見出し画像

人生道草って言ってくれた人もいたなあ

夏のある日、息子を保育園へ送った時、園庭で一瞬目を離して、2秒経たずにまた戻すと、ほっぺに蚊がとまっていた。夏前から続く日常のお茶とご飯くらい普通な事なので「あっ」と思うよりも体が先に動いた。

頬をバチンとやるわけにもいかないので、人差し指でピッとやって追い払った。靴を脱ぎバルコニーへ上がると蚊がとまっただけのところがプチっと小さく膨らみ、周辺が赤くなっている。あの一瞬で食事を済ませたのか。

着替えやらコップやらの準備が終わると、息子は頬を気にする素振りもなく、集団の中に埋もれていった。夕方に家で「イーヤーやー、ヤーメーてー」という言葉だけが何故か聞こえない耳を持つママに、追いかけられてスーッとする薬を塗られる。これも日常茶飯事だ。

少し前、仕事でお付き合いのある方に、「お金でどうにかしようとするから幸せじゃなくなる」と言われて、重たい荷物を下ろした気分になった。

その時にどんな意図で言ってくれたのか分からないけど、当時、お金=ストレスと考えるようになってしまっていて、仕事とか趣味とか全部やめたいと思ってたときだった。その言葉をもらってからは、頭の中の仕事の割合いが減って、家族と過ごす時間が楽しくなった。僕にとって魔法の言葉であり、宝物のように大切な言葉だ。

毎月、給料から何万かを税金やら年金やらに削られて、家賃、携帯代、食費を払えば残った分は高校生のお年玉ほどもないくらいだ。そのうちのほとんどをさらに信頼できる家主(嫁)に納めてようやく、自由にできる小遣いが手元に残る。吹けば簡単に飛ぶような額だけれど、それでもあまり節約してる意識もなく、毎月数千円はプールできているので大したもの…と思うようにしている。お金を意識せずに楽しめる毎日はいい。

最近は、保育園の部屋の中までは入れないので、バルコニーから遊びに夢中になる息子を何度も大きめの声で呼んで、パパもう行くね、行ってきますと言う。電車のおもちゃで遊ぶ手を止め、そばまで掛けてきてタッチしながら「行ってきます!」と息子も大きな声で返してくれる。耳が悪いからか、他の子よりも声は大きめだ。「行ってらっしゃいやけどな」と保育士さんに突っ込まれながら、また元の場所にかけて行く。

息子と過ごす時間に、お金が欲しいとか死にたいとか、生きにくくなるようなことは一切考えないし、頭をよぎることもない。息子との時間が最も自然体でいられるんだと思う。お金で手に入らない幸せだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?