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自然災害に強いまちづくりとは -レジリエンスと五城目町の被災-


 1.秋田県豪雨について
 2023年7月14日から16日にかけて、東北地方北部に梅雨前線が停滞、気候変動により例年よりも暖かく湿った空気が前線に向かって活発に流れ込み、この3日間は東北北部では激しく降り続く大雨となりました。秋田県の複数の地点で、24 時間降水量が観測史上最大の値を更新した3日間です。
 私の住む五城目町でも15日の早朝から防災無線で災害に警戒する呼びかけが始まり、次々と携帯にひっきりなしにお知らせがくる防災警報のアラームに、子供たちと自宅で落ち着かいない時間を過ごしていました。
 私の町内に住むおばあちゃんからは「今までこの町内までは川の水が溢れくることはなかったから大丈夫だ。そもそも(私が今住んでいる)ここの土地は、300年以上続いた酒蔵があったところだもの、大事なお酒を守ってきた地だから絶対川の水はこないよ。」と言われ安心していたものの、その日の夕方になって玄関のチャイムが鳴り、「ダメだ、もう川の水がそこまで来た。子供たちと荷物まとめて逃げな!」という声かけをもらい驚きました。そこで初めて家の目の前にじわじわと迫る水に気づき、長男に玄関先から水位を確かめてもらいながら、私はやや震える手で必要な荷物をまとめ、子供たちに簡単に晩御飯を食べさせ、しぶとくシャワーまで浴び、仲の良い近所の子連れ家族と一緒に安全な場所で一夜を過ごしました。
 
 結局、被害状況が様々明らかになってきた今、今回の水害で、五城目町の世帯数は約3350世帯ある中、床上浸水の被害を受けたのは399棟、床下浸水200棟となっていました。非住家(倉庫・ガレージ・事務所など)493棟も含めると合計1092棟(8月9日時点)で相当数の水害の直接的な影響があったことが分かります。
 大丈夫だろうと思われていた私の町内も、床上浸水の家が大変多く、我が家も床下浸水の被害を受け、罹災証明書発行を町役場に申請したばかりです。

2.noteにて記事を書くことに対して決めたこと
 一つは、被災地の外の人に発信していく内容と意識して書くこと。被災地は日々復興に向き合いダイナミックに動いています。そして、その中で、私と子供たちは支援される側であることが多く、地域の苦しさに手を差し伸べられないもどかしさと日々の生活に精一杯な状況の狭間にいます。また、外の人にとっては被災地を支援し、協力し、復興していく過程を共に喜んでくれるけれど、他方で、日々被災地を意識し続けることは難しいです。だから、本来は被災状況や被災地の思いを伝え続けるメディアの存在は大事です。でも、被災した家屋や復旧の辛さを伝える情報だけがひたすらに流れていると、人は段々と目をそむけたくなってしまうし、どこの被災地も同じような報道になってしまう。
 なので、私はその流れの中で、被災地の住人として自分ができることは、被災地もその外にいる人も、自然災害が多い時代を生きぬくために大事だと思う視点を書くことで、今回被災しなかった人たちも、この秋田県豪雨をきっかけに自然災害に対する思考を巡らせることができる内容にしたいと思っています。
 そうすることで、いつのまにか、巡り巡って被災地に自然な眼差しを向けることができるんじゃないか。そんな小さな企てができないか挑戦をしたいと思います。

 もう一つは、一記事・一テーマの内容のものを書いていきたいと思ったこと。当初は災害について書こうと思ったとき、学術論文へ投稿することが浮かびましたが、それだと読者は研究者ばかりになってしまう。それでは、今お世話になっているこの町で、暑くて辛くて大変だけど復興に向けて協働している人たちの思いや考えや願いを伝えられず、また将来被災するかもしれない人たちにメッセージは届かない。なので、書きたいスタイルに適しているnoteで書くことにしました。

 私の両親や親族は宮城県に住んでおり、東日本大震災で被災、親族一家族を津波被害で亡くしました。その土地で2週間災害ボランティアとして働いた私の記憶と、今回の秋田県豪雨での光景は多くが重なります。2011年に名取市にて体験させてもらった災害ボランティア経験は、今の秋田につながって、私の思いは二つの被災地と共にあります。

 一つ一つ、ここに記事を書くことをきっかけに、気候変動により益々予測不可能になった自然災害について対話とアクションが広くひろがることを期待して、書いてみたいと思います。

3.気候変動の状況下におけるまちのレジリエンス
 私自身は、持続可能なまちづくりを研究していて、自然災害に対するまちのレジリエンス(強靭性)についても議論する機会が多々ありました。そもそも、サステイナビリティとレジリエンスは深く関係している概念で(詳細はS. Roostaie et al 2019)、博士課程に在籍していた頃の大学院の授業で、気候変動により今までよりも規模が大きい自然災害が増えていく中、まちのレジリエンスは重要で、都市工学の分野ではレジリエンスには4つのRがあると習いました。それは、Bruneauが提案したRobustness (頑健性)、Redundancy (冗長性)、Resourcefulness (臨機応変性)、Rapidity (迅速性)の4つのRです(Bruneau 2003)。(これに加えて、その後はCapacity(向上力) Flexibility(可変性) Tolerance(許容力) Cohesiveness(協働力)もレジリエンスの構成要素として議論されていますが(詳細はM.N. Sajoudi et al 2013)、ここでは4つのRのみで話を進めることにします)。

・Robustnessは災害に対する強さ、「頑健性」です。強固な堤防や頑丈な建物がこれにあたります。
・Redundancyは「冗長性」で、1つ壊れても予備のものを用意し、機能を維持しようというものです。
・Resourcefulness は「臨機応変性」。今ある様々な資源を上手く使って困難に対応していく力です。
・Rapidity は「迅速性」。素早く復旧するということです。
この4つを総合した能力がレジリエンスだと理解していました。

 この4つのRは都市工学が起源の概念なので、主にまちの機能を維持するインフラ整備において意識され活用されていますが、それでも、自然災害から復旧過程にある秋田で、個々人が日々復旧作業に向き合う中、地域のいたるところでソフトな4つのRも動いています。
 五城目町には、一人一人の心にひたむきに復興に向き合う強さ(心のRobustness)があり、町のほぼ全域をカバーする浄水場が被災し断水が続いた中、井戸水や温泉が予備機能を果たせるよう地域の住民が動き(コミュニティのRedundancy)、地元の酒造さんは仕込み水を地域住民のみんなに無償提供して(リーダーのResourcefulness)、一日も早く断水を改善しようと動いた町役場の方々(公的機関のRapidity)のおかげで、一つ一つ課題をクリアし、断水が解消しました。

 確かに、レジリエンスの理論と実践からすれば、あぁ本当にハード面ではもちろん、実はソフト面でも4つのRがダイナミックに動いていくことが復旧にむけて大事なんだと感じるところではあるのですが、今回の災害を通して、その4つのRが動くための素地になる大事な視点があったのではないかとも思います。

 2011年の東日本大震災の時、私は災害ボランティアとして2週間名取市で活動しました。多くの方が亡くなった土地では、復興へ進む一人一人の足取りは重く、遺族の方と泥だらけになった遺品を廃棄もしくは洗浄をお手伝いする作業は共に心を込めて行っていきました。この場合、復興とは「乗り越えていく」ものであり、Rapidityは別の次元のものです。

 五城目町は、全人口に占める65歳以上の割合が47.3%で、全国平均が29.1%(2022年)であることと比べると、高齢者がとても多いことが分かります。足が不自由であったり一人暮らしであったりするお年寄りが多い五城目町で、今回の災害による直接的な犠牲者は極端なほどに少なく、多くの人が安全な場所で豪雨が過ぎ去り川の水がひくのを待ちました。それは、私が近所のおばあちゃんに「逃げなさい」と直接声をかけてもらった通り、誰かが誰かを気遣う社会が日ごろから根強くあるからでした。
 災害に対するレジリエンスを高めるとき、災害後を見据えて4つのRを強化することも大事ですが、災害が起こる前の準備と災害中の段階で、一人でも多くの命を救える状況をつくることの重要さを強く感じます。心が裂けるほどの心理的な痛みを被ることは、復旧への気力も体力も、沸き起こるまで時間がかかります。人々の深い悲しみが生まれてしまう状況を、まずは可能な限り少なくすることは、命そのものを守ることの大事さは言うまでもなく、更には残された一人一人の被災者が目の前の復旧に取り組まざるをえない状況に対峙するにあたって、速やかにレジリエンスが機能するために重要なことなのかもしれません。そして、それがまずは災害レジリエンスを考えるときの前提として強く認識すべきことなのではないかと思います。

 サステイナビリティという概念の根底には「世代間の公平性」があります。難しい言葉になってしまっているけど、持続可能な社会とは、おじいちゃんもおばあちゃんも、子育て世代も若者も子供も、様々な世代が公平に気遣う社会です。五城目町の災害で犠牲者が極端に抑えられたのは、様々な世代がお互いを思いやる社会で、だから災害時も復興時もResourcefulでRapidな取り組みがあちこちで起こっています。これが災害にレジリエントな社会なのだと思います。ただ他方で、災害にレジリエントなまちだからこそ極端に犠牲者が少なかったことから物理的が復旧が中心となってきた今、日に日に被災地の報道が少なくなるスピードは速く、秋田県豪雨の被害が急速に忘れられていく現状があります。せっかく災害にレジリエントであった大事な教訓ももつ町なのに、その良いところを外の地域に気づかれないまま過ぎ去ってしまうことでいいのだろうか。それってもしかして、災害にレジリエントなまちであることで外の地域から無意識化されるスピードも早めていることのようで、返って矛盾を生んでいるような気もしています。

 日本の各地で高齢化が進み、人口が減少して小さい集落を多く抱えながら自然災害に対策を講じなくてはならない地方が多い中、町史に残る甚大な被害がありつつも極限まで人命を守ることのできた五城目町の災害レジリエンス。ここのよい教訓を今一度見つめながら、毎年発生する自然災害に、日本のどこかで誰かが被災し苦しむ状況に対して、いかに乗り越えていくべきか、伝えることを継続していきたいと思います。

4.参考文献
Bruneau, M., Chang, S. E., Eguchi, R. T., Lee, G. C., O'Rourke, T. D., Reinhorn, A. M. von Winterfeldt, D. (2003). A framework to quantitatively assess and enhance the seismic resilience of communities. Earthquake Spectra, 19(4), 733-752.

S. Roostaie, N. Nawari, C.J. Kibert (2019) Sustainability and resilience: A review of definitions, relationships, and their integration into a combined building assessment framework, Building and Environment, Volume 154, Pages 132-144,ISSN 0360-1323,
https://doi.org/10.1016/j.buildenv.2019.02.042.

M.N. Sajoudi, S. Wilkinson, S.B. Costello, Z. Sapeciay (2013) Resilient infrastructure principal features: A review, Department of Civil and Environmental Engineering, University of Auckland, New Zealand

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