最善

4年1組の担任だった教師を知る人は皆、「最悪」と話した。学校という閉鎖空間の中で、人気のある教師もいればそうじゃない教師もいる、のだが、この教師の嫌われっぷりは、「異常」の域だ。物理的な距離などを理由に、あまり交流のなかった4年4組出身であり、鈍感でもある三上が「えっ、とどめ4年1組だったの? あの『最悪』の……」と話し出す程度には、悪評が広がっていたらしい。


どういうワケか4年1組は、「めちゃくちゃできる人」か「全くできない人」がとても多く、「中くらいの実力を持つ人」が少数だった。超・優等生である私をはじめ、ピアノに関しては学年トップレベルの有村、なんか知らんけど車がメチャクチャ好きな中島……等々。

(※学年には、自動車や鉄道等が好きだという人が何人かいた。私は当時、そのような知識が一般より大幅に欠けている自覚があったので、社会科見学で計画を立てる際などは特に、鉄道に詳しい同級生に積極的に知識を借りに行っていた。というか、ほぼ丸投げしていた。現在改めて彼らのことを思い返しても、中島の車好きは、確かな知識とそれなりの狂気を感じさせるものがある。狂気っていうのは、私自身が未知ゆえの形容だ)

その他にも、水泳ならだれにも負けないという男子がいたり、「これはある種の『悪意』だろ」と思うほど、クラスの女子生徒の大半は確かな女子力と個性を両方持っている、本来であれば「魅力的」と形容される人間がそろっていた。

だから、始業式の時点で「その場を仕切れる、リーダーシップのある人」は、何人もいたのだ。男女ともに、3人は「ほかのクラスであれば、学級委員に選ばれてもいい」ような人がいた。大きな声を出したり、言葉のみとなると伝達に難があるとはいえ、頭の回転が誰よりも早い私もそのひとりだ。この頃には、私は「委員長」などの目立った立ち位置ではなく、裏方で提案に当たったほうが、いろいろ円滑に進むと分かっていた。4年1組の中でもいっとう魅力的な女子生徒、花恋もそのひとりだった。



例えば、運動会のとき、1組と2組は白組、3組と4組は赤組となり、事実上「協力関係」となる。協力関係となるそれぞれのクラスは、何かと交流が多い。小学3年生以降、2クラスを3つのコースに分けて算数の授業を行ったり、教室の配置の都合上、物理的に2組と3組の間に距離ができてしまったりと、それが著しくなった。故に、どうしても遠くのクラスの情報は、手に入りづらい。私が、優美、リオと交換日記をしていたのは、ほかのクラスの情報を入手するためでもあった。

小学3年生になると、「学級委員」という役職が導入される。学年を重ねるごとに選出は雑になるが、「はじめての選出」である3年生の前期は、優美のいる1組、うわさで聞く限りの2組、私のクラスである3組――それぞれ、慎重に、まずは「本当に」ふさわしい人物を選んだ、とうかがわせる顔ぶれとなっていた。

だから、4組の前期学級委員が梨央だと聞いた時には「正気かこいつら」と思った。梨央の名誉のために説明すると、梨央は小学2年生の冬にこの学校に転校してきたばかりだ。どう考えても選出ミスだろ。


算数の授業速度を3つのコースから選択できるようになり、私は当たり前のように最速コースを選択したため、算数の授業だけ4組の教室で受けることになった。「中ぐらい」のコースを選ぶと3組、「ゆっくり」のコースを選ぶと近くの空き教室へそれぞれ移動して、それぞれ授業を受けることになる。

この最速コース、当時は特に女子が少なかった。いても、大体単元が変わってコースを選びなおせる際に「中ぐらい」や「ゆっくり」へ行ってしまう。それに彼女ら、仮にわからない問題があっても「最速コースにいる」というプライドがあるようで、さっさと問題を解き終わってしまい、死ぬほど暇な私に頼る生徒はまあ、まずいない。そもそも算数に関しては、マジで市瀬くらいしか互角に話せる生徒がいなかったので、退屈すぎて逆にイライラしていた。

そんな中、比較的長い期間最速コースに留まっていた女子が、3年4組の花恋だった。前述の通り、花恋は魅力的な女子であり、はっきり言って、私とは住む世界の違う少女だった。

花恋のファッションや持ち物、容姿はどれも「個性的」だった。必ずしも流行を取り入れているわけではないが、彼女はそれを完璧に「魅せて」いた。自分の魅力をよく知っている人間のやり方だ。それでいて、しっかり者で、そこそこ勉強もできるなら、花恋が学級委員をやればよかったのでは……? とは、皆思っていたようだ。実際、4組の後期学級委員になっていた。


長期間「最速コース」にいる数少ない女子として、私と花恋はどちらからともなく、コミュニケーションを取ろうとした。がしかし、お互い「今まで友人になったことのないタイプだ……」と戸惑っていた。私は放課後も休日も持たず、女子力も入手困難なため、花恋に歩み寄ろうにも「じゃあ、明日こうしてみよう!」などと突発的な行動は起こせない。花恋も花恋で、放課後も休日もない、全く隙のない私とは、何を話せばいいのか考えあぐねているようだった。

それでも花恋は、廊下ですれ違ったり、授業で会ったり、後期学級委員仲間として顔を合わせた時、とにかく声をかけてくれる。それがとても嬉しかったので、私はどうしても、何か応えたいと考えた。それからは、リオとの交換日記にも力を入れ、少女漫画とか文房具とか、自分に親しみのあるものからでいい、世界の知識を入手する努力をしたのだ。

もしも来年、同じクラスになれたら。隣の席、同じ班、同じチームになれたら、たくさん話ができるだろうか。できたら、きっと楽しいよ。……どうしてこういう……私の、ささやかな願望はひとつも叶わず、最悪の想像から順に現実になるのだろう……。



4年1組。念願かなって花恋と同じクラスになれたものの、正直「それどころじゃない」に尽きる。早々に「あっこの1年ダメだわ」と見切りをつけた私は、去年に引き続きつける予定だった日記帳を破棄し、とりあえずこの1年は記録しないことを決断した。それから、学級委員や班長、また少人数で行われる係の仕事を徹底的に避けた。4年1組は、始業式から1か月もせずに、ほとんど覇気がなくなった。

退屈は不健康のもとであるとよく知っていたので、私は様々な娯楽を探した。図書室の本を片っ端から読む、生き物係当番のついでに中庭や校内の散策……こうして得た知識や出来事を、同じ班の中島や有村に話せば、会話ができた。楽しい会話から、また会話が生まれる。薄暗いクラスの中で、私の班だけがいつも楽しそうだ――と、花恋が言った。

花恋は不幸なことに、4年1組の前期学級委員になっていた。憧れと、困惑。それから嫉妬。あなたが学級委員になればよかった、そう言いたげな瞳を見ることはできなかった。いいでしょう、花恋も時々私の班に遊びに来ればいいよ。

私と花恋は同じくらい器用で、同じくらい卑怯なんだと思う。それに多分、私の班が「いつも楽しそう」な理由は、もうひとつある。


私の班には小林という女子がいた。私の日記の登場人物はすべて仮名のため、そこから読み取ることが不可能な事実を書き加えると、班のメンバー5人のうち私を含む4人は、出席番号が近いことの多い音から始まる苗字をしていた。小林だけは、私たちとは明らかに離れた出席番号となる苗字だった。

始業式の日、担任の教師は席順の指定をせず、私たちの話し合いの結果に委ねた。最初の5分ほどは、私や花恋、その他「しっかり者」と形容される人々を中心として真面目に話し合いをしていたが、私が思考・進行を放棄したあたりで皆適当に席を決めた。妙にまじめな私たちは「出席番号の近い人同士で、好きなメンバーを組んだ」。小林はそこに入れてもらえずに、たまたま席の空いていた私たちの班に取り込まれたのである。


淡谷や水沢、玉繭など、学年には「いじめられっ子」「いじられキャラ」「なんとなく仲間外れの子」は一定数いたものだが、小林はその中でも特に、どういうワケか、女子からも、男子からも嫌われているタイプだ、とすぐに分かることになった。

班長を決める話し合いの時、「私は面倒だから班長やらないよ」と先手を打つ。気が付いたら、小林が班長に決まっていた。有村と中島は、以前小林と同じクラスになったことがあるからか、「うまいことやってくれた」ようだ。このふたりの小林への当たりの強さは少々目に余るが、小林が班長になったことで班の明るさが保たれているのは事実だ。だって、我々は担任と話をしなくて済むから。

若干イジメみたいになっているのは否定できないが、そのあたりのバランスだけうまく調整し、とにかく、私の班は楽しくやっていた。小林が若干私になつき気味なのがうざいけど……。班長を押し付けたからちょっとなら……いや、全然仲良くしたくないけど……。



4月末、春の遠足のことだ。ほかのクラスの生徒は自由な組み合わせで昼食をとっているというのに、4年1組だけが班ごとに食べろ、という指示をされていた。

私は「優美と昼食を食べられる可能性のある貴重な機会が……」とションボリしたが、心の闇で飯がマズくなるのはマジ最悪! とすぐに気分を切り替え、「ま、しょうがないよね!」と明るく言った。私たちの班は、私の言葉にすぐに集った。全員「最悪、小林にちょっかいをかければ楽しいからな」という妥協点を取ったのだろう。


ほかのクラスメイトはションボリなんてものではなく、この日ばかりは協力関係となった班もあるようだった。友人関係などの利害が一致するふたつの班で食事をする、等。それを尻目に、さあ我々も食べましょうとしたところで、担任がやってきて「この班で一緒にお昼食べていいかな?」と、「私に」聞いてきた。

この班の「班長」は小林であるし、仮に、小林をイジるのが目に余るから牽制も兼ねて来たのだとしても、まず小林に話しかけるべきだろう。なんで私に話しかけるんだよ。

この人、私になら何をしてもいいと思ってる。

私がいちばん賢いから、自分の言うことなんでも分かってくれると思ってる。今までやってきたことが、全部バカみたいに思えたんだ。


以降、私は小林に対するバランス調整をやめ、もともと仲の良かった有村や中島の味方、会話を優先した。そうして、小林は日に日に元気を無くしていった。席替えの後は、新しい班で話題提供などを一切行わなかったので、4年1組は二度と活気づかなかった。



図書室にある青い鳥文庫、児童書をあらかた読みつくした私は、若草物語やモモなどの外国文学に手を出し始めていた。それ以外には、玉繭のいる2組、優美のいる4組に遊びに行ったりと、けっこう自由気ままに学校生活を送る中、運動会が近づく。個人走、学年全体で行う表現競技、クラスごとで順位を競う団体競技。体育の授業は、この3つの競技の練習が中心となった。

といっても、基本的には、表現競技の練習が中心だ。運動会当日まで、体育の授業のほとんどが学年全体で行われるようになり、皆一斉に教わることができる。個人走に関しては、そこまで練習しない。練習したところで、同じくらいの実力の人と競うことになる。

しかし、団体競技に関してはそうはいかない。クラス全員で団結して練習しなければ、勝てない。1組でも、一応やり方を教わって、チームを決めているものの、誰ひとりとして練習しようとしなかった。一度、学年全体で模擬戦を行い、当然ではあるが最下位を取った時も、誰も何も言わなかった。

1組よりは練習していただろうに、ほとんど互角に争った2組のほうが悔しがっていたし、まだ向上心があっただろう。2組の担任は妊娠しており、運動会の競技の練習には、あまり協力できないらしい。もしも、2組が「赤組」だったら、同じ赤組の先生から協力を得られたのではなかろうか。

4年1組のこの様子を見て焦ったのは担任だけで、私たちはそこそこ叱られることになったものの、だからといって担任が深入りしないのをいいことに、それでも自主的に練習などはしなかった。ある意味、一致団結していたといえよう。


4年1組は、けして「学級崩壊」していたわけではない。6年生になって同じクラスになる野口が出身とする5年4組の方が荒れていたし、授業が成り立たないことも度々あったと聞いた。この頃には、小林もほかのクラスメイトもそこそこ安定し、己の立ち位置や楽しみを見つけていた。それらは、良くも悪くも「責任」以外、何にも侵されることが無かった。

だから、学級委員の花恋はこの件で、けっこう叱られたようだった。運動会が終わってから、花恋はすっかり変わってしまった。クラスメイトをイジメるようになって、勉強も前ほど頑張らなくなった。「学級委員だった」という肩書のせいで、以降も担任から目をつけられ、そのような行動を注意されることが多かったようだ。

花恋のように、4年1組の存在を原因として、病んだり、多少疲弊したクラスメイトは多いだろう。しかし、私はいたって健康だった。少なくとも、4年1組を原因として病んだりしない。成績、素行、信頼などすべて、今まで通り優勝していた。

花恋は、私に対する当たりがだいぶ強くなった。憎たらしいのだろう、それはもう狂おしいほどに。5年生になっても同じクラスだったが、もう「友人」にはなれないだろう。

仕方がなかった。花恋の完璧な「ファッション」がお金と愛でできているように、私の脳だって安くないのだ。



5年生の時、クラスの女子は誰も花恋に逆らえなかった、と言っても過言ではないだろう。かくいう私も、素行で優勝することは容易かったが、それはそれとして、あの頃の花恋はとにかく怖かった。

この頃「どうでもいい人」から順に友人として選び、群れたり、つるんだりするという実験をしていた。そうして、梨央、町子と仲良くしていたのだが、「友人としての立場」を上乗せしても、味方をしようと思えないことは少なくなかった。のちに出会う三上に対しても「勉強の話は少し物足りない」と感じていた私なので、当たり前といえば当たり前だが、彼女らとは、一緒にいるだけで不愉快かつ、不可解と感じる出来事は絶えなかった。

だから、女子を中心とした「学級会」が起こるたび、町子の言い分はめちゃくちゃだけど、花恋の言い分は暴力的だ、どっちの味方もしたくねぇ!!!!(泣)と、頭を抱えることになったのだ。


そういう時、私は考えるのをやめて絵を書き始める。

ノートを開いて、ちょっとした落書きをする。はじめのうちは、去年も同じクラスだった中島、たまたま席が近かった「アイツ」……次第に、同じように、いざこざにウンザリしていたクラスメイトが、気まぐれに集まるようになった。私のノートに少し落書きをしていったり、それに対して感想を言ったり。

このように、私にとって「絵」は、初めからコミュニケーションの道具(※解釈のひとつ)だったが、「アイツ」にとっては、少し違ったようだ。

「アイツ」は、模写がとても上手かった。よくよく思い返してみれば、図工の時間では優れたものを沢山作っていたし、その上、細部まで妥協しない凝り性な一面を見せていた。昼休みに友人とドミノを並べるときにも、そのような様子を見せており、それに対して(本人のいないところで)愚痴を言われているのを聞いたのは一度ではない。

私は、今でも模写が苦手なので、アイツに対してすごいと思ったんだ。そうして、私と「アイツ」は話をするようになった。


なんというか、私は「アイツ」のことを、近寄りがたいと思っていた。同じチビでも市瀬とは全然雰囲気が違う──正直、ちょっと怖いなぁと思っていたのだが、話してみると、そこまで怖くないと分かった。たぶん、男子特有の悪ノリとかはあんまり好きじゃない。もともとあまり喋るタイプではないのだろう。会話をする上では、声もあんまり大きくないから、とても居心地がいい。

私たちは、例えば掃除の時間、3回に1回くらいは掃除をそこそこに、話をすることにすべてを尽くしたり、良い友人のように楽しくやっていた。私は「見せかける」ことに力を注ぎ、「アイツ」も私も、ていうか同じ班のメンバー全員、掃除なんて全然真面目にやってなかったけど、いい感じに隠蔽した。

そんなある日、どこからか「『アイツ』は絵が上手いようだ」とでも聞きつけたのか、梨央が混ざってきた。お前と町子は卑猥な絵を書いて中島に見せる遊びをしてただろうが。それが過疎化したからってこっち来るなよ。


それから2週間もせず、「好きな人ができた」と話す梨央を大袈裟に茶化さず、言葉攻めをする程度で済ませた私は、褒めた方がいいと思う。実は私たちと同じ5年1組であり、一連をずっと見守ってきた三上が我々に声をかけてきたのは、小6の春のことだ。

サポートされると楽しい