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スポーツにおける「◯◯別」について

スポーツ競技における「男女別」の公正さが議論の的になっている。
「男女別」自体に疑いはなく、絶対必要で、そこにアンフェアな越境が行われているのではないかという点が問題になっているようだ。

そもそもスポーツは、人間を色々な基準で「区別」してから行うものであり、そのあとは順位や勝敗で「序列」をつけるものである。

なので、誰もが差別なく平等に物事が営まれるべきという思想が主流になりつつある世の中とは、じつは真反対を行っているのがスポーツだと言えるかもしれない。

スポーツの世界では、「男女別」のほかに目立つ区別として、「体重別」というのがある。

また子供や学生のスポーツの多くは、学校制度に基づいて「年齢別」で行われていると考えていいだろう。
学年の境い目には微妙な違いがあったりするが、「アンダー19」など、誕生日で明確に分けることもできる。

さらに言うと、選手権大会というのは選手をあらかじめ「実力別」で区分してから行うものである。

国際的スポーツにはまず「世界ランキング」という、刻々変動するデータがある。
そしてオリンピックは、その選考期間において選手を様々なふるいにかけ、上位に残った者だけを広く世界中から集めて行う大会である。
そしてさらにその日の「強かった別」に上から順番をつける大会だと言える。

これらの「区別」は、公正な基準に基づくものでなくては、揉め事の原因になる。

「体重別」は数値化できるのでかなり公正だが、このような基準が他にあるだろうか。

例えば「身長別」で行ってはどうか。
バスケットボールやバレーボール、水泳、クライミング、走り高跳びなどは、明らかに身長で有利さが変わるのではないかと思う。

しかしそう単純ではないのかもしれない。
小柄な選手には身軽さや俊敏さという利点があり、先ほど挙げた競技のどれもが、身長の不利さを小柄だからこその有利さで補える側面を持っているのかもしれない。

やはりあらかじめ予選をしっかりやり、その競技ごとの総合的な「強さ」や「上手さ」をランキングしてから「選手権大会」を行なうのが最も公平なのかもしれない。
また極論だが、そうすれば「体重別」も「男女別」も必要ないのかもしれない。

だがやはり「男女別」だけは実施の面でどうしても撤廃できないだろう。

練習などでは実際、強化の目的で行われてもいるようだ。
とはいえ、柔道の男女の組み合いなどは、正式な試合としてはまあ無理である。

完全に男女が撤廃出来る競技が今後出てくることはあるだろうか。

じつはオリンピックでは唯一の例外があり、それは「馬術」である。
馬術には「男女別」という考えがないのだ。

現在は採用されていないが、モーターボートレースも男女別が全くない世界である。

ひょっとして今後「eスポーツ」や「ドローンレース」が採用されれば、そこにも男女別は設けられないだろう。

全競技に言えることだが、「監督」の性別という面白い問題もある。
男性の監督が女性の選手につくことはありふれているが(そもそも女性の監督というのが少ないのだが)、もちろん逆もあってよく、そこには区別の考えはない。

やや脱線するが、「男子」「女子」という言葉は日本語特有なのだろうか?
若い人であることは前提で、「社員」にもつくことがあるが、男子社員、女子社員というと、若手社員であることも同時に表す。

スポーツから離れるが、「男女別」には軍隊での問題もある。
自衛隊でも問題が生じた。
最近では芸人のやすこさんという人も女性自衛隊員の存在を印象づけている。
常にセクハラや性犯罪の問題、待遇や昇進などでの性差別問題なども抱えつつ、それはさておいて、例えば危険な作戦への投入において、男女が全く考慮されないか、それともされるか。
戦場で意味があるのは兵士としての実力のみであって、自分と同じ部隊には実力のある兵士が配属されて欲しいと思うかもしれない(部隊全体が生き残る確率が上がるので)。
もしくはもっと積極的に、「生物学的に」研究されているかもしれない(アドレナリンなどホルモンの分泌が戦果に及ぼす影響など)。
いずれにせよぞっとしない話である。

宇宙飛行士の男女編成の問題は、今後、火星進出などを踏まえて別の意味で重要な問題になってくるだろう。


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