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自殺動画にみる「道徳」の正体 下らないニュース解説番外編2

前回に引き続き、また書きたくなったニュースが出てきたので、引き続き書いてまいります。これじゃあ止めた意味ないじゃん。

そんな今回のニュースは、2023年4月14日から15日あたりにTwitter上で「自殺動画」「例の動画」で流行っていた動画について。

私も件の動画見ましたが、女子高校生2人が「せーの」といってビルの屋上から飛び降り数秒後にドシャーンと音がするという動画で、Twitter上では「ショックを受けた」というコメントが多数散見されたのですが、

ネット民なら(実際の現場は見たことないにしても)こういう類の動画はワンサカ見てて免疫ついてると思ったけど意外とピュアなのね、ジェネレーションギャップかぁ?というのが第一印象。

おせっかい

そんな私の「俺はこういう動画見慣れてるから平気だぜ」というイキりコメントは置いといて、こういう時に出てくるのが「死ぬな」「生きろ」「生きていれば良いことある」などといったおせっかいの大合唱。

Twitterでも「あなたの思いをそのまま聞かせて(迫真)」なんてのがトップに出てきて白々しいことこの上ありません。

心理学を勉強したか、カウンセリングの技法を身につけたかは知りませんが、それらは所詮「畳の上の水練」にしかすぎません。呼んだ覚えもないのに、傾聴と称してやってきて、したり顔でうなずいたり、「お気持ち分かります」などと、おぬかしになろうものなら、「死んだこともないくせに、死んでいく俺の気持ちがわかってたまるか」と、私なら怒鳴りつけることでしょう。

中村仁一『大往生しけりゃ医療とかかわるな』

シチュエーションこそ違えど、自殺相談も大体が上記と同じく、「所詮は他人事」というスタンスで、気休めにもならないことが殆どでしょう。

そもそも「自殺はいけないこと」という姿勢自体が、自殺していった人達に対して失礼千万じゃないの。自殺した人間は人に非ず地獄行きってか。カルト宗教かよ。

自分の死を自分で決めることができない社会なんて、とんだファシズムだ、こういうファシスト共が尊厳死や安楽死に反対しているんだろう、と思ってしまうのは私だけでしょうか。

「道徳」というものの正体

では何故「死ぬな生きろ」「生きていればいいことある」というファシズム的おせっかいが蔓延っているのか、これは簡単な話で、「お上がそうしろと言ったから」これに尽きます。

その証拠に、80年くらい前までは「死ぬな生きろ」どころか「お国のために死ね」「鬼畜米英に捕らわれて辱めを受けるくらいなら玉砕せよ」が至上で、これに疑問を呈そうものなら非国民扱い、

数年前に「感染予防効果のないものを何回も、しかも子供にまで打つのは何かおかしいんじゃないの」という疑問をちょっとでも発しようものならそれだけで非国民扱いだったじゃないですか。

現在「死ぬな生きろ」「生きていれば良いことある」などと連呼している連中は、80年前なら「お国のために立派に死んでこい!」「おめおめと生き延びた恥晒しめ!なぜ死なん死ね!」と連呼しとるで100%絶対。
「自分がなぜそのように連呼しているのか」ということを一切自覚せずに。

要するにこれが「道徳」というやつで、
「道徳」とは権力者から押し付けられる価値観
「道徳」とは権力者の都合の良いように決められたルール
これが道徳の正体なのであります。

ひろさちや氏が示していた具体例を上げると、平社員が遅刻するとこっぴどく叱責されるけど、社長が遅刻しても「すまんすまん」でオシマイ、これが「時間を守りましょう」というガバガバなルール、すなわち「道徳」なのであります。

なので、「死ぬな」「生きろ」なんていうのも「時間を守りましょう」と同じく、上から押し付けられた上に都合の良い価値観、「道徳」であるということに気付きましょう。
この社会はそんな「道徳」てんこ盛りで、知らず知らずのうちにそれら「道徳」に毒されていると気付きましょう。

その上でどうするかは、一例を挙げると私が以前書いた記事の通り。
以前書いた記事:人生開き直るに限る

これはあくまで私の体験なので、これを読んでいるあなたは、どうするか自分で決めていってください。

以上、他に色々書きたいことは山ほどあるのだけど、全部書いていると冗長になるしキリがなくなるので今回はここまで。

ちなみに私が自殺決行の現場に出くわしたら、見殺しにすると何か寝覚めが悪くなる感じがするので一応止めるけど、最終的には本人の意志を尊重します。

あとタイトル画像は、私が二十数年前に自殺未遂をやらかした建物の外観。