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自信

「自己肯定感」

近年、不動のトレンドキーワードのようだ。

書店にも、各種メディアにも、これだけ自己肯定感を高める方法だの自信のつけ方だのテーマがあり続けることは、そのまま自己肯定感の低い自信のない人が多いことを示しているのだろう。憂慮すべき事態である。




ぼくたちが暮らす社会は、稼げるスキルや力があってはじめて人として価値があるという、人間を道具としてしか見ない考え方が蔓延している。そして、学歴や社会的地位に恵まれなかった人に対して「自己責任」と突き放す傾向にある。努力してこなかった自分が悪い。役に立たないやつなんて価値がない。と、まあ、こういうワケだ。




そりゃあ、生きづらいよねえ。

だから、資格をとったりスキルを身に着けようと躍起になり「役に立つ人」になろうとしているのだろうか。けれど「役に立つ」ことで得られる自信なんて脆弱だ。それは相対的なもので、自分側に軸足がないからだ。相対的なものは相手次第で右往左往しなければならない。つまり、すぐに役立つことなんてすぐ役に立たなくなるのだ。そしてまた、自信を失う。




自分が世間様のお役にあまり立っていないコトへの言い訳かしらん。

わが身を振り返れば、学校の勉強もロクにせず、先生の言うコトも聞かず、頑固で、飽きっぽくて、遊び好きで、見栄っ張りで、図々しくって、時間にルーズで、片付けがきらいで、面倒くさがりやで、忘れ物が多くて、ふざけてばかりいて、臆病で、甘ちゃんで、おならが臭くて、くちびるが厚くて、スケベで、剛毛で、天然パーマで、短足。
こう羅列するとナカナカ壮観。




だが不思議なことに、会社の役に立っていて、常にスキルアップに努め、謙虚でマジメで、公明正大で、気遣いがすばらしく、身なりがキチンとしていて、マナーのしっかりしたリッパに頑張っている人ほど、自己肯定感が低いように感じるのはなぜだろう。

「オマエのその根拠のない自信は、どっからくるの?」

「オマエ、なんで反省しないの。反省しないから、ダメなんじゃねーの?」

若かりし頃から、諸先輩方によくこうキツイお叱りをいただいたものだ。およそ一般にいわれる、リッパな社会人のように求められる内容をしっかりと反省をしない。国が求める方向へ志向しない。社会の方向性へも疑問を投げかける。




本当にそんな事を自分は自分の人生に求めているのか、を問うてきたからだ。

自分の頭で考え決めた事を実行し続ける。そうすると失敗の連続であるが、そうする事でしか「自信」なんてものは身につかないのだ。誰かの云う通りに生きていては、「自己肯定感」はあがりっこない。

失敗ばかりで情けないけれど、かっこ悪いけれど生きていたい。幸せでいたい。そんな、恥知らずでどうしようもない自分に、ぼくは自信があるのかも知れない。

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