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星の日

 嵐の夜も、海の底は静かです。
 海の上のほうは、雨風に打ちつけられて荒れた波が踊りくるっているので、魚たちはいつもより下に潜って休んでいます。

 マンボウはなんだか眠れずに、夜の散歩に出かけてみました。夜の魚たちが、いつもは見かけないマンボウをめずらしそうに横目で眺めて行き過ぎますが、真っ暗な水の中、マンボウにはよく見えません。
 晴れた日には波の上で日なたぼっこするマンボウですが、夜は初めてでした。お天気のときはぎらぎら光る波模様も暗闇の中には見つからず、深い深い闇の幕が、海の表面を覆って揺れています。
 うねり揺れる黒い天井をマンボウはひとり見つめておりましたが、そうしてるうちなんだか窮屈な気持ちになって、水のおもてに出たくなりました。黒い幕の中に入るのは最初怖じ気を震いましたが、思い切って勢いをつけて頭を突っ込みます。
 黒い幕の中は、どんより濁った冷たい水の層で、マンボウはよその海に迷い込んだかと思いました。いつも泳ぎ慣れた海とはまるで違う、荒ぶる波にからだが持っていかれそうになります。水面を目指そうとするマンボウの目の前が明るくなってきました。おや、もう朝? 違いました。光っているのはたくさんのクラゲたち。

「おや。マンボウさん」
 一匹のクラゲが声をかけました。「こんな夜中にどうしたの」
「なんだか落ち着けなくて散歩してるの」とマンボウは答えました。
「きみたちは、どうしてこんなにたくさん集まって光っているの」
「今日はね、星の日なんだ」クラゲはマンボウが知らない言葉を答えました。
「星の日? 星ってなあに」
「夜に空を泳ぐクラゲのことだよ。誰も会ったことはないんだけどね。彼らとは住む世界が違うから」とクラゲは教えてくれました。
「今日みたいな雨の夜は、彼らは空に出られないんだ。だから親戚の僕らが代わりに空に向かって光ってあげてるんだよ」
 クラゲはそう言うと、マンボウに手を振って群れに戻っていきました。

 星というものを見てみたいなとマンボウは思いました。
 海のおもてに顔を出すことはありますから、空がすいぶん遠くであることはわかっています。それでもクラゲたちのように光っているなら見つけることはできるでしょう。

 晴れた日の夜。マンボウは眠いのを我慢して海の上のほうへ向かいました。今夜はクラゲたちもいないので真っ暗ですが、波は穏やかで、マンボウはなんなく波間から顔を出すことができました。
 海の外も、水の中のように真っ暗でした。どちらにいるのかわからなくなるほどでした。マンボウは昼間とあんまり違うけしきに戸惑いましたが、クラゲの話を思い出して空のほうを見上げました。
 ああ。見つけました。小さな小さなクラゲたち。暗い空をちらちらと照らしています。泳いでいるようには見えませんでしたが。それにクラゲの形をしているのかどうかもわからないほど遠くです。もっとそばに近寄りたい、とマンボウは思いました。そこでいったん水の下へ戻ると、力いっぱい水を蹴って海を飛び出しました。

 すぱーん!

 見事なしぶきがあがって、マンボウのからだが空中に飛び出しました。
 空のクラゲたちに近づこうと、マンボウは懸命に泳ごうとしました。星に向かって一生懸命ひれを動かして。そうするうち、いつしかマンボウは空を飛んでいました。けれど空の天井はどこまでも遠くて、行けども行けどもたどり着けません。長い間そうしているうち、辺りが明るくなっていることに気付きました。もうお日さまが顔を出す時間になっていたのです。空のクラゲたちも帰ってしまっているではありませんか。
 マンボウは疲れてしまったので、いったん海に帰って出直すことにしました。帰りは行きよりすっと楽でした。どぼん!と懐かしい海に飛びこむと。波にからだを横たえてゆらゆら揺られながら、ひと眠りしました。眠りながら、マンボウは空のクラゲたちの夢を見ました。夜の空でふわふわと光るクラゲたちが踊っている夢でした。夜が来たら、とマンボウはうとうとしながら考えました。夜が来たら、また空のクラゲを見に行こう。

 マンボウが空を飛べるようになったのは、この時からだったのですよ。


〈終〉

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