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ぼくは妻を幸せになんかできない

「おめでとう。更に仕事に邁進しないとな。」
「しっかり働いて、幸せにしてやるんだぞ。」
「必ず、幸せにしてあげてね。」
「責任重大だね。彼女を幸せにするんだよ。」




妻との結婚を決め、周囲にあいさつや報告したときの人々のコメントだ。そのコメントたちに、ぼくのこころは全くといっていい程ピンと来なくて、はあ、とか、まあ、とかしか答えられなかった。

すると、

「おいおい、ちゃんとしろよ」だの

「頼りないわね。男でしょう?」だの

「情けないこと言わないでよ。奥さんがかわいそうじゃない」

などとビュンビュン矢が飛んできたものだ。はたして、妻はぼくが「幸せにしてあげなきゃいけない人」なんだろうか。




そこには、男なら立身出世して女房子どもを養わなければ一人前ではない、という価値観が見え隠れする。そんなんだから、「一人前の男」に対して女性や子どもは一歩だか三歩だか下がって敬意を表さねばならない、なんてコトにつながるのだろう。

驚くのは、その圧力を同年代の女性からも受けたことだった。当時、「3高」などといって学歴、収入、身長で男性を測るモノサシがあったが、そのモノサシは女性差別を自ら推進するものだなんて、当時如何ほどの女性が気づいていただろうか。「高」が現在は「C」になっているそうだが、条件で相手を区別している以上、なんら変わりはないし幸せにもほど遠い。




キレイさっぱり、どの「高」にも引っ掛からなかったぼくは、男性に対して一歩も引き下がらない独自の「自分」を持った女性に惹かれたのかもしれない。

そして、数々の圧力を加える「お祝いのことば」に対しぼくは胸の中で、こう、まくし立てていた。




云っとくけど、ぼくは妻を幸せになんかできない。

云っとくけど、妻はぼくを幸せになんかできない。

幸せなんてのは、誰かからもらえるもんじゃない。

幸せなんてのは、あげることも、もらうこともできない。

だいたい、会社で朝早くから夜遅くまで「しっかり」働いて出世することが妻の幸せにつながる筈もない。

「幸せ」なんて名のゴールなんか存在しないのだ。




それは、ぼくらが毎日創りつづけるものだからだ、ってね。

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