Obbligato:社内報に見る「東映の支柱」⑥
「塗装部さん」(社内報『とうえい』1961年2月25日発行第38号)
前回で第4章が終了しましたので、昨年の6月20日以来、久しぶりの『社内報に見る「東映の支柱」』を掲載いたします。
1958年に始まった社内報『とうえい』では、3年間ほど、全盛期の映画を支える縁の下の力持ち、各事業所で働くプロフェッショナルな従業員たちの姿を取材した「東映の支柱」という特集コーナーがありました。
ブログ『東映行進曲』の中で、この「東映の支柱」記事を再掲載するとともに、改めてそれらの事業所で働いてきた方々にインタビューし、今に至る歴史も交えながら紹介するコーナーが『社内報に見る「東映の支柱」』です。
これまで「大道具さん」「馬方さん」「殺陣師さん」「衣裳さん」「小道具さん」などを書いてまいりました。
今回は「東映の支柱・塗装部さん」をご紹介いたします。ここでは東京撮影所第二装置係が舞台です。
大工さんたちによって組み上げられたセットや造形物などに塗料を塗って、よりリアルに仕上げるのが塗装部さんたちの仕事です。
ページが縦に別れて文章が読みにくいのでここに再記述いたします。
作業の大略
① デザイナーとの打ち合わせ
(1)作業内容の説明
(2)使用色別の打ち合わせ(ガン吹き塗り、オガ屑叩き塗り、砂壁、平塗汚し作業等々)
② 塗料の作成
(1)使用色に応ずる顔料の漬け込み
(2)使用色に応じての調合
③ セットの塗り込み作業
(1)壁塗り作業(平塗、モルタール、叩き塗り
(2)木地廻り及び建具塗り作業
(3)特種石膏塗り作業
(4)汚し作業
(5)建具のクモリかけ作業
塗料や機材の種類は増えましたが、今も塗装作業の内容は変わらず、プロの職人技が必要とされます。
皆さんは、映画やテレビドラマの冒頭、「この作品はフィクションであり、実在するものとは何等関係ありません。」というコメントを見ることが多いでしょう。
映画やドラマはあくまでフィクション。特に時代劇など、誰も見たこともない世界を本物らしく作り上げる。「違和感なく自然に見える」こと、映画美術が長年に渡って積み重ねて来た技術の目指すところであります。
美術の担当者たちは、作品に描かれる架空の世界を構築するため、実際にある建物を装飾して飾り変えたり、新たにセットを作り、重くて運べない造形物を軽い素材で作り直したりします。かつての巨匠映画のように本物にこだわる映画は別にして、ほとんどすべての撮影では、予算もかけられず、時間もありません。その際、違和感のない映像を撮るためになくてはならない部門が「塗装」なのです。
なかでも「作業の大略」の③の(4)の「汚し」は、塗料の知識とペインティング技術を駆使し、新品の木材や板を時代の経たそれらしい古い柱や壁に見せる「エイジング」、とも呼ばれる特殊技術です。時代劇作品を多く扱う京都撮影所では至る所でエイジングが必要とされます。
人間の目は違和感を見分ける能力が高く、特にハイビジョンなどによって画面が高精細になった現在、フィクションを自然に見せるためには高い技が求められます。
京都の太秦には「マッちゃん」の愛称で知られる、汚し、エイジングの専門家がいます。池端松夫さん、長年にわたり東映京撮で修業を積み、数多くの作品に参加。腕を見込まれ映像京都の大作も手伝い、現在は松竹でも活躍する、太秦の撮影所になくてはならないベテラン職人です。その風貌から「太秦のミックジャガー」と呼ばれることもあります。
池端さんのキャリアは、1963年、15歳の時に当時の装置係長で宮大工出身の頭領加藤貞雄に誘われて東映京都撮影所(京撮)美術部へ見習いとして入り、セットに置かれた道具類やごみの片づけることからはじまりました。
20歳の頃、当時京撮を代表する美術デザイナーだった鈴木孝俊に頼まれてセットの汚しを手伝います。そこで鈴木自ら汚しをかけたセットが命が吹き込まれたように変わってゆく姿を目の当たりにし、汚しの専門家になることを決意したと、圡橋亨監督の著書『鳴呼!活動屋群像』に書かれています。それまでの東映の汚しは、背景の職人が手の空いた時に行っていた程度で、大映のように専門家はいませんでした。時代劇全盛期の東映時代、せっかく作って明るくきれいに塗り上げたセットを汚すことはむしろやってはいけない事、タブーだったとも聞きます。
『鳴呼!活動屋群像』によると、その後、池端さんは鈴木の後をついて回り、セットの汚しを学ぶとともに、台本を読み、試写室へ行ってラッシュも見て研究することも行い、汚しの面白さにどっぷりとはまって行ったそうです。そこで鈴木は、池端さんの東映の仕事の無い日を聞いて、本格的に汚しを行う大映に修業に出します。大映では『羅生門』や『雨月物語』を担当した名人番場(ばんば)正夫のもとで汚しの手伝いを行い、汚しに厳しく注文を付ける名カメラマン宮川一夫と番場のやり取りなどを直接見聞きするとともに色の塗り方など様々な技術を学んだそうです。
そして池端さんは、30歳になった1978年に『柳生一族の陰謀』の撮影で使われる、発泡スチロールで作った巨大な摩崖仏の塗装を任され一本立ちして以来、現在まで数多くの映画、テレビ作品の塗装及び汚しを腕一本で手掛けてきました。1月に公開されました『レジェンド&バタフライ』でも汚しに参加した御年79歳、バリバリの現役です。
ある作品では、美術デザイナーの井川徳道さんから朝から夕方まで一日中地面に移る自分の影を観察させられたこともありました。その時、時間によって影の色と形が変わること、黒にも様々なグラデーションがある事を知ったと言います。
池端さんは独自の塗装器具を手作りしています。その器具を使ったひと塗りで普通のベニヤ板は立派な木目板に変わります。それはまるでマジックをみているかのようです。
ベニヤ板も塗装をすると石に変わり、カポック(撮影所では発泡スチロールはカポックと呼ばれています)で造型された仏像も、塗装し汚しをかけることで命が吹き込まれます。
池端さん曰く、「時代劇はどっしりとした色の重量感が大切、照明の当て方によって色目が変わるため照明技師との話し合いも欠かせない。」など、池端さんの色に関するこだわりは強く、その深い知識に驚きます。「自分の財産は若い頃から積み重ねて来た色の記憶と経験であり、その手法は真似できても色に対する感性と出し方は他の誰にも真似ができない」とも語ります。
池端さんの技術は次の世代の人々にも受け継がれてゆきます。技術を学びながらそれぞれの工夫を凝らし、経験を重ねる中で新たな技術を生み出し、それがまた次の世代に伝わって行く。撮影所はそんな様々な分野の技術者たちが集まり、集団で一つのものを作ってい行く工場でもあります。
撮影所にある造型物
また、お墓や道端のお地蔵さんについたシミは塗装で、苔は青のりを使って表現します。先人から伝わる技術です。
京都の撮影所では、数々の経験を積んだ池端さんの手で、今日も新しい柱が古い柱に生まれ変わっていきます。撮影所の汚し、それは時を作る仕事なのです。