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追憶と、ゆったり生きる決意

こんにちは、はじめまして、佐光と申します。旧姓です。
このたび、なんの因果かtodokeru,に所属することになりました。
よろしくおねがいします。

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以前所属していた劇団は妊活と家庭の事情で退団したこともあってお手伝い程度に考えていたしあまり本腰を入れて参加するつもりはなかったのですが、やはり生活の大きな部分を占めてしまっています。
あ、いやということではなくて!なんかいきなり言い訳ばかり!
それがストレスにならないこと、楽しいなあと思えることに感謝しています。体調もいつも気遣ってくれてありがとうねみんな!

私自身はあまりコミュニケーションが得意な方ではありませんが、台本やなんらかの作品を通してそれぞれの考えを話し合う機会を多くもつ劇団ということもあって、お互いに対しての理解は深まっていっている、根本的な部分で理解し合えていけているなと想います。
これは、コロナ禍の(ある意味)おかげかもしれないね。
オンライン稽古になるとどうしても言葉でのコミュニケーションになるから言葉で表現せざるを得ない。

さて、todokeru,ではこれまで発表の機会は2回ありました。
平和祈念朗読会での朗読発表と、演劇大学での成果発表。

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わいわいするのもいいけど、協力してなにかを作り上げていくときが一番楽しいなと感じています。はやく舞台がしたいね。
できたら、座長の書いた作品でね!(圧力)

そうそう、みんながアップしている写真。どれもすてきでしょー!

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…それでね、みんなの服、気づきませんでしょうか。

これね、テーマをもって、ぼうちゃんがスタイリングしてくれました。
基本的に自身の服を使いつつ、イラストも描き、全体のバランスを見ながらのスタイリング。なんて有能なんだ、、(あんまり褒めたら怒るかな?)

名前出してない人もね。みんなすげーわ。と脱帽する日々です。

そして、撮影してくれたのは、知る人ぞ知る、リンダさん。@rindaaason
祖谷まで行ったこの撮影、とても楽しかった。撮る側としても大変勉強になりました。

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大木さんを撮るリンダ。

仕事であれば、イメージを比較的明確にカメラマンさんに伝えて「意図した形に撮ってもらう」というふうに依頼することが多いと思いますが、リンダの写真の感性で撮って欲しいと思ったので、丸投げって思われたらごめん、、と想いながらも、いくつかの要望以外は「おまかせ」でお願いしました。
オフィシャル要素はしっかり押さえつつ、リンダらしさを出してきてくれる。すごくないですか?
カメラマン、というよりアーティスト。こんなすてきな写真家さんがいることを、徳島は誇るべきだ!

…はじめてのブログで自分のことあんまり書いてない。

せっかくなのでみんなにならって自己紹介を、と思いましたが、自分自身のことを話題にすることは昔からあまり得意ではありません。いま好きなものとか書こうとすると確実にゲームの話になりそうだし。
需要があるかどうかはわかりませんが、「演劇とわたし」という軸に沿って時系列順で書いていこうと思います。

<小学生のころ>
ピアノを一所懸命習っていた小学生の頃、学校の道徳の授業で人権劇がありました。そのときのタイトル「花さき山」という話が、歌が、とても好きで今でも心に残っています。
挿絵の印象も相まって、今でも曼珠沙華が好きです。
そのときに出演していたかどうかははっきり覚えていません。

<中学生のころ>
青春真っ盛り。合唱団とピアノは継続。とくに演劇に興味なかった気がします。
教科書に出てくるダンテの「神曲」って何?読みたい!と言ったときに先生に「戯曲だから読むもんじゃないよ」と否定されたことが印象的です。

<高校生のころ>
運動会に出たくない(司会ができる)から、という理由で放送部に入りました。電話、友達と、とにかく喋るのが大好きでした。考えるより前に延々と喋っていました。会話になっていたかどうかは謎です。
合唱団の繋がりで、市が主催する人権劇に誘ってもらって出演しました。
人権劇というテーマに対する興味が主でしたが、そこに集う仲間が好きでした。「演劇」というより、同じ志を持つ仲間が集まる「居場所」を好んでいました。

<大学生のころ>
青春真っ盛り。
軽音楽部と「イメージ表象研究部」に掛け持ち所属しました。
(そういえばゼミも2つ掛け持ちしていました。昔から掛け持ちが好きなようです。)
イメ研は平たく言えば漫研のようなもの。小説やイラストを描く人もいました。私は今でいうLBGT的な話を主に書いていました。リリカルな女性同士のお話です。

ここの仲間は演劇が好きな子が多かった。
脚本を書く専門学校に通って、実際に脚本を書いている宝塚好きな子。
新感線や野田マップにハマっている子。
それでも観る側にまわることはなく、話をうんうんと聞く側でした。しかし、人の心がよくわからない人間だったので「演劇で生きていく」といっていた人に「地に足ついた生き方をしたら」といらぬお説教(今でいうクソバイス)をして大喧嘩になったことも…。

<社会人になって>
高校の頃参加していた人権劇に、引き続き複数回参加。
ミュージカル劇団にも一瞬参加する。歌うのは好きだけどダンスはやっぱり苦手。
とある男性メンバーに性的に見られていることを直接伝えられ不信感を抱き退団。そういうの本当に嫌いです。
東京転勤中、もと劇団四季の人と親しくなる。音程がずれただけでクビになるらしい。ひえー。サバンナは厳しいね。

人権劇の仲間があらたに劇団を立ち上げたので誘われる。
しかし当時異常なまでに時間や約束を守ることができなかった私は「稽古に参加しない」ことが明白であり、大好きな人達に迷惑をかけると思い、断りました。

生涯16回目くらいの引っ越しで徳島に。
これまでの経験上、身体能力の壁を感じていたがそれでも「劇団」という存在が好きだったので写真撮影とかで役に立ちたい、なんなら居場所ほしいなと思って劇団に所属。
ここではじめて意識的に劇団の「観劇」をして、徐々に「演劇」という表現手法に興味を持つが、家庭に支障を来す要因が多くあり退団。

今後は無理なく、家庭に支障のない範囲、自分のできる部分で、誰かの「やりたい」の道を整えていきたいな。って感じです。できるかどうかは知らんよ。

以上!

ここまで書いて思ったんですけど、
結構最近まで、小説>戯曲、と思っていたフシがあったんですよね。
戯曲は主にセリフだけで構成される、という印象があったのがその理由です。
小説は比較的行間のディティールを細かく描いているけれど、そこがさっぱり省かれている「戯曲」はよくわからなかった。
文字として、音声として現れない部分を「演じる」ことで完成するもの、それが戯曲なのだな、という意識につい最近変わりました。
正しくないかもしれないけど。そういう認識です。

大掛かりな自分語り、失礼しました。拙者ついつい文字になると筆が走るゆえ。(コポォ
まったくtodokeru,について触れていませんがきっとまたみんな触れてくれることでしょう。

そんなわけで、これからどうぞよろしくお願いします。


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