見出し画像

勉強なんかしたくない!

最近、国公立の前期入試が終わりましたね。受験生の皆さん、お疲れさまでした。合否なんて関係なく、頑張ったすべての人がえらい、大拍手。

こんにちはこんばんは、村主です。
3月6日に公演を控えるなか、勉強について語ります。
今じゃないやろってね。わかってますごめんなさい。

僕は勉強がとても嫌いでした。何故こんな辛いことを強いられているのか、こんな勉強がなんの役に立つのか。ひねくれていたので、勉強しなくて済む理由をずっと考えていました。

勉強することの意味を上手に答えられる人はそういないんじゃないでしょうか。いい大学に入って、いい企業に就職するためだ、では高3の頃の僕は納得しませんよ。

二十歳になって、改めて勉強する理由について考えてみるときに、一つ参考になる言葉を見つけました。

『勉強って「頭の中に知識を詰め込む行為」ではなく
「世界の解像度が上がる行為」だと思う』

言い得て妙だなぁと思いました。自分なりの解釈ですが、こう考えてみてください。

世の中の物事はすべて、7層から8層くらいの何かが重なってできています。あなたが今吸った空気。勉強する前は、存在に気づけもしません。
少し学ぶと、そこには無色の気体があると分かります。
もう少し学べば、80℃のサウナで火傷しないのは何故か、遊園地の風船が何故空まで飛んでいくのか、火事が起きた時にどうすれば身を守れるのかが分かってきます。

そうやって少しずつ奥に控える層が見えてくるんです。

テレビの天気予報に映る白い線が意味を持ったり、「君が代」の素敵な意味に気づいたり、「アンチエイジング」という単語が頭の中でアンチとエイジングに分かれたり、ロシアによるウクライナ侵攻が「悪いこと」だという意見を持てたりします。

全部、勉強したことによって得た自分の目で見た世界です。勉強がないと気付けなかったことばかりでしょう。

これが僕の思う勉強する意味です。世界の2層目、3層目が見えてくる。生涯を豊かにする素晴らしい変化です。

最低限、足元の小石につまずかないよう、世界を綺麗に見せてくれる義務教育はやはり大事なんだと改めて思いました。

ただ、これを伝えても高3の頃の僕は勉強しないんです。絶対。
理由は(これがこの自論の欠点ですが)、世界の解像度が上がる前でも世界は見えてはいるんです。別に困っちゃいない。
既に見えているのに、もっとキレイに見えるよ、と大人に言われても辛い辛い勉強をする理由にはならないでしょう。
自分に子供ができた時のために、もっと情熱を掻き立てる理由を見つけないとですね。

でも、この勉強する理由は、大人には刺さる気がします。40歳で大学に入りなおす人が沢山いるのも、わかる気がします。お爺になっても学ぶ姿勢は失いたくないものですねぇ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もうすぐ公演。締まっていきましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?