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華もちならない金曜日 その1 哲学の起源

ということで、金曜日の夜に毎週投稿することにした。華もちならない金曜日、華金だ。

感情というのは生ものであり生物だ。
つまり、早く表現しないと腐っちゃうのに、早すぎると成長しないで未熟なまま。

適切な期間、そう、感情を煮詰めて腐らす直前の、「発酵」と人が呼べるくらいのギリギリな長さが欲しい。これがちょうど月曜日から金曜日までだ。土日すぎるともう昔になっちゃう。

てことで華金です。


100円の買い物に1万円出すと"増える"よね。

いや、増えないけど、"増える"だろ。

知ってる。算数は履修してる。
小銭とか枚数は増えるけど実質的には何も変わらない。支払う額が同じなんだから当然。知ってる。

だけど、なんか得した気がする。物量は増えてるから財布も厚い。
何なら支払う前よりリッチな気分になるから、なんだか余計なものまで買っちまいたくなる。
何も変わってないのに、そんな気がするだけで俺の財布は確実に空っぽに近くなる。こんなにリッチなのにね。

思えば俺が考え悩む時も、この「気がする」に苛まれている。

哲学的な大きな問いと人生の細々とした悩みを同一視しないと気がすまなかった。いや、気がすまない時がある。

単純に文にしてみると恥ずかしくていけないけど、たとえばの話、「自動車教習所で落第しまくること」を「規則のパラドクス」とか「差延」のせいにしていた。

意味わかんないでしょう?二つ、意味わかんないと思う。
まず、何?その「規則のパラドクス」と「差延」って。
あと、それがなぜ自動車教習所と関係あるの?

答えます。






もう忘れました。

どっちも忘れたし、なんなら規則のパラドクスと差延に悩んでいたかさえもあやふやで、テキトーです。でっちあげました。

ただ思い出せることがある。
俺は、肥大する自尊心と現実の己の無能の隙間を、哲学という一般的にワケのわからない学問の醸しだす、ワケのわからなさに由来する偉大さで隠蔽したのだ。

まあつまりね、「なんかすごいことに悩んでいるから俺はこんなにも何もできないのであって、俺はお前らとは違うステージに次元上昇してるんだよ」って思ってた。いや、思いたい時がある。

そうなるとね、哲学ってまあ麻薬と一緒。俺にとっては。
「自分は偉大な、人類が解きたくとも解けないアポリアに立ち向かう実存的な人間であるため、多少なりとも世間に対しコミットしない≒できないことはむしろ当たり前である」なんて凄すぎる夢を6年もの間正当化できるなんて、カタカナで書くタイプのクスリと何が違うのだろう。

こんな"賢い"俺だがしかし、「なぜ人類が解けていない問いに、わざわざ自分が悩むのか?」と一度でも考えなかったのが不思議でならない。だって、それならすべての人が悩むはずだから。

答えは簡単にみえる。それは、悩むことで悩むことから逃げていたからだ。

普通は悩むこと、考えることから逃げる。
けど、俺は少し捻ったよ。
悩むものをなるべく自分とは違うもっとカッコよくて尊大なものにすり替えて、塵みたいにしょーもない日々の悩み、しかし他でもない自分の身に降りかかるかけがえのない悩みから逃げていた。
まさか俺ともあろうものが、たとえばさ、バイトで接客に緊張して借りてきた猫みたいになったのが原因で暗くなってるとか、バレたくないじゃんか。

で、こんな感じで接してるとね、周りから責められないばかりか褒められたり認められたりする。すごくね?
「キャラ濃いね」って、言われすぎてプレパラートみたいに薄くなった慣用句をおこぼれで貰える。
気持ちいいんだよなぁこれが。生きてるって感じしたもんな。一番言われてるからこれ。体内の60%これ。動脈硬化してる。

こんな俺だから思うんだけどね、かっこいい本とか漫画とか、感動する映画とか、自分だけが気づいている意味深なコンテンツとかに、自分を変えてもらったり、認めてもらおうとするの、面白いけど虚しい。虚しいんじゃないよ。面白いけど虚しいんだ。面白いよ。ほんとに。

俺はだから、哲学をやめようとか、ダメとか言いたくない。そんなことしてもするやつはするし、しないやつは一生しない。

でも俺は言うけども、俺みたいな平凡なやつはたくさんいるんだよ。哲学に限らず、ともかく何かに胸を打たれて感動したがってることを止められないやつはたくさんいる。そう思う。
そのすばらしくて夢みたいなものは、たとえば早起きしてトイレに駆け込んだらめっちゃ快便だった的なイベントにさえ敵わないことを、感動している間は忘れていられる。

俺にとって哲学の起源は、虚栄心と"偉大な"ヒロイズムだった。これがオリジナリティだ。


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