この世界は漫画か
トランプ大統領候補暗殺未遂事件の犯人クルックスが、と書き出した時点でもうすでにあからさまな「作り物っぽさ」が感じられる。
娯楽ならこれくらいのドラマチックさがなきゃ、と誰かが考えて書いたっぽさがすごいのだ。
しかし、それを言うならそのレベルの出来事は過去何年も立て続けに起こっているではないか?
今回度々引き合いに出される安倍晋三暗殺事件もその類いだし、大谷翔平と水原一平事件なども本当に起きたのかいまだに信じがたい。
でも現実に大谷はあのつるっとした顔でホームランを打ち続けている。もうすぐまた投手としても復帰して大活躍するだろう。
ツール・ド・フランスでもポガチャルという漫画のキャラのような天才が今日も涼しい顔でゴールをさらっていく。
昨年のツールでも「漫画だ漫画!」とサッシャが叫んだレース展開があったが、それ以上のことが今年も平気で起きている。
まあしかし、そうは言っても。
いかに現実離れして見えても、それは錯覚であって、反対にとても漫画にはならないクソつまらない出来事も当然、無数に起きている。
堀江翔太の引退試合でもあったリーグワン決勝戦の、最後の最後で些細なミスでトライを取り消されるという展開の盛り上がらなさったらなかった。
あり得ないような偶然というのは、たまには起きる。
偏った現象がまったく起きなかったら、それこそ誰かが物事を平坦に保つチューニングをしているということでしかあり得ず、例えば飛行機事故というのは不幸な偶然が重なって起きることで発生するが、そんな事故があまりに連続して起きることがある、しかし、もし飛行機事故がだいたい均等な間隔で起きていたとしたら、それこそが「不自然」の証拠なのだ。
でもどうやらそういうことではないので、この世界は誰か(例えば神など)のコントロール下にはないらしいという、逆説。
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「存在論的並行世界」を論じた加藤夢三の本の中で、ある小説に同じ苗字の登場人物がなんの意味もなく出てくることについて、画期的なことと書いてあって重要な指摘だと思った。
そういうことで言えば、藤子・F・不二雄の「T・Pぼん」でも、白木陽子と白石鉄男という紛らわしい名前のクラスメイトが出てくるが別にその事になんの意味も持たせられていない。
だいたいぼんは白木さんとは時々家に遊びに行ったりする中なのにその後関係が何も進展しない。平凡な中学生の日常らしいと言えばらしいが、漫画なのだからもう少し面白く関係性を使ってくれても良いのにという所でもある。
しかしまあ、それはたぶん長い連載の中で方個性が変わっただけで要するに、作者側という現実のたまたまが反映しているだけなのだった。それも含めて作品と考えれば面白いと言えば面白い。