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76. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第12節「子供向け特撮ヒーロー作品の発展 前編」

 これまで3回にわたって東映テレビ・プロダクション設立から発展期までのテレビ映画作品をジャンル別にご紹介してきました。今回は、その中でも東映東京撮影所東撮)で大きく花開く子供向け特撮ヒーロー作品の始まりについてお話いたします。

① 東映子供向け特撮ヒーローテレビ映画の始まり

 日本の子供向け特撮ヒーローテレビ映画の記念すべき始まりは、KRテレビ(現・TBSテレビ)系にて1958年2月24日から始まった宣弘社制作大瀬康一主演『月光仮面』(1958/2/24~1959/7/5)です。ここからテレビでの仮面ヒーロー誕生しました。また、この大ヒット作品は武田薬品が一社提供し、第3部第9話から、後に円谷プロダクション制作『ウルトラマン』などが放映され「タケダアワー」(日曜19時~19時30分)と呼ばれる放送枠に移りました。
 この成功を見た東映は、早速1958年7月、東撮娯楽版映画として小林恒夫監督・大村文武主演の東映版月光仮面』を公開します。

1958年7月 東映『月光仮面』小林恒夫監督・大村文武主演 ©川内康範・東映

 宣弘社は『月光仮面』に続いて、初の宇宙SF特撮ヒーローテレビ映画NTV系にて三村俊夫(現・村上不二夫)主演『遊星王子』(1958/11/11~1959/9/4)を制作し人気を得ます。
 この作品も、1959年5月梅宮辰夫主演、若林栄二郎監督で東映版が2作品続けて劇場公開されました。

1959年5月 東映『遊星王子 恐怖の宇宙船」若林栄二郎監督・梅宮辰夫主演

 東映で仮面のヒーローが登場する初の子供向け特撮ヒーローテレビ映画は、東映テレビ・プロダクション京都撮影所京撮)で制作し、1958年12月2日西日本放送(RNC)で初放映された目黒ユウキ主演NET(現・テレビ朝日)系『風小僧』(1959/2/3~12/29)です。
 この作品で主人公の風の小六を助ける謎の仮面ヒーロー風の神」は山城新伍が演じました。山城は第二部から大人に成長した小六となります。

『風小僧』目黒ユウキ(右)山城新伍(左)

 そして、続く子供向け特撮ヒーローテレビ映画は、東撮作品、波島進主演NET系『七色仮面』(1959/06/03~12/31)でした。
 具体的な作品は、73.第4章「行け行け東映・積極経営推進」第11節「テレビ映画の飛躍 東撮前編」②子供向け特撮ヒーローテレビ映画の誕生(https://note.com/toei70th/n/n897ef6f27633)にて紹介していますのでご覧ください。

『七色仮面』

 東映はテレビ放送の黎明期から子供向け特撮ヒーローテレビ映画を制作しましたが、局サイドにとってテレビ放送のビジネス構造上、番組スポンサーの確保とその意向の反映は大変重要な課題でした。

 劇場版遊星王子』を手掛けた東映が初めて制作した宇宙SF特撮ヒーローテレビ映画松下電器提供『ナショナルキッド』(1960/08/04~1961/04/27)などは、スポンサーの名前を番組名やキャラクター名に取り入れた、今では考えられない企業広告番組です。

『ナショナルキッド』
『ナショナルキッド』

② 東映特撮専門チームの設立

 当時、『ゴジラ』(1954年)を始めとする特撮怪獣映画シリーズのヒットで1957年特殊技術課設立した東宝、『君の名は』(1953年)で円谷英二の協力を得て特撮を取り入れ成功した松竹、東京の特撮陣と京都の撮影陣が共同で取り組んだ歴史スペクタクル大作『日蓮と蒙古大襲来』(1958年)や東宝に対抗しSF特撮に挑んだ大映、大ヒットしたスペクタクル大作『明治天皇と日露大戦争』(1957年)や怪談映画シリーズを手掛ける新東宝、など特撮技術において東映は他社の後塵を拝していました。
 1959年第二東映の設立を目指し、新たな技術を取り入れたい大川博は、新東宝から上村貞夫松竹から矢島信男、二人の特撮技術者を東映にスカウトし、矢島の意見を取り入れ、8月には、京撮に技術会館及び特撮用巨大プールを建設し各種特殊機材もそろえます。
 上村東亜キネマ出身のベテランで戦前はカメラマンとして活躍、新東宝で『エノケンのとび助冒険旅行』(1949年)、『ブンガワンソロ』(1951年)、『戦艦大和』(1953年)などで特撮監督として腕を振るい、大学中退後松竹に入社し、円谷英二が顧問を務める大船撮影所特殊技術課に配属された矢島は、川上景司に師事し、木下恵介監督『野菊の如き君なりき』(1955年)、日仏合作映画イヴ・シャンピ監督『忘れえぬ慕情』(1956年)などで合成を担当していました。

1959年9月発行 社内報『とうえい』第21号

 そして「これからは特撮と動画の時代」と語る大川は、第二東映事業を始めた1960年6月特殊技術課設置課長に戦前の日活入社以来様々な会社で撮影技師として特撮を担当してきた小西昌三を就任させ、東撮小西の下に上村矢島、『ナショナルキッド』を担当した木村省吾、東映テレビ特撮の小川康男、そして矢島が招いた、後に円谷プロ『ウルトラマン』の造形デザインを担当した特撮美術の成田亨など、京撮では脇武夫係長に、特撮チームを組成しました。

1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号
1960年8月発行 社内報『とうえい』第32号

 矢島東映第1作は、小林恒夫監督高倉健主演『高度7000米 恐怖の四時間』(1959年)で、その後小林とは数多くの作品でコンビを組みました。

1959年9月 東映『高度七000米 恐怖の四時間』小林恒夫監督・高倉健主演

8月、東撮にも特撮プールが建設され、10月には特撮戦記映画『殴り込み艦隊』が公開されます。

1960年10月 東映『殴り込み艦隊』島津昇一監督・高倉健主演

 矢島は、京撮にて『旗本退屈男』シリーズや新設の特撮プールを使って『海賊八幡船』(1960年)の特撮を担当し、そこで後にテレビ特撮で数多くコンビを組むことになる助監督平山亨と出会っています。

 1961年、第二東映はニュー東映と名称を改め東撮現代劇が中心となり、7月公開、千葉真一扮するアイアン・シャープが活躍する特撮ヒーロー映画太田浩児監督『宇宙快速船』、10月公開の特撮映画日高繁明監督・梅宮辰夫主演『第三次世界大戦・四十一時間の恐怖』などが作られます。
 矢島が手掛けた『宇宙快速船』での特撮映像は、成田亨がメカニックの特撮デザインを担当し、1959年に作られた『遊星王子』と比べ格段に進歩したものでした。
 

『宇宙快速船』

 また、ニュー東映火山が噴火するオープニング矢島成田がミニチュアで作りました。
 https://www.youtube.com/watch?v=5dIZvdUMIVM

 矢島は、この年6月ニュー東映で公開された、同じく千葉主演の深作欣二初監督映画風来坊探偵・赤い谷の惨劇』も担当します。
 その後、上村東撮渡辺邦男監督『南太平洋波高し』(1962年)、京撮今井正監督『武士道残酷物語』(1963年)、田坂具隆監督『越後つついし親不知』(1964年)、東撮小西の協力も得て内田吐夢監督『飢餓海峡』(1965年)の洞爺丸遭難のミニチュアワークなど、東西両撮影所で作られる大作の特撮パートを担い、一方の矢島は、東撮小林恒夫監督『八月十五日の動乱』(1962年)、深作監督『ジャコ万と鉄』(1964年)などの映画の特撮を受け持ちました。


 大川が行った特撮技術者の招聘特殊技術課の創設は、映画でこれまでできなかった映像表現を可能にするとともに、この後、子供向け特撮ヒーローテレビ映画大きく花開きます

③ テレビアニメ映画によるキャラクター商品化権ビジネスの始まり

 番組を視聴する方々がCMを見て商品を購入することを期待して企業は番組提供スポンサーとなります。子供番組のスポンサーは主にお菓子などの食品メーカーがつきました。
 日本初のテレビアニメ手塚治虫虫プロ制作フジテレビCX)系『鉄腕アトム』(1963/1/1~1966/12/31)は明治製菓(現・明治)がスポンサーでした。
 そしてこの作品から、商品化権の概念を導入し©表示が始まります。セイカノート(現・サンスター文具)などが鉄腕アトムキャラクター画像使用許可を得て文具などを制作、ここから、制作費の赤字を商品化権料で補填し、利益を生み出す制作システムが誕生、日本での著作権表示始まりました。

 明治のマーブルチョコに入っている鉄腕アトム転写シールが大人気で、飛ぶように売れます。またその後、TCJ動画センター(現・エイケン)制作丸美屋提供TBS系『エイトマン』(1963/11/7~1964/12/31)でもエイトマン転写シール入り丸美屋ふりかけのりたまが大ヒットしました。

 東映では、当時子供向け実写テレビ映画は制作されず、東映動画にて森永製菓提供NET系『狼少年ケン』(1963/11/24~1965/7/12)が始まり、キャラクターシール入りまんがココア、続いてキャラクターシール入り粉末のまんがジュースが発売され、好調に売れます。このようにキャラクターシールが大変な人気となり、家のタンスや冷蔵庫などいたるところに張られてはがすのが大変でした。

狼少年ケン ©東映アニメーション

 続く藤沢薬品(現・アステラス製薬及び第一三共ヘルスケア)提供NET系『少年忍者風のフジ丸』(1964/6/7~1965/8/28)では、スポンサー名からタイトルのフジ丸が決められました。薬品メーカーなので、ノイビタなどの販促キャンペーン用にキャラクターソフビやうちわが使われます。

少年忍者風のフジ丸 ©東映アニメーション

 アニメで培われた、テレビキャラクターと連動した商品化権ビジネスは、東撮で作られる実写子供向け特撮ヒーローテレビ映画に活用され、東映の将来を担う大きな展開が始まります