人生の半分東京に住んでも、生まれ育った所に近づいてしまう

21歳のときに東京にでて、もう、人生の半分以上を東京に住んでいる

自分の中での鹿児島は、「いろんなタイプの水にあふれた場所」というイメージ。

自分が生まれ育ったのは、半島2つ連なっている鹿児島本土の、鹿児島市ではない桜島がくっついている方。
鹿児島市に行く時は船で湾を渡っていくことになり。

体力のある高校時代なら、自分は自転車で船乗り場や内海の海水浴場まで行ったりとかした。
また、祖父がいろいろ、本土最南端の岬だったり、太平洋の宮崎の方だったりに連れて行ってくれ、それで、港、漁港、砂浜、断崖、いろんな海があるなぁ、ということが体感で分かった。内陸には飲めるレベルの渓流もあり、勿論水田も温泉も、いろんな「水」の表情がある場所だった。

初めて住んだ東京は調布市という場所で、多摩川という大きい川沿いでかなり精神的に落ち着いた。それから引っ越す時も物件から川までの距離は意識するし、トレーニングするときは荒川沿いをよく使う。



そして、羽田とか横浜みなとみらいとか葛西とか有明とか、潮のにおいがする場所だと、とても落ち着く。


リモートワークの続くこの時代、新幹線の距離の郊外に引っ越そうと思うのだけど、どうしても、海の近く、熱海や三島あたりで探してしまう。

置かれた場所で咲かなかった自分だけど、結局、避けられない体験というのはあるのかな、とは思う。悪く働いてなければ、悪くない。

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