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気仙沼チームと私

※以前の記事(私が幹部代だった時のチームの活動を紹介したもの)の続きです。

あれからチームは代替わりを経て、新しい三役の下でさらなる発展を遂げています。

彼らは依頼に応えるだけでなく、教育支援や他サークルとの交流など、チーム起点の新しい活動をどんどんスタートさせています。その根底には「私たちは気仙沼でまだできることがある、気仙沼の役に立てることがまだある」という信念があるように思えます。

チーム理念の変更からも新三役の考えが窺える

一方役職から離れた私は、そんな新チームの活気ある様子を嬉しく思いながらも、別のことを考えていました。

きっかけは元日の能登半島地震です。以前、発災から間もない段階で感じたことを投稿しています。

あれから、災害からの復旧に少しでも関われそうな業界への就職が無事に決まり、大学のボランティアで一度能登へも行きました。

珠洲市/4月下旬

能登でのボランティアを通して、感じたことがあります。それは「こんな簡単に誰かの役に立てるのか」という驚きです。

今までサークルで、気仙沼で何ができるかをずっと考えてきました。でもそう簡単には思いつかないし、思いついてもインパクトがイマイチ。。。一つの活動を起こすというのは、とても難しいことなのです。

しかし能登のボランティアでは、身一つ捧げて指示に応えるだけで、簡単に地域に貢献できてしまいます。この落差が、とても印象的でした。災害ボランティアは、決してハードルが高い活動ではない。そう感じる二日間となりました。

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今のチームは、既存の活動に加えて「新しく気仙沼で何ができるか」を模索しています。それはとても難しいことで、信念を持って挑む新三役は本当に素晴らしいと思います。

ですが私は「気仙沼での活動を土台に、他の被災地に貢献するサークル」として、他にもできることがあると思います。年間を通して気仙沼を訪れ、震災の記憶を学び、復興後の姿を見ている私たちは、例えば専門技能を必要としない災害ボランティアにふさわしい存在であるはずです。

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そんなことをメンバーに大真面目に話そうかと思いましたが、やめました。やはり災害ボランティアは個人の意思に依るべきだと思ったのはもちろんあります。でも、もし気仙沼に何かがあった時は真っ先に駆けつけるだろう彼らにこれを話すのは、なんだか釈迦に説法のような気がしたのも、また事実です。

能登、必ずまた行きます。

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