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大拳闘西域記

「観自在菩薩…次こそは…天竺に、至らん…」
 玄奘は道半ばで息絶えた。
 三蔵、十度目の天竺取教の旅、成らず。

 西方十万億の仏土を過ぎた彼方、極楽浄土。
 観自在菩薩が嘆く。
 己の加護のみならず此度は沙和尚の助力で流沙河越えも成り、孫行者や猪五能の様な仏弟子の供も有った。其を以てしても叶わぬ不測の結末。
 悩める菩薩の姿をご覧になられた釈迦如来は憐れに思い、池の畔に新たに咲いた蓮華を蕾に戻されると遠くへと投げられた。

 西方浄土の更に遥か、西方へ。


 地下通路の前方には四角く切り取られた光。
 私は生まれてより幾度と無く見る夢を見ていた。
 十度繰り返された男達の無念と見知らぬ神々の嘆きの夢。
 呼吸を調え五体に巡らせ直すと私は歩み始めた。緩やかな坂路を進む毎に大きくなる地を揺さぶる歓声。
 光を、アーチを潜ると丸く切り取られた青空。午前の日差しは眩しく、思わず掌で光を避ける。

 円形闘技場。

 私は剣奴である。
 己がどの属州で生まれ育ったのかも定かでは無い。気付けば身寄りの無くなっていた私は売買され、行き着いた先は剣闘士養成所だった。
 私にはいずれ為すべき事がある。東へ迎えと心が知るのだ。
 そんな十人の男達の想いが生を長らえさせるのと同時に、私は無益な殺生を避け続けて来た。
 だがその闘い方が結果的に興業主の不興を買い、私は今日こうして余興の為に獣闘士として殺されようとしているのだ。
 足元には一柄の槍。私は其を手に取る事は無い。胸甲鎧も長盾も無く、身を包むは袈裟懸けにしたトガのみ。

 観客席の興奮が更に昂まった。闘技場中央部のエレベータが迫り上がって来たのだ。
 獅子の檻、にしてはあまりにも巨大。
 興業主の声が響く。
「帝の御前試合、前座の獣闘士戦と言えども決して退屈させませぬ!無手ながらも無敗の剣奴!サンゾウヌス!」
 構えを取る。
「対するはクレタの迷宮より捕獲されし…ミーノースの牡牛!」
 檻が内側から弾ぜ砕け、現れたるは牛頭の巨漢。

「…平天大聖!」

【続く】

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