見出し画像

AIのつくる未来①「遺影にAI(あい)にいく」

このシリーズでは、AIがもたらす未来について、AIにわりと詳しい窓際★トドちゃんが、考察したメモを読める形に編集し、公開していく。今回は、死について取り上げているので、この手の話題を避けたい方は、次回からの回にご期待いただければ幸いである。なお、また当然に宗教的な意図は、ひとかけらもないこと、同時に起業のネタとして独占する気もないこともあわせて明確にしておきたい。

仏壇に向かって座る女性。
「お父さん、今日はね、まーくんが、中学校で表彰されたのよ。作文が県の賞とったんだって。県知事賞だってさ!すごいでしょ。お父さんの文才、
隔世遺伝したのね」
「そりゃ、すごい。さとみだって、小学生の頃読書感想文で、賞とったじゃないか」仏壇から男性の声が聞こえる。
「あー、あったあった。お父さん、よくそんなこと覚えてるわねー」
「覚えてるさ、なんだって。その、まーくんの作文読んでくれよ」
「いいわよ。じゃあ、読むね、、えーと、、、」

****

女性が話しかけている相手は、もちろん、父親の幽霊ではない。この女性の一人芝居でもなければ、妄想でもない。
見れば、仏壇にセットしてある小型のモニターに、女性の父とおぼしき男性が、映り、しゃべっている。
そう。この男性は、まごうことなき女性の父親。生前にAIが学習した会話や音声、各種の記録によって、ほぼ完ぺきに会話を再現出来る。もちろん、最近の記憶も覚えているので、常に自然な会話が可能だ。

「ITAKKO」と名付けられたこのサービスは2025年のサービス開始後、急速に普及し、2035年現在、どこの家庭でも見られるようになったのは、読者諸兄がご存知の通りである。

民明書房「わたし遺影にAI(アイ)にいくわ」2035年


実際、2030年代には、「遺影」とは「AIで複製された人格」を指す言葉になっているだろう。また「遺影」を残す(作成する)、というサービスも普及しているはずだ。

上記の「ITAKKO」は架空のサービスであるが、類似のサービスは非常に近い将来、多く立ち上げられるだろうし、間違いなくメガビジネスへと発展していくに違いない。ちなみに、このセンスのないネーミングは、そのサービスで起業する方のサービスネーミングを妨げないようという配慮によるものである。

もちろん「遺影がAI」は、現代の感覚からすれば、かなり違和感があるだろう。

しかし「故人を偲ぶ」手段は、時代とともに大きく変化していることも事実だ。

たとえば、2023年現在、故人を偲ぶ際に、故人の動画を観るのはごく当たり前の行為だろう。1980年代から急速にビデオが普及し、それに伴って家庭でもビデオカメラが使われるようになったからだ。

その時代から、すでに40年が経とうとしている現在、父や母が自分と同い年の頃の映像、自分が生まれたばかりの頃の映像を観ることが出来る中年層も多くいるはずだ。

だが、それ以前の時代には、故人を偲ぶ方法、「遺影」は、余ほどの富裕層でもない限り、「写真」に限られていた。しかし、100年前ともなれば、写真を遺影にすることも一部の富裕層のみだったであろうし、さらにその前となると、もはや記憶のみ、あるいは形見のみだっただろう。

つまり、時代によって「遺影」も姿を大きく変えてきているのだ。

さて、これがさらに発展するとどのような世界が訪れるだろうか。

遺影の中の人物は、もしかすると、その世界で生活をするようになっているかもしれない。歳はある一定以上は取らない、あるいは、任意の速さで成長、老化していくということもあるかもしれない。

また、遺影が「若いころ」「晩年」など様々なバージョンがあり得るように、このAI遺影も、複数のバージョンを作りうるかもしれない。自分が小学生の時の母親と話すとか、出会った頃の夫と会話をするということも、その時点でデータを取っておくことができれば、確実に実現できるだろう。

このようなAIが貰らす未来は、どのようなものになるのだろう。

遺族の悲しみを大きく軽減することになるのか。

寿命を迎える者の心残りを軽減することになるのか。

それは、命の重さを軽くすることになるのか

人とは何か、死とは何か。

その答えは、おそらく20年も経たないうちに明らかになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?