見出し画像

65. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第10節「東映100年に向けて 次なる事業への取り組み ②」

 大川博が手掛けた新事業、今回は東映フラワー(現・東映建工)東映貿易(2012年9月末解散)をご紹介いたします。

④ 観葉植物レンタル業:東映フラワー

 多角経営を目指す大川は、1962年9月20日、ニュー東映の商号を変更して、銀座の東映本社5階に花卉・観葉植物の栽培・販売・賃貸、店内装飾を請け負う株式会社東映フラワーを設立しました。

1962年9月発行 社内報『とうえい』第56号

 10月3日には東京撮影所の向かい、東映動画側にあったオープンセットの一画に、八丈島産観葉植物を栽培するビニールハウスと鉢植する作業所を竣工。そこで、従来の瀬戸物の植木鉢とは違い、新潟県の山下農園が考案したオフィスや洋間にフィットするプラスチック製植木鉢の在庫商品を使用して貸鉢業を始めます。

1962年10月発行 社内報『とうえい』第57号

 時代を先取りした観葉植物レンタル業は、営業努力もあり、百貨店、銀行、ホテル、病院、飲食店など洋風建物の装飾として需要が徐々に拡大して行きました。

1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号

 やがて貸鉢業ばかりでなく、出入りの百貨店などの年末店内装飾を手掛け売り上げが倍増して行きます。 

1965年10月発行 社内報『とうえい』第91号
1965年11月発行 社内報『とうえい』第92号
1966年12月発行 社内報『とうえい』第106号

 1967年5月、1966年度下期営業好成績の結果、東映不動産などと共に大川社長より優秀事業所表彰を受けました。

1967年5月発行 社内報『とうえい』第111号

 景気の上昇と共に装飾事業はますます拡大して行きます。

1967年10月発行 社内報『とうえい』第116号

 店内外の一般装飾でも実績を積み、1967年度下期優秀事業所表彰を受けました。

1968年5月発行 社内報『とうえい』第123号
1969年2月発行 社内報『とうえい』第132号
1969年4月発行 社内報『とうえい』第134号

 貸鉢から、店内外装飾造園と徐々に対応業務を拡大し、販路を広げることで売り上げが伸び、1968年度下期優秀事業所表彰を受けます。

1969年5月発行 社内報『とうえい』第135号

 6月には増資してさらなる業務の拡張を目指しました。

1969年6月発行 社内報『とうえい』第136号

 業績の好調により、社内報でもたびたび取り上げられます。

1969年7月発行 社内報『とうえい』第137号

 見本市など展示会施工にも乗り出し積極的に営業を進めることで、1969年度上期優秀事業所表彰されました。

1969年11月発行 社内報『とうえい』第140号

 1970年3月、施設を拡張することでこれまで業者に委託していた大鉢部門直営化し、よりきめ細かいサービスを行うとともに、広がる装飾需要に対応するため、装飾部門は逆に業者を活用営業活動拡大する体制を構築します。

1970年2月発行 社内報『とうえい』第143号

 5月、前線で営業を率いて来た常務の浜野博専務に就任。大鉢の直営、装飾部門の拡充により、営業がさらに拡大したことで1970年度上期優秀事業所表彰に選ばれました。

1970年11月発行 社内報『とうえい』第152号

 また11月には装飾部門で、内装工事に進出し大口の受注を獲得、無事完工します。

1970年12月発行 社内報『とうえい』第153号
1970年12月発行 社内報『とうえい』第153号

  貸鉢業から始まった東映フラワーの装飾部門が総収入の4割を占めるようになりました。

1971年3月発行 社内報『とうえい』第156号

 1970年下期も装飾部門の伸長によって高収益を上げ、1971年5月、上期に引き続き優秀事業所表彰を受けました。

1971年6月発行 社内報『とうえい』第158号

 1971年8月17日大川博東映社長逝去します。
 大川は東映フラワーの社長も兼務していたため、8月26日、新たに岡田茂東映新社長が社長就任しました。
 岡田体制になってからも引き続き、浜野専務の下、装飾部門が拡大して行きます。

1972年2月発行 社内報『とうえい』第163号

 1971年度下期も優秀事業所に選ばれた東映フラワーは、装飾業務の拡大を目指し、1972年8月1日、社名を株式会社東映インテリアと改称しました。

1972年8月発行 社内報『とうえい』第168号

 東映インテリアは装飾部門を増々拡大し、1996年7月、現在も東映グループの一員として建装部門を担う株式会社東映建工に商号を変えます。

 東映フラワーからはじまり、東映インリテリア、現在の東映建工へと発展したこの会社も大川博が始めた新規事業でした。

⑤ 東映貿易

 1959年8月、大川はM&Aによって広告代理店、東映商事株式会社を設立しました(⑳第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」第4節「大川博のM&A 広告業篇」参照)。
 1961年9月には、商事会社としての本格的な稼働を目指すべく、これまでの劇場CM、テレビCM、PR映画の3部門に加え、貿易部門を立ち上げます。
 1962年1月の年頭あいさつで、大川は貿易事業の開始と場合によっては東映商事から東映の直事業へ移す可能性について述べました。

1962年1月発行 社内報『とうえい』第48号
1962年1月発行 社内報『とうえい』第48号

 1963年の年頭あいさつでも多角経営の活発化の項目でまず始めに貿易事業の活発化について語ります。

1963年1月発行 社内報『とうえい』第60号
1963年1月発行 社内報『とうえい』第60号

 大川の言葉を受けて、東映商事専務の堀保治も貿易業務の拡大、一大商社への決意を語りました。

1963年1月発行 社内報『とうえい』第60号

 1963年3月、大川は東映商事のゲバルト社フィルムを輸入していた貿易部門を分離独立させて、東映貿易株式会社設立しました。
 東映の外国部と連携し、ゲバルトフィルムの輸入販売以外に8ミリ映機部が担当していた東映トーキー8ミリ映写機の輸出、物資や食品の輸出入などを手掛けて行きます。

 9月1日、ベルギーのゲバルト写真工業との間に輸入及び国内販売総代理店の契約を締結します。

1963年10月発行 社内報『とうえい』第69号

 東映貿易は設立当初の9名から年末には30名ほどの人員が揃い、産業機械の輸入など業務を拡大して行きました。

1963年12月発行 社内報『とうえい』第71号

 1964年の年頭あいさつで大川は貿易事業の好調と今後の拡大への期待を述べます。

1964年1月発行 社内報『とうえい』第72号

 引き続き順調に業績を伸ばす東映貿易は、1965年3月、資本金を4倍に増額、事業規模の拡大を目指します。

1965年3月発行 社内報『とうえい』第85号

 売り上げ拡大に向けて中国との貿易にも取り組みました。

1965年10月発行 社内報『とうえい』第91号

 年商8億円まで伸び、フィルム部門映機部門食品部門物資部門に加えて機械部門も大きく成長しました。

1965年11月発行 社内報『とうえい』第92号

 1966年の新年の抱負にて鈴木敏夫常務は年商12億円の目標を掲げていると語ります。

1966年1月発行 社内報『とうえい』第94号

 目標達成を目指し、東映貿易は取引先を拡大するとともに様々な分野の取扱品目をどんどん増やしていきました。

1967年8月発行 社内報『とうえい』第114号
1968年4月発行 社内報『とうえい』第122号

 良い成績を残し、経営も安定。1968年5月、創業満5年にして初めて前年度下期優秀事業所の表彰を受けます。
 食品部門では、主力商品の羊腸の輸入販売が軌道に乗って、前年度日本全体の総輸入量の1割強を取り扱い第1位になったこと、物資部門では車体内装用ハードボードの加工販売が好調に伸びたこと、機械部門ではデンマークからサイロ装置などが売れ始めたことなどが業績向上に寄与しました。

1968年5月発行 社内報『とうえい』第123号

  そして、新商品の契約を次々と取っていき、国内外市場で順調に取引を拡大して行きます。

1968年6月発行 社内報『とうえい』第124号
1968年7月発行 社内報『とうえい』第125号
1968年9月発行 社内報『とうえい』第127号

 輸出先は、アメリカ、オーストラリア、カナダを始め、イギリス、ポルトガル、フィンランド、サウジアラビア、スウェーデンなど世界各市場に広がりました。

1969年2月発行 社内報『とうえい』第132号

 業務拡張に伴い東映会館6階事務所では手狭になり、1964年4月1日赤坂の乳業会館1階に移転。21日には鈴木敏夫が社長に就任します。
 また、アマチュアカメラマンによる8ミリブームが興っている韓国市場に進出、東映8ミリ映写機と上映用フィルムを売り込み販路を広げました。

1969年7月発行 社内報『とうえい』第137号

 1970年、社長の鈴木は売上15億、粗利1億2000万円を目指すことを述べます。

1970年2月発行 社内報『とうえい』第143号

 目標達成に向けて、新規開拓を行い工作機械分野に進出。イギリスのエリオット社の日本総代理店として輸入販売を手掛けました。 

1970年6月発行 社内報『とうえい』第147号
1970年6月発行 社内報『とうえい』第147号

 増々の業務拡大に向けて7月1日に資本金を6000万に倍増した東映貿易は、電電公社電気通信研究所にスイスメトロ社製の最新鋭精密自動巻線機を納入したり、デンマーク製木製サイロ式乾燥貯蔵機の実験に成功し本格販売に乗り出すなどその後も積極的に事業を拡大して行きました。

1970年12月発行 社内報『とうえい』第153号

 1971年8月大川博が逝去。東映新社長に岡田茂就任した後も鈴木率いる東映貿易は中堅商社として増々業績を拡大していきます。1972年7月には手狭になった乳業会館の事務所から新橋に新社屋を購入し移転しました。

1972年7月発行 社内報『とうえい』第167号

 大川博が創設した貿易商社・東映貿易は、その後、オイルショック、バブル崩壊などの荒波を乗り越え、2012年9月末解散するまでおよそ50年に渡り子会社として東映を支えました。