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算数 5年生の問題


【算数 5年生の問題】




きみはいつも、なんか、マグロとか、サメもそうだっけ。
ずっと泳いでないと死んじゃう魚みたいにしてるけど、
たぶん止まっちゃうのがこわいだけなんだよ。
止まっても息ができちゃうのがこわいの。

そう言いながら彼女は、いつものように、
丁寧に、たかしくんの身体に触れた。

わたしはさ、なるべくちっちゃい魚になって、
すごく遠くまでは行けないけれど、
そのかわり、どんな場所だって泳いでいける。
そういうふうにいたいって思ってる。

彼女は、たかしくんに触れ続ける。
それはいつも、すみずみまでやさしかった。

それに、ちっちゃい魚だってさ、
一生かけてすごい距離泳いだりするらしいし。
ほら、あれ。しゃけとか。

たかしくんの限界が近づいたのを察した彼女は、
あとで困らないようにして、たかしくんを安心させると、
「ん。」とだけ言って、
空いているほうの手で、たかしくんの手を握った。

そのあとで、たかしくんはそのまま眠ってしまった。



目を覚ましたのは昼過ぎだった。

部屋からは、彼女の姿が、すっかり消えていた。

多くはなかった彼女の荷物も、なくなってみると、随分広い部屋だった。



いや、しゃけって。
けっこうでかいやん。しゃけ。


そう言ってたかしくんは、時速25kmの速さで、42分間泣いた。

問1、

この時、たかしくんの悲しみの深さは、何kmか。




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「失恋の悲しみはいつだって、深さ100万kmだぜ!」

が正解。配点は5点。

言い回しが違ったり、最後のビックリマークを忘れると減点になるので注意されたし。


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その日からのたかしくんは、人がかわったようだった。
片時も止まることなく毎日を泳ぎ続けた。


部屋の隙間をうめるように、本やCDを買いあさった。
生活の隙間をうめるように、ギターを弾きまくった。

バンドは無理なツアーを組んだ。
夜勤のバイトをふたつ増やした。
明け方にようやく眠り、10時には働きはじめた。

やけを起こしたわけじゃなく、ただ止まったら息が苦しかった。


あいつは止まったら死ぬんだぜ。

なんて言われはじめたのは皮肉なもので、
ずっと泳ぎ続けている本人は、とっくに死んでるような顔をしていた。

ロックミュージシャンらしくはある。
早死にするタイプの、たかしくんが憧れていたタイプの。
ただ、なんこれ。こんな感じなのか?
ただ息が苦しくて、バタバタしてるだけじゃないのか?

考えれば考えるほど、また息が苦しくなった。


そんなたかしくんの状態とは裏腹に、バンドはどんどん好調になっていった。
たかしくんの生活は、結果的には、ものすごい努力の積み重ねだった。


バンドはライブを増やし、その度にさらにファンを増やし、仲間を増やし、作品やグッズを増やし、

たかしくんはバイトをもうひとつ増やした。

息が苦しい。

毎日気を失うように眠って、
目が覚めたら、頭に浮かぶのはそれだけ。

息が苦しい。息が苦しい。息が苦しい。

気づけばステージで歌っていて、
気づけば夜中の倉庫で荷物を運んでいて、
気づけば翌日ベッドで目を覚まして、

そしてそんな日々が3年間続いた。
たかしくんのバンドは、その年の夏に、念願のメジャーデビューを決めた。




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メジャーレーベルの方針でバイトを全部やめたたかしくんは、
生活の全てを注ぎ込むように、曲を作り、ギターを弾き、歌を歌った。
ライブは入れられるだけ入れた。
制作スケジュールを限界まで詰め込んだ。

どれだけ人気が出ても、
どれだけファンが増えても、
ずっと息は苦しいままだった。

このままじゃあいつ、壊れるぞ。

周りの誰もがそう言いだした。
それこそ、たかしくんが憧れてたロックミュージシャンみたいだ。
このままどこかで泳ぎ疲れて死ぬのか。

ずっと泳ぎ続けて、どこまで来れただろうか。
なにか見えたものはあっただろうか。
そんなことより、ただ、息が苦しい。
いつからかもうずっと、ただ、息が苦しい。

そして、ついに限界の時がきた。


「大切なお知らせ。
活動の方針の違いにより、この度Gtの……



「大切なお知らせ。
各々の進む先について話し合い、この度Baの……」


壊れてしまったのは、バンドのほうだった。

相次ぐメンバーの脱退。
人気の低迷。
契約の打ち切り。

そして最後に、

「こんなにずっと止まらず動き続けていくのは、
さすがに、息が苦しい。
わるいけど限界だ。ごめん。」

オリジナルメンバーだったドラマーが脱退の意思を告げて、バンドの解散が決まった。

唯一のメンバーとなったたかしくんは、
関係者への連絡や、最後のツアーの調整や、CDやグッズの在庫の処理や、大幅な赤字を支払うためのアルバイトに忙殺された。
そのおかげで、なんとか止まらずに泳ぎ続けることができた。


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息が苦しい、と思って、目が覚めたことに気づいた。
いつも通りの朝。
顔を洗い、朝食をとり、空いている時間はずっとギターを弾き続けた。

昼過ぎにライブハウスに向かい、リハーサルを終え、遅い昼食をとった。
空いた時間があれば、またギターを弾き続けた。

あとは、本番のステージに立ち、会場の清算を済ませ、軽い打ち上げをして、そのあとは。

そのあとの予定は、何もない。
これから先の、泳いでいく日々の予定は何もない。
たかしくんのバンドの、最後のライブの日だった。






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最後のステージの幕が開いた。
最後のフロアの景色が開けた。


地元の小さなライブハウス。
無名時代からお世話になり続け、巣立ったはずだったライブハウス。
最後だからとかけつけるファン。
見届けようとかけつけるバンド仲間。
それでギリギリのソールドアウト。今のバンドの精一杯。

期待よりなつかしむ気持ちで満ちたフロアは、
なんだか同窓会のようだった。

たかしくんはいつもの通り、精一杯歌った。
斬りつけるようにギターを弾いた。
その全部が空を切った。


皆おだやかに笑っていた。思い出を見る顔だった。


ああ、そうか、これは。

立ち止まってしまったバンドの見る景色だ。


これから立ち止まるんじゃなくて、
もう立ち止まってしまったバンドの。




息が苦しい。




息が苦しい。息が苦しい。息が苦しい。



歌いながら、ライブをしながら、そう思ったのは初めてだった。
泳ぎ続けているうちは、なんとか息ができたはずだった。


息が苦しい。息が苦しい。息が苦しい。


声が詰まった。
歌が途切れた。

演奏が止まった。




ざわつく会場。慌てるメンバー。
不安げなファンとバンド仲間たち。


あー。
ごめんな。最後なのに。
いつからかもう、止まるとだめで、息ができなくて。

せっかくみんな来てくれたのに。
久しぶりの、あいつも、あいつも、あの人も。

それから、あの人も、あの人も。


そうやって、ぼんやりと眺めたフロアに、



ずいぶんと、なつかしい顔を見つけた。



ええと、


まあ、いることもあるか。

やっぱり。最後だし。




不安げにでもなく、思い出を見るようにでもなく、
ただまっすぐこっちを見ている顔。

この会場で唯一、今の自分を見ている顔。


不意に、息がこぼれた。

こぼれた息が、言葉になった。

きみはいつも、なんか、マグロとか、サメもそうだっけ。
ずっと泳いでないと死んじゃう魚みたいにしてるけど、
たぶん止まっちゃうのがこわいだけなんだよ
止まっても息ができちゃうのがこわいの

口から出たのは、いつだったかの言葉だった。

わたしはさ、なるべくちっちゃい魚になって、
すごく遠くまでは行けないけれど、
そのかわり、どんな場所だって泳いでいける
そういうふうにいたいって思ってる


吐ききって、息を吸った。
吸った分だけ、また言葉が溢れ出した。

止まらなかった。
気づけばギターを弾いていた。


ドラムが乗ってきた。

ベースとギターが合わせてきた。


最後のステージの最後になって、
ようやくバンドが泳ぎ出した。


サメとかだいたいそんなんだっけ
いつも止まったら息ができなくなって、
死んじゃうような魚みたいに、
君は暮らしていくでしょう
だからなるべく小さな魚になって、
ずっと遠くへはいけなくたってね
どんな場所だって、どんな場所だって、
泳いでいける強さがほしかったな

にだんとばしで通り過ぎた、
夏休みみたいな日々のこと、
いちだんとばしでなぞってみても、
いつもなんどもすれ違うだけで、

最後の最後の合図みたいに、
空に上がった花火が全部、
余韻まで全部消えてく前に、
帰り支度の音が聞こえた
「逃げ遅れるなよ」なんて聞こえた

なるべく小さな魚になって
ずっと遠くへは行けなくたって、
ねじれてしまって通れなくなった、
もう戻れなくなった道でも、
ほんの少しの綻びを探して、
なるべく小さな魚になって、
どんな場所だって泳いでいける、
どんな場所だって泳いでいける、

なるべく小さな魚になって、

どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって、
どんな場所だって




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深夜2時。

たかしくんは、打ち上げを抜け出し、
いつものマンションへと帰る道をゆっくり歩いていた。
ライブのことは、ほとんど覚えてない。
ただ、久しぶりに、本当にいつぶりかに、
まともに息ができたような気がしていた。

明日からの予定は何もない。
何もなくても、不思議と何とも思わなかった。

まあ、どこへだって行けばいいか。
なんて思いながら、コンビニで夜食を買い、
マンションの階段を登って、

部屋の前に腰かける、ずいぶんとなつかしい顔を見つけた。
なつかしいというか、さっき久々に見たというか。


「……なにしてるんですか。」


「んん、ええとね、しゃけ。 
だめかな。」


「ずっと思ってたんやけどさ。」


「うん。」



「けっこうでかいやん。しゃけ。」



「うん。それわたしも思った。
けっこうでかいよね。しゃけ。」



「うん、本当に、けっこうでかくて、
ちょっと、だめだ。ごめん。」


そう言って、たかしくんは彼女のとなりにへたり込むと、
時速25kmの速さで、42分間泣いた。



彼女は、相変わらず、
丁寧にたかしくんの頭を撫でながら、


「かっこよかったよ。ライブ。」

なんて言うので、
たかしくんは、そのあとさらに12分間泣いた。




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たかしくんの新しい生活は、ゆっくりとはじまった。

2段とばしで過ごしてきた日々を、
今度は1段ずつ、踏み外さないように。

バンドも、また一から始めることにした。
彼女の、かっこよかったよ、が決め手になった。

そういえば、シンプルに、
自分はバンドが好きだったな、と思い出した。

そして、たかしくんは彼女と一緒に、
なるべく小さな魚になって、

少しずつ少しずつ、
確かめるように泳ぎはじめたのだった。




問2、

たかしくんの泳ぐスピードを時速3km、
たかしくんのバンドの再デビューを52560km先とした時、
たかしくんが、目標の地点に、
たどり着くまでにかかる時間は何年か。




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「おっと、野暮なことは聞くもんじゃねえぜ!」

が正解。配点は10点。

言い回しが違ったり、最後のビックリマークを忘れると減点になるので注意されたし。

知らない食材を買ったり、知らない美味しいものを食べたりしております。ありがとうございます。