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116.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

第8節「洋画部の躍進 角川映画との連携 前篇」

5.角川春樹、日本映画界に新風

 1975年角川書店社長に就任した角川春樹は、翌1976年角川春樹事務所を設立、映画製作に乗り出しました。
 角川春樹事務所は、第1弾として横溝正史原作『犬神家の一族』を出資にも応じた東宝配給で製作公開することを決めます。

 横溝正史は、戦前から活躍した推理小説家で、1971年から角川文庫が大々的に売り出し、1974年頃には「横溝ブーム」が語られるベストセラー作家でした。
 横溝金田一耕助シリーズは、東映でも片岡千恵蔵が演じた『獄門島』、高倉健の『悪魔の手毬唄』など8作映画化しており、1975年には東宝が協力したATGにて高林陽一監督『本陣殺人事件』が公開されています。

 『犬神家の一族』の製作発表時、東映洋画配給部原田宗親は、第2作森村誠一原作『人間の証明』の配給会社がまだ決まっていないことを聞きました。東映は早速その配給権を獲得するべく角川事務所と折衝を始めます。

 角川は、10月の『犬神家の一族』公開に向け、大量のテレビスポットCMを投入するなどこれまでの日本映画にはない大規模な広告キャンペーンを展開しました。結果、配給収入配収15億5900万円1976年度日本映画第2位)という大ヒットを記録します。角川春樹は日本映画界に旋風を巻き起こしました。

 『犬神家の一族』公開後、東映営業部長兼洋画配給部長鈴木常承は、新幹線の中で偶然、東映京都撮影所京撮)へ『実録共産党』の企画の譲渡を依頼するべく岡田茂を訪ねる途中の角川に会います。
 そこで再度『人間の証明』の配給請負をお願いした鈴木は、その場にて角川本人より了解を得ました。 

1977年1月発行 社内報『とうえい』第198号

 1977年4月東宝東宝映画で製作した横溝正史原作『悪魔の手毬唄』を公開します。
 角川春樹事務所が企画として参加したこの作品は、前作『犬神家の一族』と同じ市川崑監督、主役の金田一耕助役を石坂浩二が演じ、配収は前作の約半分の7億5500万円でしたが堅実にヒットしました。

 続いて東宝は、8月、前2作と同じ市川監督、石坂主演で製作した横溝正史原作『獄門島』(ごくもんとう)を公開します。原作とは犯人が異なる設定で作られたこの作品も、堅実な成績を残しました。 

 松竹野村芳太郎監督が、横溝正史から『八つ墓村』を映画化する承諾をもらっていたこともあり、角川春樹は『八つ墓村』の映画化を松竹に承認していました。
 映画製作に乗り出したい角川は、『八つ墓村』を角川映画第1弾とするべく松竹に出資と製作への関与を打診しますが、断られてしまいます。
 松竹の単独製作となった『八つ墓村』は撮影が大幅に遅れてしまい、角川東宝と提携し製作した『犬神家の一族』が先に公開されることとなりました。
 9月松竹が公開した『八つ墓村』は、先行した角川映画が仕掛けた横溝ブームに加え、「たたりじゃー」というキャッチコピーが大流行し、配収19億円8600万円と『犬神家の一族』を大きく上回る大ヒット1977年日本映画配給収入第3位を記録します。

 一方、角川映画第2弾人間の証明』は、東映東京撮影所東撮)出身佐藤純彌の監督で日活撮影所にて撮影され、東映洋画が配給、都市部は東宝洋画系TYチェーン)、地方は東映系にて興行、という日本映画界初の組み合わせでの公開が決まりました。
 書籍、テレビ、映画で大々的に宣伝展開する角川メディアミックス戦略による「読んでから見るか、見てから読むか」のキャッチフレーズは大きな話題を呼びます。
 そして、松竹八つ墓村』の大ヒットもあり、それに対抗する角川映画人間の証明』の公開にまずます注目が集まりました。

1977年9月発行 社内報『とうえい』第206号

 10月に公開された『人間の証明』の配収は『八つ墓村』を大きく超える22億5000万円大ヒット1977年度日本映画配給収入第2位となります。
 ジョー山中が歌った主題歌大ヒットしました。

1977年10月発行 社内報『とうえい』第207号

 人間の証明』の大成功により角川春樹から信頼を得た東映洋画配給部は、日本映画界台風の目として活躍を始めた角川と二人三脚で歩み始めます。

 1977年日本映画界は、当時の日本映画歴代配収新記録を打ち立てた東宝配給『八甲田山』を筆頭に、第2位東映配給『人間の証明』、第3位松竹配給『八つ墓村』と、多額の製作費をかけた一本立て大作興行成績上位を占めました。

 1977年度日本映画配給収入上位
 第1位 東宝 『八甲田山』 25億900万円
 第2位 東映 『人間の証明』 22億5000万円
 第3位 松竹 『八つ墓村』 19億8600万円
 第4位 東映 『トラック野郎 天下御免』他 12億8200万円
 第5位 東映 『トラック野郎 度胸一番星』他 10億9600万円

 また、この年は、1965年を除き1956年から続いた東映日本映画会社配給収入日本一東宝へ移るなど日本の映画業界における大きな変化の年となります。

 1978年2月東宝石坂浩二主演金田一耕助シリーズ第4作東宝映画製作市川崑監督『女王蜂』を公開しました。
 角川春樹事務所が企画として参加したこの作品も配収7億9600万円とヒットし、横溝ブームは続きます。

 この年、角川春樹は、角川映画第3弾として森村誠一原作『野性の証明』を佐藤純彌監督、高倉健主演で映画化、東映からはプロデューサーとして坂上順が参加しました。
 東映は、日本ヘラルド映画に協力し配給を担当します。 

1978年9月発行 社内報『とうえい』第218号

 10月に公開され、薬師丸ひろ子が鮮烈な映画デビューを飾った『野性の証明』は、21億8000万円の配収を記録する大ヒット1978年度日本映画配収第1位に輝きました。

 1978年度日本映画配給収入上位
 第1位 日本ヘラルド/東映 『野性の証明』 21億8000万円
 第2位 東映洋画 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士』 21億円
 第3位 東映 『柳生一族の陰謀』 16億2100万円
 第4位 松竹 『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』他 12億2800万円
 第5位 東映 『トラック野郎 男一匹桃次郎』他 11億1600万円
 

 映画界参入以来、角川春樹は『犬神家の一族』『人間の証明』『野性の証明』と大ヒット映画を連発し、日本映画界新しい風を吹き込みました。
 その新風を受けた映画会社各社は角川との関係を深めて行きました。

6.東映、角川春樹との連携拡大

 1979年1月東映は、角川春樹をプロデューサーとして製作に迎え、東京撮影所東撮)にて斎藤光正監督で撮影した横溝正史原作『悪魔が来りて笛を吹く』を公開します。

1979年1月東映『悪魔が来りて笛を吹く』角川春樹、橋本新一製作・野上龍雄脚本・斎藤光正監督・西田敏行主演 ©東映

 東映はこれまで横溝正史原作金田一耕助シリーズ映画8作製作していました。
〇 片岡千恵蔵:金田一耕助
 ①1947年12月公開東横映画三本指の男松田定次監督(原作『本陣殺人事件』)

1947年12月東横映画「三本指の男」松田定次監督・片岡千恵蔵主演

 ②1949年11月公開東横映画獄門島』(ごくもんじま松田定次監督

1949年11月東横映画『獄門島』松田定次監督・片岡千恵蔵主演

 ③1949年12月公開東横映画獄門島 解明篇松田定次監督
 ④1951年11月公開東映八ツ墓村松田定次監督(原作『八つ墓村』)

1951年11月東映『八ツ墓村』松田定次監督・片岡千恵蔵主演

 ⑤1954年4月公開東映吹悪魔が来りて笛を吹く松田定次監督

1954年4月東映『悪魔が来りて笛を吹く』松田定次監督・片岡千恵蔵主演

 ⑥1954年8月公開東映犬神家の謎 悪魔は踊る渡辺邦男監督(原作『犬神家の一族』)

1954年8月東映『犬神家の謎 悪魔は踊る』渡辺邦男監督・片岡千恵蔵主演

 ⑦1956年4月公開東映三つ首塔小林恒夫小沢茂弘監督

1956年4月東映『三つ首塔』小林恒夫・小沢茂弘監督・片岡千恵蔵主演

〇 高倉健主演
 ⑧1961年11月公開東映悪魔の手毬唄渡辺邦男監督

1961年11月東映『悪魔の手毬唄』渡辺邦男監督

 今回、久しぶりに東映で映画化される金田一耕助シリーズの原作者横溝正史は、『悪魔が来りて笛を吹く』の宣伝CMに出演し「私はこの恐ろしい小説だけは映画にしたくなかった。」と語り、話題となります。

1978年12月発行 社内報『とうえい』第221号

 『悪魔が来りて笛を吹く』は横溝のキャッチフレーズ効果もあり、配収7億3000万円とヒットしました。

1979年1月発行 社内報『とうえい』第222号

 4月東映は続けて角川春樹を頼み、東撮にて高木彬光原作『白昼の死角』を製作、公開します。

1979年4月東映『白昼の死角』角川春樹、橋本新一製作・神波史男脚本・村川透監督・夏木勲主演 ©東映 

 キャッチフレーズは「狼は生きろ。豚は死ね。東映が製作したこの作品の配収も6億1000万円とまずまずの成績を残しました。

1979年4月発行 社内報『とうえい』第225号

 これまでの実績で角川から信頼を得た東映洋画配給部は、角川春樹事務所製作の2本の映画、7月公開第4弾横溝正史原作・大林宜彦監督・古谷一行主演『金田一耕助の冒険』、8月公開第5弾大藪春彦原作・村川透監督・松田優作主演『蘇える金狼』の配給を担当します。

 『蘇える金狼』には元日活所長東映芸能ビデオ嘱託プロデューサー黒澤満(みつる)が制作協力しました。

1979年7月発行 社内報『とうえい』第228号

 この作品は、テクニカルアドバイザーとしてトビー門口を起用し、ガンアクションに力を入れます。松田優作はトビーと共にハワイで1週間にわたり実弾を撃つ訓練を行い撮影に備えました。 

 第5弾『蘇える金狼』も配収10億4200万円を上げ大ヒットします。

 この年12月角川春樹事務所第6弾として半村良原作『戦国自衛隊』を斎藤光正監督・千葉真一主演にて公開しました。
 この作品は東宝が配給、宣伝東映洋画配給部が担当し、制作には京撮から長岡功が呼ばれます。
 『戦国自衛隊』は、配収13億5000万円を上げ、この年の日本映画配収第9位となりましたが、巨額の総製作費は収支を圧迫しました。
  
 続いて角川春樹事務所第7弾としてTBSと共同で小松左京原作『復活の日』を深作欣二監督、草刈正雄主演にて製作。1980年6月東宝が配給公開します。
 オリビア・ハッセ―ジョージ・ケネディをハリウッドより招き、アメリカや南極でロケを行った大作は、この年日本映画配収第2位となる24億円大ヒットを記録しました。
 しかし、『戦国自衛隊』を大きく上回る製作予算を組んで臨んだにもかかわらず、さらに大幅に撮影経費が拡大したため赤字となります。
 この結果、角川大作主義路線から撤退を発表。以降、スターを前面に押し出した2本立てプログラムピクチャー路線転換しました。

 7月、角川の秘蔵っ子薬師丸ひろ子は、キティフィルム東宝と製作した相米慎二監督『翔んだカップル』に出演します。
 この作品で薬師丸アイドルスターとして若い男性の注目を集めました。

 10月角川東映と共同製作した、大藪春彦原作・村川透監督・松田優作主演『野獣死すべし』を公開します。

 角川の前作『蘇える金狼』に続き、この映画も黒澤満が制作協力しました。

1980年9月発行 社内報『とうえい』第242号

 この作品には、東映角川共同製作のコメディ映画斎藤光正監督・中村雅俊主演『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』が同時上映されます。配収は7億3000万円でした。

1980年9月発行 社内報『とうえい』第242号

 1981年3月角川は再び東映と共同で話題作片岡義男原作『スローなブギにしてくれ』を 藤田敏八監督、浅野温子主演にて製作公開します。

 東映洋画配給の一本立てで臨んだこの映画は、配収3億8500万円に終わりました。

 『復活の日』の赤字からアイドル路線に舵を切った角川春樹は、この後、薬師丸ひろ子を売り出し、日本映画界に更なる一大旋風を巻き起こします。

トップ写真:『人間の証明』初日 日比谷映画劇場前:左から松岡功(東宝社長)・角川春樹(角川書店社長)・岡田茂(東映社長)

 来週はお正月のためお休みさせていただきます。
 そのため次回記事は1月9日になります。
 皆様、今年もお世話になりました。
 ありがとうございました!
 来年もよろしくお願い申し上げます。
 よいお年をお迎えください。