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会社を設立しました

4/9に株式会社nobanaを設立しました。

すでに設立からはや4ヶ月ですが笑、融資が一段落したこのタイミングで創業時の現在に考えていることなどを書いてみようと思います。

nobanaという名前

シンプルに”野花”でノバナです笑 まずはストレートに、原っぱに野生の花が咲いているのような景色をミードを通じて表現したい、というように考えていただいて間違いないです。 またミツバチが蜜をとってくるのも様々な野生の花ですから、そういった原料が生まれるもととなる土地や環境をお酒にしていきたいという思いもあります。

こんなかんじ

もう少し詳しく書いてみると、野花とは反対の位置にあるのが、生花屋さんで売っているような綺麗で大ぶりな花と考えています。もちろん生花屋で売られるような花も好きですし、貶めたいわけではないのですが、私達は野に咲いている小ぶりな(オオイヌノフグリみたいな)花の価値を発見していきたいということです。

要するに、「きれいな生花や整った庭もいいけど、雑草の中で野に咲いている花も良いよね!そういう景色も素敵だよね!」というのが一つ核にあるメッセージです。

また私なりの視点からみてみると、私は埼玉出身ですが東京との県境の町だったため、もろベッドタウンの、緑のない土地で育ちました。今は地方で木々に囲まれて過ごしているわけですが、そこで感じる豊かさの一つがまさに「野に咲いている花」の光景なのです。

ちょっと草が多いけど、こんな感じ

緑豊か、といってもそこには様々な景色があります。田んぼや畑として作物が綺麗に揃って生育されている場面もあれば、ビニールハウスにずらっと並んだ果樹園、雑木林もあるでしょうし、おそらく昔に植樹されたのであろう杉林、あるいは誰も手入れをしなくなりススキやセイタカアワダチソウに似たイネ科の植物がこんもりと生えた耕作放棄地、遂には灌木が生えてしまった土地、荒れた竹林、などなど。

そういったものの中でも、個人的には一番好きで心が休まるのが、「野に咲く花」であり、それを少し自分で分析してみると、①人の関与・作為性②色合いなどの美しさ③複雑性のあたりのパラメータが自身にとっては大きな位置を占めているのだろうと思います。

人の関与や作為性でいうと、低い方が良い。作物が整列している光景よりはまばらな方に美しさを感じます。かといって荒れた土地は違います。
やはりパッと見たときの色合いの美しさも重要で、その中でも花の色彩は格別です。そういった要素はなかなか荒れて灌木が生えてしまうような土地にはありません。
そしてそれがコスモス畑のように単一の植物だけでなく、さまざまな形や色の植物が存在することによって、様々な要素が混じった豊かさを感じることができると思うのです。

こんなことをタラタラと書いたのにもわけがあって、これは私にとっての美味しいお酒の価値にもつながってくるのです。そのまま敷衍してみると、①人の関与・作為性②香味の良さ③複雑性になり、こういった要素を兼ね備えたお酒を造りたい=そうした景色にぴったりなのがnobanaであろうというわけです。

もう少しだけ書くと、いずれはそういった場所で養蜂を行い(必然百花蜜になる)土地をそのまま蜂を通じてお酒にしていくような、そういったことが出来たら良いなあと思っています。(お酒自体については別でもう少し詳しく書きます。)

さらにもう少しだけ掘り下げます笑。これはお酒のあり方にも関わる問題なのですが、私はお酒にとって必要なのはある種の過剰性ではないのかと思っています。

様々なところで言われていることですが、今や必要なモノは身のまわりに溢れ、ビジネスとして必要なのは付加価値であることには間違いありません。それはお酒にとってもそうですが、付加価値という点から考えたとき、お酒の場合は高機能であることはできません。もともと嗜好品な上、利便性も必要ないですし、健康面もアルコール飲料である時点で難しいでしょう。

それでは何が価値を上げているのかといえば、端的に言ってしまえばそれはブランドが価値を上げているわけです。ワインやウィスキーをはじめとして数々のブランドの名前が広く定着しています。

そういった中で、まだ自身のブランドでお酒を造っていない段階からどう戦うか、というよりも、どのように飲む方に受け入れていただくか。そのためには通り一遍の言葉を並べるのではなく、もっと自身の主観に近いようなメッセージも必要になると考えています。(もちろん飲んでくださる方を無視して良いというわけではないです。)

人はお酒を飲まなくても生きていけます。その時点でお酒は過剰な存在であるわけです。そしてこれから自分の造るお酒が人に届いた際に、どれだけ伝わるかはそもそも造る側の過剰さにかかっていると考えています。これは前職でお酒を造って発信している時から感じていたことでした。

自分で言っておきながら通り一遍な話になってしまうのですが笑、そういた過剰性は贈与というコミュニケーションの形でよくあらわれます。もちろんお酒自体はお金との交換で販売するわけなので贈与ではないですが(それはもはや事業では無い笑)、それでもお金以上のものが乗るのも確かなことで、そういったものを大事にしたいと考えています。

そういった余剰の行為はお酒づくりのプロセスにもあると思っていて、どの酒類にも共通なのが酵母の働きです。まず酵母はニンゲンのためにアルコール発酵をしているのではなく、酵母自身が生きるために行っていることの副産物としてアルコールが生まれます。酵母が資化するのは糖分ですが、その糖自体も例えば日本酒であればコウジカビが繁殖した結果生まれるもので、蜂蜜でいえばミツバチが生きるためにせっせと集めて分解濃縮させたものです。

これらは微生物や植物に、労働の対価を渡して行ってもらうものではありません。これらの行為はまた贈与とは違うと思う(どちらかといえば誤配で、そういう意味では贈与でもある?)のですが、自分としても美味しい蜂蜜があったからお酒にして飲んでみたいと思った、という最初の動機は大事にしたいと思っています。大げさな言い方をしてしまえば、最終的な対価を目的にしてお酒を造るのではなく、お酒を造ってみたい、そして出来上がったものを他の人にも飲んでもらいたい、というところを大事にしてスタートしていきたいということです。

そういった贈与という観点から考えても、花というのはこれまた特別な存在だと思います。花を贈るという行為は物理的には何も生み出しません。花をもらっても飾るくらいしかできず、しかも余命は短い。
そもそも花自体の装飾性には植物の生存に直接寄与することはなく、完全に余剰の存在です。

とりあえず写真をいれる

カッコよく言うのであれば、「造る側から飲む側へ、花を贈るように」。そして「飲む側同士でも花を贈るようにして勧められるように」。こういった余剰の部分の循環が起こってほしいという意味も込めて、それを花というシンボルに託してnobana。深読みしすぎだろ!長過ぎる!と私も思いますが笑、このタイミングで書いてみました。

事業内容

まずは蜂蜜酒=ミードの製造を行います。鹿児島県いちき串木野市の山あいの土地に小さい蔵を建てる予定です。スケジュール感としては、2025年の年明けくらいからお酒を造り始められたらと思っています。

もともと私はWAKAZEという会社に所属しており、そこで今はクラフトサケと呼ばれるお酒を造っていました。米だけでなく様々な原料をつかって多種多様なお酒を造るうちに、ミードに出会いました。

このあたりの詳細は省きますが、実は在籍時から完全に独立したプロジェクトとしてミードの製造を行い、ひっそりと販売していました。そこでの経験がもとになり、会社を辞めて自身の事業としてミード醸造を行うに至ります。

その後いちき串木野市の白石酒造とのご縁で移住することになるのですが、このあたりの経緯についてはまた別の記事に詳しく書いてみようと思います。

nobanaのミード醸造では、蜂蜜をベースにしながら、山あいの果物(実はみかんなどの柑橘の名産地)も使いつつ様々なミードを造っていこうと考えています。使う蜂蜜は鹿児島県を中心に考えていますが、WAKAZEでのミード醸造の際に使わせていただいていた埼玉の花園養蜂場さんの蜂蜜は引き続き使わせていただく予定です。

また、いずれは原料生産にも着手できたらと思っています。nobanaの名前が示す通り、蜜源植物を自身で撒いたりすることによって養蜂を行えればより理想の形に近づくでしょう。

その際には耕作放棄地などを有効活用したいと考えています。これも移住して感じたことですが、特に中山間地域の高齢化と耕作放棄地の増加がとてつもない勢いで進んでいます。

実際に特に中山間地域においては平野部と違って耕作コストも高いし、高齢化が進めば畑も荒れ果てていくのは当然のことです。しかし養蜂は野菜などの栽培に比べて栽培コストが低く、むしろ耕作放棄地の改善には向いているのではないかと考えています。

地域でお酒を造る上でどういったことができるのか。むしろ造ってからでないと分からないことも沢山あると思うのですが、地方創生的な文脈においても何かしらできたらと思っています。

最後に

移住して感じたことですが、鹿児島には沢山の魅力があります。それが少しでも伝わるようなミードになればよいですし、ヨソモノなりの、若者なりの、自分なりの視点で価値を発見していきたいと思っています。

お酒ができるのももう少し先の話になってしまいますが、nobanaをどうぞよろしくお願いします。

戸田

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