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パリのジョンとポール🎸ナーク・ツインズ珍道中 w/BGM

誰にも青春時代はある。明日など見えない時代は、何だってやる。好奇心の塊だから恥ずかしい事もへっちゃらでやる。ジョン・レノンとポール・マッカートニーも例外ではない。これは、ザ・ビートルズがレコードデビュー前の1961年10月、ジョンとポール二人っきりで2週間パリを彷徨った記録だ。

ジョンとポールは時折、ナーク・ツインズと名乗っていて、ビートルズをひと休みしてスペイン旅行をしようと考えた。途中でパリへ数日立ち寄り、大好きなブリジット・バルドー風のパリジェンヌを品定めし、ユルゲン・フォルマー(Juergen Vollmer:カメラマン助手)が着ているような服を探し、ユルゲン本人にも会うつもりでいた。

ブリジット・バルドー / ユルゲン

1961年10月1日、ジョンとポールはヒッチハイクをするつもりで山高帽をかぶり、ジョンはポケットに金持ちの叔父さんから貰った100ポンドを入れ、出発した。ロンドン~ドーバーまで列車に乗り、最終便のフェリーでフランス・ダンケルクに到着。翌朝、始発列車でパリ北駅に着いた頃は、期待で胸がはち切れそうだった。終戦後16年の社会で日々生活するイギリス人にとって、パリほどエキゾチックで、魅力的、スリリングな場所はどこにもなかった。
🎙️BGM Cafe On The Left Bank

ユルゲンはセーヌ川左岸、オテル・ドゥ・ボーヌという安宿に泊まり、写真家助手の仕事を探していた。清潔な髪をとかして下ろし、流行のファッションに身を包み、洗練された憧れのフランス人によく馴染んでいた。一方、ジョンとポールは、エルヴィス風のヘアにレザージャケットのロカビリー・スタイルに山高帽といった独特な姿でパリに乗り込んでいた。

John &Paul in Paris

モンマルトルの娼婦に

ユルゲンのホテルも、近くの安いペンションも満室だったので、ユルゲンの部屋の床で寝てもらおうと、こっそり案内していたら、パジャマ姿の接客係が3人を見て悲鳴をあげた。ユルゲンが必死に身の潔白を訴えている姿を見ながらジョンは彼をからかった。
 付近の娼婦たちが使う安ホテルがあるモンマルトルなら、空き部屋がみつかるだろうとジョンとポールはタクシーで向かった。スペインでは合格点をとったポールが通訳し、フランス語は落第点を取ったジョンが通訳を引き受けるつもりだったが、なかなか骨の折れる珍道中だったようだ。2人は娼婦たちに「今晩、泊めてもらってもいいかな?」と深夜に声をかけて歩き回った。誰か一人ぐらいは「いいわよ、ムッシュー」と答えてくれると甘い夢をみていた。ポールは当時を思い出してこう語る「ぼくらは若いし、けっこうハンサムだと思っていたから、声をかければOKだと思ってた(笑)。ところがそううまくいかず、自力でみすぼらしいホテルでノミに嚙まれながら夜をしのいだんだ(笑)」

スペインに行くはずが

2人は翌日もそこに泊まることになり、延泊を重ねた。パリにはエキゾチックな女性が溢れ、彼女たちのフランス語にリバプールの若造はメロメロになっていたのだ。ユルゲンに案内されたパリの名所にも夢中になった。ソルボンヌ大学近くのカルチェ・ラタンを訪れ、アングレ通りでバナナ・ミルクセーキを飲んだりした。

ドラクロワのカルチェラタン ドゥ・マゴ

セーヌ川左岸のヘミングウェイやサルトルも通った有名カフェ「ドゥ・マゴ」でワインを飲み、エッフェルタワーにも行ったが、料金が高くて展望台には登らず、下でポールがジョンの写真を撮った。弟のマイケルからカメラを借りてきていたのだ。ユルゲンがガルニエ宮(オペラ座)へ連れて行くと、2人は突然歌い出し、ユルゲンを抱え上げてマドレーヌ通りを往来した。恥ずかしくて片言の英語で「Get me douw! Let me down」と叫んだ。ジョンもポールもパリが大好きになり「世界で一番好きな街だ」と宣言した。ジョンは語る「人々がキスしあったり、抱きしめあったり、とてもロマンチックだと思った。さりげない仕草が。ベタベタといやらしくイチャつくんじゃなく、ただクールにキスしてる。フランスでそんな光景をみて憧れたよ」

🎙️BGM I Am The Walrus 歌詞に「エッフェル塔に登る」と出てきます
♬Semolina Pilchard Climbing up the Eiffel Tower

エッフェル塔のジョン オペラ座 マドレーヌ通り

ボヘミアン・ビューティーのアリス vs ジョンとポール

パリに見せられた2人はスペインに行く気配さえ見せなかった。ユルゲンは述懐する「ジョンもポールも、どの子をみても『いいなぁ』と言ってたよ。僕が『ボヘミアン・ビューティー』と呼んでいたスタイルが気に入っていたんだ。実存主義に憧れる女の子たちを気に入っていたジョンとポールだけど、女の子たちの方は必ずしもジョンやポールを好きだったわけじゃなかった(笑)。僕にはアリスという、やたら美人のフランス人の女友だちがいた。長い黒髪でスタイルも良い、ボヘミアン的なおしゃれな子だった。ジョンとポールがどんなに魅力的でリバプールで凄い人気者かアリスに言って、2人にもアリスの話をして、サンジェルマン大通りのカフェ・ロワイヤルで待ち合わせた。僕ら3人は先に来ていて、そこにアリスが入ってきた。彼女の顔色から『こりゃマズイ』と思った。座るのもまっぴらという顔だ。アリスはユルゲンを『よくも私をこんな野蛮な人たちと会わせようと思ったわね』と嫌悪感丸出しでなじった。ジョンもポールもエルヴィス風のグリースヘアにレザージャケットで明らかにサンジェルマンで浮いていた。フランス語で言い合う僕らの口論の原因がまさか自分たちにあるなんて二人とも気づいてなかった。アリスはすぐに帰って、それっきりになったよ。何年も経った後、偶然会ったアリスに伝えた『あれはジョン・レノンとポール・マッカートニーだったんだよ』と。その時のアリスの顔が忘れられないよ。あんなに笑ったのは久しぶりだった」

アリスにフラれたジョンとポール

パリ風のおしゃれスタイルに憧れて

ジョンとポールは1年前、ハンブルグで出会ったユルゲンのパリ風おしゃれスタイルに憧れており、パリでおしゃれしてスペインに行くつもりだったようだ。ユルゲンは語る「自惚れに聞こえるかもしれないけど事実なんだ。2人ともボクみたいになりたいと言ってね」。ポール自身も後年、ハワード・スターンにユルゲンのことを語っている。ユルゲンは二人を蚤の市に連れて行ったり、ユルゲン風おしゃれの買い物につきあっている。ジョンはグリーンのコーデュロイジャケットを買い、ポールは派手な模様のタートルネックセーターを見つけた。一番思い切った買い物は、2人そろって勝ったフレア・パンツだ。しかし、それを穿いたのはこの1度っきりだったようだ。

ジョンは思い出す「あのパンツはバサバサしてたからね。僕らは脚にぴっちりフィットするパンツじゃなきゃ、自分がバカみたいに思えてさ。だから買ったその晩のうちにポールと一緒に手縫いで細くしたんだ」

フレア・パンツを穿いていたのは当時パリだけで、そこでは誰一人気にしなくても、リバプールに穿いて帰ったら大問題になる。LGBT意識の欠片も無かった当時は、女々しいスタイルはとても受け入れられるものではなかったのだ。誰もやってない事をやるビートルズだったがフレアパンツを穿く勇気は出なかったようだ。しかし、モンマルトルの薄暗いノミの出る部屋でレノン&マッカートニーが針と糸で、せっせと縫物をする姿を想像すると、笑いがこみあげてくる。と、分かった風に書いてはいるが、筆者もフレアパンツ、ベルボトム、パンタロンの違いはイマイチ良く分かっていないのですが・・・💦

フレアパンツ(たぶん…)

ジョンがフランスからファンに宛てたハガキにこう書いてあった「パリは素晴らしいよ。ただ、ロックがないのは寂しいね、フレンチロックという柔な音楽ならあるんだけどさ」。2人はオランピア劇場で、当時18歳のスター、ジョニー・アリディも観に行った。エルヴィスの焼き直しみたいに見えた。ジョンとポールは、ピガール地区にあるバル・タラバンというフレンチ・カンカンで有名なクラブでロック・フェスの小槌ポスターを発見した。ここの出演者たちより自分たちの方が上手いと思い、1晩だけでも、出来たら数日間、ナーク・ツインズとして出演できないかと売り込んだ。ロックフェス主催のヴィンス・テイラーと話をして、バル・タラバンの支配人に口をきいてもらった。とは言え、ジョンもポールのギターを持っておらず胡散臭い感じもして、支配人からは何の興味も持たれなかった。「リバプールで人気だろうが、ハンブルクで有名だろうが、知らんし」と興味も持ってもらえなかった。超レアなデュオ、レノン・マッカートニーを出演させる、という途方もないチャンスを逃した事に気づいた時、支配人はどんなに後悔したことだろう(笑)。

余談だが、ジョンとポールが滞在していた時期は、パリが特別に不安定な時期だった。ミュージック・ホールABCのロビーが爆弾で破壊され、レイ・チャールズのコンサートも延期された。テロ活動はピークに達し、パリ警察が抗議集会の最中にデモの参加者40名を銃殺したほどだ。フランス人が電気屋のテレビの前に溢れて、ド・ゴール大統領が演説している光景をずっと覚えていたポールは、WINGS AT THE SPEED OF SOUND収録のCAFE ON THE LEFT BANKに歌いこんでいる。

ポールがマイクから借りてきたカメラで色んな写真を撮っている。ジョンとポール2人が写っている写真はユルゲンが撮ったものだ。2人が演奏させてくれと頼んだクラブ「バル・タラバン」の表で撮られたナーク・ツインズの写真もある。とはいえ、顔の半分は写っていない。ユルゲンは正直に語る。「あのカメラは使い方が分からなかったんだ。その後、ジョンとポール2人から手紙がきて『さすが、君はプロの写真家だね。ぼくらの顔をちょん切ってくれた(笑)』と書かれていた」

バル・タラバン前で顔をちょん切られたジョンとポール



🎙️BGM Beautiful Boy by AI John & Paul


ポールがハワード・スターンにパリでユルゲンのヘアスタイルを真似た思い出ついて語る

参考書籍📚引用📕

ザ・ビートルズ史〈誕生〉

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