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地図

小学校では、迷路を書くのが好きだった。ノートにもチラシの裏にも、白いスペースがあると何にでもカクカクと鉛筆を走らせた。テスト用紙の裏をびっしりと迷路で埋めてしまったこともある。テストの点数は良くなかったが、裏の迷路にはピンクの色鉛筆で花まるが付いていた。いい先生だった。

中学にあがると、人を迷わすための迷路の道が、導くための道に見えてきた。図書室で読んだファンタジー小説にのめりこみ、挿絵に描かれた物語世界の地図に夢中になった。その地図をノートに書き写して物語を反芻するうち、小説には書かれていない自分の空想の場所を付け足す楽しみを覚えた。そうして幾度も書き直されたそれは、もとの地図とは似ても似つかない、自分だけの架空の地図となった。城を迷路で囲んだ公園や、未知の海に漕ぎ出るための港。真っ暗な森と深緑色をした湖。湖には森にすむ動物たちが水を飲みにやってきて、それを眺めるための隠れ場所がある。架空の駅には、行き先をまだ決めかねている汽車が常に停車していた。

あるとき、わたしはその地図に自分の家を書き込んだ。家族と住む自分の家ではなく、わたしひとりだけの、架空の家。
壁の色は黄色。そう決めていた。緑の草木に映える。目をつむってドアノブをひねると、白いドアが手前に開き、奥に向かって廊下が伸びている。つきあたりはぼんやり霞んで見えない。わたしは靴を脱いで廊下を進んだ。ひと足ごとに、壁が、引き戸が、階段の手すりが姿をあらわして、次には階段が一段ずつ。ブロックを組み立てるように家ができあがっていく。

ベッドは天井の低い屋根裏にした。庭を見渡せる場所にオルガンを置いた。緑でいっぱいの庭にしたかったが植物には詳しくないので、画集で見たイングリッシュ・ガーデンのイメージで整えることにした。さらにキッチンの配置や窓の位置までことこまかに決めるまで、何週間も何ヶ月も費やした。時おり改装を加えることもあった。カーテンを変えたり、本棚に並ぶ本を入れ替えたりもした。本はどれもわたしの愛読書で、家のどこであれページを開けば、座り込んで日暮れまで読みふけることができた。
どうしてこれまで、地図にこの家を加えなかったのだろう。わたしは不思議に思った。こんなに楽しくて充実したこと。取り組むだけの時間がなかったのかもしれない。わたしの身体はいまは休んでいる。どこだかわからないが白いシーツの上で。家を作り上げるのは大仕事だった。身体が忙しかったらきっと完成させられなかったろう。

この町はいつも穏やかだ。ごくたまに、ぽつりぽつりと雨降りの日があって、そのときだけは落ち着かない気持ちにさせられるけれど、おおむねは幸せに過ごしている。明るくなると目覚め、日が落ちると知らぬ間に眠る。いずれこの家で過ごすのに飽きてきたら、地図に描いたあの湖や、暗い森へも入ってみよう。外に出て、道をつないで、町のすみずみまで作り上げよう。
平和で、美しく、静かな、わたしひとりだけの町。



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