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迷い尾

煙草を買いに出たついでに、散歩がてら遠回りして帰ることにした。

秋本番にはまだ早いこの季節、道端の花壇では暑さにくたびれた草花がうつむいて夜が来るのを待っている。心地よい夕風を楽しんでいると、足元に何かがまとわりつくのを感じた。見れば、犬の尾である。

いや。形状は確かに尻尾だが、果たして犬なのかは判然としない。なぜなら私の足首にすり寄るそれは、尻尾単体だからである。風に舞うゴミのように、それだけがくるくると宙を回っているのだ。薄茶色のくるりと巻いた形は、子どもの頃に飼っていた秋田犬を思い出させた。だから犬だと思ったのである。
犬かどうかはともかくとして、なぜ本体がないのだろう。尻尾以外は透明なのかと周りに手をさまよわせるが、何の手応えもない。手応えはなくとも撫でられたと思ったのか、尻尾はぱたぱたと上下に跳ねた。嬉しかったようだ。私が歩き始めるとピョコピョコとついてくる。
人懐こいから飼い犬だろうと考えながら歩いていると、尻尾が前に回りこんで行く手を遮る。私が立ち止まると、手前の角を左に曲がる。おや、先導する気かね。面白くなり、今度は私が尻尾のあとをついて知らない道へ入った。知らない道はやがて見覚えのある道となり、見知った通りに出た。なんだ。私の家じゃないか。

「なに連れてきたの」
妻が私の隣で跳ねている尻尾に目を止める。
「違うよ。勝手についてきたんだ。犬の尻尾みたいだけど」
そこへ、風呂からあがったばかりの息子が耳聡く聞きつけ、目を輝かせた。
「犬?どこ?」
しかし尻尾だけで本体がないと知り落胆している。
「追い払っても逃げないんだ。犬が好きなんだったら飼うか。餌代はかからないぞ」
「そうね、いいんじゃない。噛まないし吠えないし」
息子はぶんぶんと首を振る。
「やだやだやだ。犬全部がいい!一緒に遊ぶんだもん」
「この子でも遊んであげられるでしょ。ほら」
妻はたまたまそこにあった息子のボールを、尻尾に見せつけるようにしてから、玄関の方へ投げた。尻尾はその場でぶるると震えると、大きく弧を描いてボールが落ちた方へと飛んでいく。
「ほら、喜んでる」
「でも、ボールを持ってこれないよ」
「そこは仕方ないわ。パパ。ボール拾ってきてよ」
犬の代わりにボールを拾い上がると、尻尾は私の足をぐるぐる回り始める。息子はそれを見て羨ましくなったと見えて、パジャマ姿で私に飛びついてきた。
「僕もやるー」
尻尾は吠えるかわりに、息子の足にすり寄った。


尻尾が家に居ついてひと月ほどたったある日、一人の若者が訪ねてきた。まだ小さな柴犬を後ろに連れていた。
「最近こちらで、犬の尻尾を拾われたと聞きまして……」
尻尾だけを散歩に連れ歩くのが目を引いて、近所の噂になっていたらしい。

幼い柴犬が、自分の尻尾を追って遊んでいるうちに、ぐるぐる回りすぎ勢いあまって尻尾だけがどこかへ飛んでいってしまったと言う。なるほど柴犬のお尻はつるんと真ん丸だ。
「それからずっと、なくした尻尾を探してるのか落ち着かないんです」
若者の説明に、柴犬はくーんと鼻を鳴らして同意した。
そういうことだから、お家に帰してあげようねとなだめたが、息子は嫌がって尻尾を離さない。だが、本体である柴犬を間近で見せると、その愛らしい眼に夢中になって、尻尾を握っていた手が緩んだ。尻尾はその隙に息子の手を逃れ、あっと声をあげた時には柴犬の尻に収まっていた。
若者は尻尾の具合を見るのに「どれ」と引っ張りすぎて、柴犬に文句を言われている。

「大丈夫なようです」
「よかったよかった」
若者は礼を言って去っていった。息子は尻尾も柴犬もなくなって泣きべそをかいている。
「また尻尾を見つけたら、パパが連れて帰ってくれるわよ」
「おい、適当なこと言わないでくれよ」
「パパ、しっぽ探しに行こう」妻の言葉を真に受けて、息子は私の手を引っ張る。
妻がさっさと息子の靴を出すので、私はしかたなく息子と出かけた。しばらく散歩すれば気も晴れるだろう。

コンビニでアイスを買って、機嫌のよくなった息子と家に向かうと、風に吹かれた落葉が服のすそに引っかかった。立ち止まって取ろうとして、それが葉っぱではないことに気付く。息子が歓声をあげ、焦げ茶の縞模様をつかもうとして何度も逃げられている。息子のほうがじゃれているようだが、

どうやら、今度は猫の尻尾であるらしい。




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