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【2020年 東大日本史 解答速報】

第1問
(A)盛唐文化が流入し、鎮護国家思想とも相まって仏教が流行する中、官吏の養成や仏典の写経に漢字の教科書が必要とされたから。(58字)
(B)天皇家は中国皇帝が重視した書を重用することで自身の権威の強化を図り、律令国家による人民把握や徴税、国史の編纂において、また皇族や貴族による漢詩文の作成において漢字は広く利用されるようになった。その結果、漢字文化圏の拡大・定着が促進された。(119字)


第2問
山鉾は富裕な商工業者である町衆を中心に、町単位の人頭税や土地税により運営された。町名に山鉾の名称が冠されることもあり、町ごとに運営された山鉾は両側町の成立などを通じて自治組織としての結束力を強固にした。山鉾の運営には町をまたいだ連携も必要であり、ときには町は幕府と交渉するほどの独立性を帯びた。(147字)


第3問
(A)朝廷は儀式の実施など形式的権威として、幕府は研究や全国的施行など執行機関としての役割を果たしたが両者とも発言力を有した。(60字)
(B)享保以前は中国伝来の知識に依拠していたが、享保期には幕府が輸入制限を緩和した漢訳洋書が用いられた。その後蘭学を奨励する幕府が蛮書和解御用を設置し、直接和訳された洋書が用いられた。(89字)


第4問
(A)過激化する士族・農民反乱や拡大する自由民権運動への軍の加担を恐れた政府は、反乱を鎮圧する共に、讒謗律・新聞紙条例や漸次立憲政体樹立の詔の公布を通じて自由民権運動の鎮静化を図った。(90字)
(B)開拓使官有物払下事件や即時国会開設を求める大隈重信の政府追放に対する民権派の非難に対処すべく、国会開設の勅諭を発布する一方でさらなる政情の不安定化を抑制できる体制を整えようとした。(89字)

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