。"提供"したのになあ。惜しいことをしたなあ。
そういう思いもあって、きのうの補足の意味も込めて、記憶が新鮮なうちにこの文章を書いている。
忙しいだろうし、「なんもしない」の範疇を超えそうなことだったり話だったりは極力抑えた方がいいかな、なんて思ってしまって、色々と自分を抑制してしまっていたけれど。どうせお互い時間(私はお金もだが)を使うのだったら、もう一歩ずつくらい、互いに歩み寄ってもよかった。反省。
……というわけで、ちょっと遅いかもですが、2歩くらい歩み寄ったつもりで、きのう抱えた心情を吐露しております。兎谷あおいです。
帽子、意外とジャマ
レンタルさんが、1ページ、また1ページと紙をめくっていく。
最後の数ページでこんな体勢になった。それなりに力を入れて書いたラストシーンを読んでくれるレンタルさんに向けて、私が思ったことはひとつ。
目 元 が 見 え な い ! !
レンタルさんの本に「ワークキャップは防御力が高い」みたいなことが書いてあったのを後で読んだけど、ほんとうにその通りだ。口元はもともと動かないし、その上、目まで隠されてしまったら、もう表情が読み取れない。
しかたないので、ちょっと自分の体勢を崩して、下からやや覗き込む感じでレンタルさんのようすを観察していた。短時間だったので、店員さんに怪しまれてはないはずだ。
読み終えて
そうこうしているうちに、2時間と少しかけて本文を読み終えたレンタルさん。あとがき(1ページしかない)もじっくり読んでいただき、奥付をちらりと確認して(ここは読まなかった)、そして。こちらの様子を伺うように、視線を上げた。
用意していた台詞をぶつける。
「ありがとうございました。なんもしない範囲で、著者に言いたいこととかあれば、是非お願いします」
今思えば、予定より早く読み終えたわけだし、ここでもっとがつがつ言葉のキャッチボールをしても面白かったはずだ。私は「なんもしない」という字面に囚われすぎていた。
「そうですね……」
小説を一気に読むのは初めてで、ライトノベルじたいにもほとんど触れたことはなかったので完遂できるか不安だったができてよかった、とのこと。
可読性にはかなり気を使ってつくった作品だったので、直にこういうレスポンスをいただけるのはとても嬉しかったし、励みになった。2巻もがんばってつくりたいと思う。
お会計をして、解散です、と告げる。レンタルさんは、雨の降り始めた渋谷の街に消えていった。
"消費された"と"消費されている"
帰りの電車の中で、今日のできごとを思い起こす。まずはレンタルさんに、お礼の言葉を送ろうと思った。喫茶店を出てすぐくらいから、なぜか、不思議な満足感と幸福感が腹の底を満たしていた。
べた褒めされたわけでもないのに、他の読者さんにべた褒めされた時と同じくらい、幸せゲージが溜まっている。なんだろう、この差は。
今日のことをよくよく思い出してみるうちに、謎は解けた。
"消費された"ことを観測するのか、"消費されている"ところを観測するのかの違いなのだ、きっと。
思えば、最初に依頼のDMを送った時から、薄々、わかっていたのかもしれない。
小説の著者というのは、読者から言語化した後の「感想」を頂くことはできますが、読者がコンテンツに触れている瞬間の、言語にならない、生の「反応」を頂くのはとても難しい、というか原則不可能です。
1ページ1ページ、目の前で丹念に読まれるというのは、少なくとも、「あなたの書いた文章は読むに値するクオリティだ」「あなたの紡いだ物語は、読み続けられる程度には面白い」ということを示唆する。
まあ今回はちょっとばかりズルをしている(お金を払って依頼をしている)わけだけれど、とにかく、「目の前でじっくり読まれる」というのはそういうことだ。こういうシグナルが、毎秒入力される。
そして――思っていたよりずっと、この幸福感は、強力で、抗いがたいものだった。
それこそ、知人に目の前で自作を読まれる恥ずかしさと天秤に乗せてもいいかな?と考えてしまうくらいには。
今度は表情がころころ変わる友人で試してみようか。誰がいいかな、なんて考えながら、レンタルさんに出したお礼のDMはこんな文面だった。
レンタルさん、今日はありがとうございました。
「目の前で初対面の人に自作小説を読んでもらう」という貴重な体験ができ、また「本を読む人のしぐさ」もくわしく観察することができて、大変満足しています。
自分の作品がじっくりと消費されていくさまを眺めるのは、思った以上に甘美な時間であったことを言い添えておきます。
レンタルさんからのお返事は、すぐにやってきた。
こちらこそありがとうございました。著者の目の前で作品を消費するというのも貴重な経験でした。
そう――私たちが貴重な体験をしている裏側で、レンタルさんもまた、貴重な体験をしているのだ。
いいなあ。うらやましいなあ。
<こっそり宣伝>
レンタルさんに読んでいただいた、わたくし兎谷あおいの処女作はこちらになります。Kindle版もあるよ。
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