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赤い実で結ばれた夫婦は、赤い実を育み、愛を築いた。アセローラフレッシュの歩み

「アセローラの話をする時、僕はよく『この小さな果実には、たくさんの人の夢や想い、血と汗のにじむ努力が詰まっている』と表現しています」

そう話すのは、アセローラの生産・加工・販売を行う会社「株式会社アセローラフレッシュ」の社長、並里康次郎(なみざと やすじろう)さん。沖縄県本部町の特産品アセローラを、国内外問わず広く普及させることを使命に掲げています。

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アセローラフレッシュは、康次郎さんのご両親である父・康文さん(故人)と母・哲子さん(アセローラフレッシュ現会長)が、「アセローラを本部町の基幹産業にしたい」という想いで、1989年に創業。アセローラフレッシュの地道な活動が実を結び、2008年には沖縄県が本部町をアセローラの拠点産地に認定した。

そのバトンを受け継いだ康次郎さんに、アセローラフレッシュのこれまでの歩みと今後の展望について、インタビューしました。

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誰も手をつけてこなかったアセローラ。着目したきっかけは「大学の授業」

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ーーアセローラといえば、本部町。そして、アセローラフレッシュさん。
並里さん(以下、敬称略):ありがとうございます。今でこそ本部町の特産品=アセローラと知られてきたけど、歴史をさかのぼると、アセローラは長い間うっちゃなげられていた(=放り投げられていた)果物なんですよ。

ーーなぜですか?
並里:1958年に戦後の沖縄経済を支える果物として、アセローラを含む6つの熱帯果樹が、沖縄に持ち込まれました。ほかの果物は普及したのですが、アセローラだけが取り残されたんです。

アセローラの特性上、収穫した後は3日間しかもたないのと、食べ方がわからないこともあり、誰も手を付けてこなかった。

ーーそれに目をつけたのが……アセローラフレッシュさん!
並里:そうなんです!(笑)。20年以上、誰も手を付けなかったアセローラに目をつけたのが、アセローラフレッシュの創業者である僕の父と、現会長の母です。

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父は琉球大学の農学部に所属していました。もともと本部町に新しい産業を持って行きたい想いがあって、何か無いかなーと、探していたそうです。

ーーなぜアセローラだったのでしょうか?
並里:そのタイミングに、大学の授業で「世の中の果物の中で、ビタミンCを1番多く含むのはアセローラ」と知り、興味をもったみたいです。

教授に詳しく尋ねると、沖縄県農業史に記述があると教えてもらったのが始まり。それからは、大学2年生から大学院までの計5年間、ずっとアセローラの研究をしていたそうです。

「デートスポットは琉球大学の研究所」。アセローラの研究から支え合っていた並里夫婦

並里:父と母は大学生時代に出会い、当時から一緒になってアセローラの研究をしていたんですよ。

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ーー学生時代から2人3脚!なんだかロマンティックですね。
並里:アセローラ関連の論文は日本語が無かったそうで、英語の論文はあったらしいんですよ。そこで英語をマスターしていた母が英語を和訳して内容を父に教え、父はそれを聞いて実践してのくり返し。

ーー当時から支え合っていたんですね。いやー、本当に素敵なお話です。
並里:だから2人のデートスポットは、琉球大学の研究所だったそうです。

こうして大学時代に、沖縄県の土地に合ったアセローラの生産方法を確立して、それを本部町に持っていったのが1982年。アセローラフレッシュはそこからさらに7年後の、1989年に創業します。

ーー7年間は何をされていたのですか?
並里:なぜだと思いますよね。この間にやったのが主に3つありました。

1つめは「本部町の土地にあった栽培方法の研究」。2つめが「アセローラの加工と流通の勉強」。そして最後、1番労力をかけた「農家集め」です。

1番苦労したのは「農家集め」。8名の農家との出会い

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並里:当時父と母は20代なので、社会人としては新参者じゃないですか。農家さんを歩き回って、「アセローラを本部町の新しい産業にしましょう!」と言っても、基本は門前払いです。

ーーよく知らない果物である上に、痛みやすい特性も加わると、農家さんにとってはハイリスクに感じそうです。
並里:
まさに、おっしゃる通りで。「お前に農業の何がわかるんだ」「儲からなかったら責任取れるの?」「農家じゃないのに知った口を聞くな」など、色々言われたそうです。

そんなこともありながら、5年間かけて200軒以上の農家を回った結果、8名の農家さんが賛同し、アセローラフレッシュはスタートしました。

ーー8名の農家さんが賛同してくれた理由は何だったのでしょうか?
並里:
まず、8名の農家さんのうちの1名が「君たち面白いな。その夢に僕は乗るから、一緒にアセローラをやろう」と熱烈に賛同してくれて。2つのサトウキビ畑を全て刈って、アセローラを植えてくれた、と。

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そしてこの農家さんが、7名の農家仲間に声をかけたんです。「面白い子がいるから一緒に盛り上げよう」と。こうして、最初の8名が集まりましたね。

ーー仲間がまた新たな仲間を呼び、輪が大きくなっていく、と。人の繋がりって大切ですね。
並里:この初期農家のメンバーと一緒に、農家組合「熱帯果樹研究会」と、農業生産法人「アセローラフレッシュ」を立ち上げました。

この8名の農家さんがければ、本部町にアセローラは無かった。決して足を向けては眠れない、本当に素敵な農家さんたちです。

生産・加工・販売に挑戦して、積み重ねること10年。想い実った「アセローラの日」制定。

並里:父と母と農家メンバーのみなさんで「最初は行政の力を借りず、まずは自分たちの有り金で、自分たちの力でやっていく」「作ったものは全部買い取る」この2つを約束して、事業は始まりました。

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そこで課題になるのが「アセローラの商品化」です。アセローラは収穫後3日間しかもたないので、すぐに加工しないといけません。そこで、うちの母による主婦の知恵が始まるんです。

ーーアセローラフレッシュ初の商品、ということですね。
並里:母が試行錯誤でアセローラの実を搾って、100%のジュースにしたのが「アセローラピューレ」。台所から生まれた商品で、今でもうちの事業を支える看板商品です。

農薬・添加物不使用。水や炭酸水で薄めてフレッシュドリンクにしたり、
スムージーの原材料としても人気の商品です。ヨーグルトにかけたり、ゼリーやドレッシングやジャムを作る時などにも、幅広く活用できます。


並里:このアセローラピューレを、町内の飲食店とかレストランとかを走り回って販売して、現金化。その売り上げで、農家さんのアセローラを買い取る。これを10年間続けました。

そして10年が経過した時「よし、10年の実績を引っさげて、本部町の特産品にしてもらおう!」ということで、はじめて行政の門を叩きます。

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ーー今のお話を聞いて、ここに並ぶたくさんの商品を見ると、アセローラフレッシュさんの積み重ねを感じますね。
並里:
ありがとうございます。町長も「やっと来たか。じゃあ本部町の特産品にしよう!」と太鼓判押してくれました。

そして1990年、アセローラの初収穫時期にあたる5月12日に、「アセローラの日」が制定。その年から、本部町を挙げての産業になっています。

本部町の小・中学生はみんな、アセローラゼリーを食べて育つ

並里:アセローラの日が制定された年から毎年、うちの母がこだわって行っているのが、本部町の小・中学校全ての学校給食に、アセローラゼリーを無償で提供することです。

ーー無償提供!それはかなりの大盤振る舞いですね。
並里:「地元の子どもたちに、地元の特産品を知ってもらおう」という目的で、毎年提供しています。

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アセローラゼリーは、1パックで1日分のビタミンCが摂取できます。そのまま食べるのはもちろん、冷凍して半解凍でシャーベット状にしても◎おやつからギフトまで、老若男女問わず、幅広いお客さんに支持される人気商品。

ーー本部町で育った子供たちは、給食で食べているからより馴染みある食べ物になりますね。
並里:これは余談になりますが、母が「学校給食の提供をやっていて心からやってよかった」と言った時のエピソードがあって。

ーー何でしょう?気になります。
並里:アセローラの日には、本部ミス桜の人たちも同行して、メディアキャラバンをするんです。そこで、会長である母が必ず、アセローラについて教えるんですね。

そこで教えようとしたら、本部ミス桜の方が「会長、分かりますよ。アセローラはビタミンCが豊富なんですよね」と言ってくれたそうで。それを聞いた時、「鳥肌がぶわーっと立った」と言っていました。

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ーー地元の人が地元の特産品を自分ごとのように知ってくれている、と。何もないところからやり続けた会長は、なおさら感動したでしょうね。
並里:
1990年アセローラの日制定からやり続けて、アセローラゼリーを食べて育った子どもたちが大きくなって、こうして結果が出たんだなと。

今となっては地元の小・中学生のほとんどが、「本部町の特産品は?」と聞いたら「アセローラ!」と答えてくれるので、うれしいですね。

家業から企業へ。継承者の想いとこれからの展望

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並里:2019年に、会長から僕たち息子世代に事業承継した時に決めたテーマが「家業から企業へ」です。

父と母は、アセローラを本部町の特産品にして普及させる活動を、行ってきました。そこから、ちゃんとビジネスとして回して企業としてやっていくのが、僕の使命だと思っています。

ーーありがとうございました。最後に一言お願いします。
並里:飲食店はもちろん、家庭にも毎日あってほしいなと思います。アセローラがもっと身近な存在になるように、商品開発や市場展開など、頑張っていきたいです。

アセローラの自然栽培ができるのは、日本でも沖縄だけなので。アセローラ=沖縄とイメージしてもらえるような、沖縄県を代表する果物にしていきたいですね。

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■記事でご紹介した商品は…

■ プロフィール
並里康次郎(なみざと・やすじろう)写真右 
農業生産法人 株式会社アセローラフレッシュ 代表取締役社長

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本部町でアセローラの生産・加工・販売を手がける農業生産法人株式会社アセローラフレッシュの代表。“世のため 人のため 地域のため アセローラに関わるすべての人をHAPPYに”を経営理念に、アセローラの普及に励んでいる(ちなみに、写真左は康次郎さんの母・アセローラフレッシュ現会長の哲子さん)。

文/TODOQ 広報担当 黒島 ゆりえ(@YurieKuroshima

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