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浪費

人工知能の時代に生きる術、なるテーマが目につく。AIに勝つとか負けるとか、生き残るとかなんとか。右を見ても左を見ても時間を効率的にとか、時間の無駄をなくすノウハウ情報でいっぱいだ。

どうしても人工知能に対抗したらしい。




しかし残念ながら、どんなに自己啓発本を読んで効率的に日々を過ごしても、どんなに毎日の生活の無駄をなくす努力をしても、効率や生産性において人間が人工知能に勝てる見込みはない。

そりゃそうだろう。相手は電子計算機。すべてのタスクを平らに並べ、決められた優先順位に合わせて効率よく仕事をこなしていく生産性の発揮は、機械が最も得意とするものだ。

ついでにいうと、それは人間の最も苦手とするもの。




ある哲学者によれば、人間が得意なのは「時間の浪費」なのだそうだ。つまりは、創造性、革新性、情緒性。

合理的効率的でないものを浪費、と定義すれば、人間性とは時間を浪費することなのかもしれない。




ボケーっと空をながめ空想に時間を費やす。恋の妄想に明け暮れる。友人の悩みを聴きつられて涙する。映画や本の物語へどっぷりと浸り主人公になりきる。頭の中ににあるものを絵に表現する。美しい音楽に酔いしれ踊る。離れた両親や友を想い手紙を書く。友人たちと子どものように騒ぐ。パートナーとグラスを傾け語らう。得意料理に腕をふるう。ていねいな料理にウンチクをたれつつ舌鼓を打つ。子どもの話を共に旅する。お弁当を持ってピクニックに行く。子どもと無心に遊ぶ。




これらは、すべて「時間の浪費」だ。

数値目標への合理性、生産性、成長性、効率性などに主眼を置いた近代社会。その価値観からしてみれば、人生の大切なことはきわめて効率的でない。

「時は金なり(Time is money)」を謳ったのはアメリカ建国の父の一人とされるベンジャミンフランクリンだが、彼もまた合理性、生産性、効率性を求める資本主義経済のお手本だ。




コロナ禍で、パラダイムシフトが起きるとか起きないとか。あれだけ世間は騒がしかったが、今のところその兆しは愚鈍だ。それどころか、少し小手先を変えただけで、何とかコロナ以前に回帰しようとしているようにさえ見える。その意識が感染拡大を再び呼び寄せているように思えてならない。

結局、コロナに執拗に追い詰められないと社会意識は変われないのかもしれない。




せっかくの機会だ。合理性や生産性や効率性などは人工知能にまかせて、ぼくはそろそろ自分の感情に向き合い、真剣に「時間を浪費」することを学びたいと考えている。

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