Regulus

 潮が舞台の上で楽器が吹けなくなって、曲の頭のソロで音を止めて、そのまま動けなくなったあの日、先生や俺たちになにを言われても俯いて無言で首を振るしかできなかったあの日、胸のうちにあった感情がいまでも半分も言葉にならない。なんでだよ、説明しろよと思った。俺らが何日も何週間も苦労してきたことを、いままであんなに簡単そうにやっていたくせに。どうして今日に限って、と。そのあとに、ちょっとだけざまあみろと思った。なにをやらせてもだれよりも上手くて、そのくせ舞台の上以外ではいつもへらへら笑っていたから、一度くらい痛い目を見ればいいのに、とすこしも思わなかったとは言えない。成功ばかりの人間に失敗を求めるような、そういうまっすぐでない感情もたしかにあった。あとは、悔しかった。結局なにを憤っても妬んでも恨んでも、俺はあのとき潮の代わりはできなかった。曲が止まったあの瞬間、ただ茫然としているしかできなかった。ほんとうは、潮を責める権利はなかった、のかも、しれない。他はよくわからない。なにもかもに戸惑っていた。なにもかもがわからなかった。いまでもずっとわからない。

* *

 所属していた学校は小学校から高校まですべてが吹奏楽の強豪で、途中から本格的に音楽の道に進み、ゆくゆくは著名な音楽家になるような人物を何人も輩出するような場所だった。小学校のクラブでさえ、ただ楽器を演奏するだけに留まらず、楽典を基礎から叩き込むような指導が行われていて、学校の授業が終わったらほとんど毎日音楽室に缶詰で、おおよそクラブ活動の範囲には収まりようもないほど密度の高い練習を重ねていた。当然、遊びたい盛りの小学生が簡単についていけるような内容ではなかった。小学校四年生でクラブに入ったあと、座学の基礎が十分なレベルに達するまでは楽器を持たせてもらえなかったし、最初は何十人もいた同学年の仲間の中で、自分の楽器を割り当てられるところまで行けたのはその半分もいなかった。その中で舞台に立つことを許されるのはもっと少なかった。たとえ人数が足りなくなったとしたって、見合う実力のない人間が台に乗ることは決して許されなかった。そこに選ばれることには努力も年齢も関係なく、評価は冷徹だった。もう、あまりはっきりとした記憶もないくらいの頃から、そういう場所で楽器を吹いていた。
 小学校時代の同期に、ひとりだけ、俺たちとはまるで才能の違う男がいた。俺たちが国語より算数より苦しめられていた楽典のテストを、繰り上がりのない足し算でもするかのようにするすると解き、聴音もソルフェージュも間違うところを見たことがなく、その場で一度聴いただけの曲をいつでも完璧にピアノで再現することができていた彼は、俺たちよりも先輩よりもだれよりも圧倒的で、けれどいつでもそのすべてを当たり前のような顔でこなしていた。彼は入って一週間で楽器を手渡されていた。一つ上の先輩が、ずっと、やりたいと言って頑張っていたアルト・サクソフォンだった。その先輩が次の日からクラブに来なくなったことに先生は触れなかったし、そいつも――坂川潮というその男も、やっぱり当たり前のような顔をして、ほかの先輩たちに混ざってサックスを吹いていた。
 俺が目にしていた限りでは、彼は渡された楽譜に目を通した時点でどんな難しい曲もひと通り吹き通すことが出来ていたし、潮が曲に技術が追いつかず困るところを見たことはなかった。クラブに入る前から少しサックスを吹いていたことがあるのだ、という話は本人から聞いた。思えば、当時、アルト・サックスのあの最後の一席はおそらく潮のために残されていたのだ。俺たちや、先輩たちの努力や気持ちの強さというものは、あいつの実力の前ではなにひとつ価値がなかった。潮は入って半年で演奏会でのソロを勝ち取った。だれも文句が言えなかった。
 俺たちがようやく楽器を手にすることができるようになったとき、吹奏楽の花形であるはずのアルト・サックスを希望する人間はほとんどいなかった。台乗りできる枠が最初からひとつ埋まっているのだから当然だ。それでも俺がサックスを選んだのは、たぶん、あいつの隣に座ってみたいという思いがどこかにあったからだ。どちらかといえば畏怖のほうが大きかったとはいえ、憧れていないわけもなかった。そこに近付いてみたいという感情があった。
 潮は実際にそばに寄ってみれば、思った以上に快活で厭味のない性格をしていて、楽器のことも音楽のことも、聞けばかなり親身になって教えてくれた。その反面、譲らないところは決して譲らない男だったから、指示が気に食わなければ先生にも面と向かって反論していたし、先輩の演奏に対して彼が口を出すことも珍しくはなかった。それは決してわがままと呼ばれるものでなく、むしろあの歳の子どもとは思えないくらいに論理に根差した正論であったのだけれど、そういうときの潮は近寄りがたい苛烈さを抱えていた。それでいて、彼のそういう態度が周りの人間に与えていた影響をすべて覆い隠して、あのときあのバンドにいた全員を、潮は自分の音だけで黙らせることができる存在だった。
 それでも、楽器を置けば、彼はクラスにひとりはいる口数の多いお調子者でしかなくて、吹奏楽クラブの面々が潮からすこし距離を置いていたのに対して、音楽を離れたところでは彼はいつでもひとの中心にいた。ピアノやサックスのソロコンクールで次々に賞をとって朝礼で表彰されるのも、特に鼻にかけるような性格ではなかった。それでも、やっぱり全部あたりまえのような顔をしていた。あたりまえのような顔で毎日笑っていた。潮は、クラブの外でのレッスンもこなしていたらしく、クラブの練習に加わらない日も多かったけれど、それでも姿を見せるときにはいつのまにか新しい曲を吹けるようになっていたし、彼がいない間も練習を重ねていた俺たちのだれよりも曲のことをわかっていた。そのことに、すごいねと声をかけても、きょとんとした顔をして「そう?」とだけ言っていた。
 潮が小六の四月のコンクールで曲が吹けなくなって、毎年取り続けていた賞を逃して、その理由も話さないままクラブどころか学校にも来なくなったとき、だれひとり、潮を呼び戻そうとは言い出さなかった。そうしなくていいのか、という人間もいなかった。そのことに罪悪感がなかったわけではない。だれもがうっすらと同じ感情を共有していた。けれど、俺たちが潮に言えることなどなにもないと、みなが勝手に言い訳をしていた。先生が、「戻ってくる気がないならそれでいいだろ」と言ったとき、あからさまにほっとしたのを覚えている。先生はだれよりも潮の能力を認めていたし、バンドの中でも重用していたけれど、こういう点においては全員を平等に扱っていた。結果が出せない、失敗を自分で取り戻せない人間は要らない。付いてこられないのなら付いてこなくていい。その結果いくらかの才能が取りこぼされるのは仕方ない。俺たちの学校の基本原理だ。
 小学校六年の一年間、潮を学校で見ることはなかった。卒業式にすらいなかった。翠ヶ崎大附属中という、うちの中学より偏差値が二十以上高い進学校に受かったという話をだれかから聞いた。あいつ勉強までできるのかよ、とそれを知ったときはさすがに悪態をついた。潮がいなくなったバンドで、サックスのソロを吹くことになったのは、三回に二回くらいは俺だった。六年のときに出た他のコンクールはどれも金賞だった。毎日息つく間もなくずっと練習を続けていた延長戦で得たその結果には、さほど大きな感慨もなかった。ただ、舞台の前に出て、ひとりで旋律を吹くあの瞬間は、想像していたより孤独だと知っただけだった。
 定石通り直系の中等部に進学してしばらくしたころ、「潮、音楽辞めたらしいよ」と俺に伝えてきたのは、小学校時代から同じ部でコントラバスを弾いていた友人だった。
「俺のいとこ、翠大附の吹部なんだけど。潮、吹奏楽はやってないし、なんか、剣道だか弓道だかの部活入ったらしい」
「え、……なんで?」
 絶句した俺に、彼は「知らないけど」と肩を竦め、「ほんとならもったいないよな」とあっけらかんと言った。俺は、もったいない、という言葉では片付けられなかった。最初から、潮がクラブにも学校にも来なくなってからあともずっと、俺たちの、俺のサックスはいつでもあいつと比べられてきた。俺自身の基準がそうだった。その持ち主が、音楽そのものを捨ててしまうだなんてことを、想像なんてできるわけがなかった。
 けれどそいつの言うとおり、その後コンクールで何度も見かけた翠大附の吹奏楽部に潮の姿はなかった。翠大附自体も吹奏楽の強い学校ではあるものの、うちで圧倒的だった潮が台に乗れないほどではない。インターネットで潮の名前を検索してみても、初等部時代にとったコンクールの賞以外でひっかかるものはなかった。中学以降、吹奏楽の世界からも、それよりももっと広い音楽の世界からも、坂川潮という名前は忽然と姿を消していた。それをどうにか追おうとしてしまう自分が情けなかった。中学に進んでからも、練習は相変わらず容赦がなくて、あまり余計なことに頭を悩ませる余裕がないことだけが救いだった。俺の実力は他所事に気を取られて手を抜いていても台に乗り続けられるほどのものではなかったし、ここはそういう態度でいることが許されない場だった。自分がこのバンドに必要であることを証明し続けない限りは、ここには居られない。その証明に全力を捧げ続けることを、俺はどうしても辞められなかった。その理由からは目を逸らしていた。

* *

「才能なんてなかったよ」と語った、そのときの潮の顔を俺は知らなかった。
 こんなに、寂しそうな顔で笑う男だっただろうか。こんなに繊細な感情を他人に向けるところを見たことがあっただろうか。楽器に触れるときの潮はいつでも感情を見せない静かな顔をしていた。それ以外のときは大体笑っていた。舞台の上で、真ん中で、うずくまってしまったあのときの顔は知らない。
 潮の、この男の存在すべてに、生きかたや、選択のすべてに、自分のやってきたことを否定された気がしてならなかったのだ。彼に対して抱いていた憤りのほとんどがそこから生み出されていた。
 俺は、ただ、届く気もしないものを横目に見ながら、届かないことをわかっていてそれでも諦めることができなくて、それだけでずっとサックスを吹いていて、どうしても捨てられなくて、その理由の先にいまでもずっとあるのが潮の音だった。能力だとか努力だとか環境だとか、そういったものをすべて捨て置いたとしても、この男の吹く音に、それを当たり前のように操って笑うその姿に、ずっと憧れていた。最初からずっと、いまでも、ずっと、俺はおまえになりたかった。なのに。どうして。
「なんにもなれねえからって、あんなガキの頃に、あんだけもってたもの全部諦めて、辞めるとか決めんのわかんねえよ。そんなもん、なれねえ奴のがずっと多くて、それでも、続けてるだろ」
 俺がぶつけるしかなかった一方的な怒りにもわがままにも、潮はなにひとつ強くは反論しなかった。全部、わかっているとでも言いたげな態度だった。見えているものが違ったのだ。最初から。考えていたことも違う。感じていたことも違う。ただ、俺がこのとき潮にぶつけた言葉のすべてを、そういう感情が存在することを、潮はきっと知っていた。否定することもできたのだと思う。それでも潮はそうしなかった。俺と潮では、最初から喧嘩になんてならなかった。そういう相手だ。彼が、俺よりもずっとずっとそれにふさわしいはずのこの男が、俺がどうしたって手放せないこの楽器を、いとも簡単に過去に置いてきたあとの、いまだって。
「ジュンちゃん」と潮が俺を呼んだ。いつのまにか、懐かしい呼び名になっていた。
「俺は、そのなにかになりたかったんだよ。――なれると思ってたんだよ」
 ごめん、と言われた。謝られたくなんかなかった。そんな言葉で、簡単に片を付けてなんかほしくなかった。俺が手放せないものが、この世界で、こいつよりはるかに取るに足らない存在でしかない俺が捨てられないものが、潮にとっても、なにかであってほしかった。ずっとそれに引きずられていてほしかった。全部俺のわがままだ。俺が、潮の生き方に、俺自身の選択を否定されることが、ただ悔しかっただけだ。そんな執着も、プライドも、全部くだらないと、言われるのが怖かっただけだ。

* *

「潮に会った。――ちょっとだけ喋った。音楽辞めたのも、ほんとだって言ってた」
 友人にそのことを告げると、彼は少しだけ目を丸くて、「そうか」と答えて、「もったいないよな」と、かつても口にした言葉を繰り返した。
「才能が、ないからだって。……続けてても、なににもなれないから、だって。あのとき、それに気付いたからだって、言ってた」
「あいつんち、親父と兄貴の天才っぷりが異次元だろ。そういうのあったんだろうな、俺らにはわかんないけど」
 そっとコントラバスに指を這わせたそいつも、たしかに実力のある奏者として知られてはいるものの、才能だとかそういう言葉で語られる類の人間ではない。全国大会金賞の常連だとしたって、吹奏楽部のメンバーのほとんどはその程度だ。もっと上を行く人間には、もっと別の道が用意されている。こんなところで本気になっている時点で、結局俺たちはその程度だ。
「――宝島を吹いた学校に、すごいやつが、いたって。すごいサックス吹いてた、って」
「だれ?」
「俺は、覚えてない。……潮が、そんだけ言うすげえやつに、あのとき俺は全然気付かなかった。そんだけでも、聴こえてるもん違ったんだな、って、めっちゃ思う」
 最初から、俺たちとは違うところにいて、俺たちには聴こえないものを聴いていて、だからこそ潮はきっと絶望して、楽器を手放したのだ。文字通り世界が違った。俺たちは、潮の絶望の踏み台にすらなれなかった。
「潮が、……あいつが、才能ないとか言うなら、諦めるしかなかったって言うなら、――俺たちが、こんなに、必死になって音楽やる意味って、なんなんだろ」
 別の人間であることはとっくにわかっている。世界が違ったこともわかっている。それでも、彼が自分の行く末に絶望して音楽を諦めたというただそれだけの事実は、俺がずっと当たり前に燻らせていた執着を揺らがせるには十分だった。
「純一は、あいつと同じパートだったから、俺ら以上に思うことあるんだろうけど」
 ゆっくりとそう口にした友人は、いったんそこで言葉を止めて、俺の方は見ないでコンバスに視線を落とした。あのクラブにいて、俺と同い年で、坂川潮のことを忘れられる人間はきっといない。
「でもさ、いくらあいつがすげえやつでもさ、――辞めたら終わりじゃん。おまえは、辞めてないじゃん」
 そんだけじゃだめなの、と聞かれた。答えられなかった。潮の音は、小学校時代の些細な出来事として片付けてしまうことができないほど、強烈な思い出だ。もう終わったことだと、どれだけ輝いていたとしてもいまはもう死んだ音楽の話だと、思えたらよかった。
「潮がその気になったら、俺らの六年間とか全然簡単に抜かしてくんだろうし、そういうやつは、いるけど。どうしたっているけど。――だからって、それは、おまえが辞める理由じゃないよ。純一」
 それでも、俺の執着を理由もなく肯定してくれるその言葉には頷くことができた。そういう、きっと意味もないようなプライドを捨てられないまま、この世界にいるしかないのだと思う。届かない場所があっても。見えないものや聴こえないものがあっても。そういうものを、前向きに語ることが、できなくても。
「……ありがと。頑張る」
「ん。おまえは一生やれよ」
 うん、とは言えなかった。けれど、たぶんそうなのだろうとも思う。聴こえない音に、見えもしない境界線に、阻まれずにすむことを素直に幸福だとはまだ言えない。すべてに納得がいったわけでも、吹っ切れたわけでもない。忘れることはたぶんずっとできない。それでも。
「――折れてたまるか、くそやろう」

2018/09/09

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