ミッキーの顔
PCの整理をしていたら、お蔵入りにしていたコラムが見つかったので、ここに供養したいと思います。
時は平成の終わり、ディズニーランドにいるミッキーマウスの着ぐるみの顔が変わるというニュースとそれに対する反応を見ながら書いたものでした。
ディズニーランド、普段はそんなに興味がないのだけれど、いざ閉園中で行くことが出来ないとなると無性に行きたくなるのはなんなのでしょう。何も考えずにポップコーンでも食べたい。
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ミッキーの顔が変わった。ツイッターのタイムラインにその新しい顔が流れてきた時、「SNOWで盛ったみたいだな。」と思った。
ディズニーランドに行くのはせいぜい年に3回くらいのペースだけれど、その度にミッキーにはお目にかかっていた。
誰もが笑顔になれる明るい音楽、きらびやかな装飾のパレードカーに乗って現れる彼はいつも誰よりも場の中心に居て、恋人のミニーと手を取り合って笑顔で手を振ってくれる。クラスにいたとしたら絶対に一軍で、話しかけるのもはばかられるくらい眩しいけれどきっと誰が話しかけたとしても優しく面白おかしく返してくれるのだと思う。部活はサッカー部かテニス部で、エースを張っているに違いない。
季節やイベント毎に新規衣装が用意されるミッキーだが、いつも必ず、矢鱈と好印象な衣装を割り当てられている。パレードカーに乗るミッキーと目があった(気がした)時、私は「嵐みたいだ」と思った。そういえばミッキーはいつも、嵐がコンサートで着ていそうな服を着ているのだ。確かにミッキーは、大野君っぽくも相葉君っぽくも櫻井君っぽくも二宮君っぽくも松潤っぽくもある。
要は、ディズニーランドで会える実物のミッキーは、わたしたちにとっておおむね“かっこいい彼”だったのだ。
ところが、今回披露された”新しい顔“は前述した通り、とても可愛らしく明るい印象になっている。まさに今までの、ほとんど「嵐」のようなかっこいいミッキーをSNOWアプリで盛ったような顔立ちである。
これはあくまで憶測だが、近年のディズニーリゾートの動きをみていると、「ストームライダー」や「スタージェット」などパークオリジナルの世界観を持ったアトラクションが徐々にクローズされ、代わりに「ニモ&フレンズ・シーライダー」や「トイ・ストーリーマニア」などすでにアニメ映画で人気を誇っているキャラクターを使ったアトラクションを次々にオープンさせている。こういったことからも、来場者が受ける印象をより”ディズニー映画の中に迷い込んだみたい”にしていきたいという意図が感じられる。
家族で見たあの映画の中の、大好きなキャラクターたちが住んでいる世界に実際に入ることができる。その感覚を強めていくのなら、ミッキーの新しい顔がよりアニメっぽいということにも合点が行く。
かわいくて、親しみやすい、アニメ映画の中からぽんと飛び出して来たばかりのようなミッキー。
これまでミッキーに「かっこよさ」を求めてきた多くの人にとって、新しい顔は違和感を覚えるものかもしれないが、ルックスを決定づける時大事なのは「どの方角に向かって好印象であるか」というところなのだと思う。
それは身近なところだと女子のメイクや整形にも言えることで、ルックスはいつも”誰ウケ”を狙うかで方向性が定まっていく。同性ウケを狙う人、異性ウケを狙う人、はたまた自分自身にウケなきゃ他の誰に愛されても意味がないという人だっている。
美肌アプリで一番盛れるメイクは実際に見たら濃すぎたりするし、至近距離でもナチュラルに見えるデート用メイクで出かけた日は彼氏ウケ完璧でも写メが最悪に盛れてなかったりもする。綺麗事ではなく事実としてあまりにも正解がないことだからこそ、ミッキーの新しいルックスが見据えるターゲットからあぶれた人たちは嘆いてしまうのだ。自分は今のままが好きなのに、どうして変えちゃうの?と。
しかしこの、「私は今のあなたが好きだからそれでいいじゃん」というごく狭い価値観の中での全肯定感情が、この容姿について確固たる正解のない世界で何とか自己否定をしないで生きて行くための、なによりのヒントなのだとも思う。
もちろんミッキーは、世界中の人に同時並行で夢を与え続けるスーパースターで、誰か一人が「今のままでいい」と言ったところで顔を変えるのを思いとどまることなどないだろう。今まで好きになってくれた人たちをなるべく振り落とさずに、新しくたくさんの人に好きになってもらうことが彼の使命であり、願いだ。
だけれどそういう使命を負っていない限りは、漠然とした「こうすればたくさんの人に愛される」という指針よりも、誰かひとりでも今の自分を愛してくれているならまあいいか、と思えるような図太さがきっと必要なのだ。ミッキーだってきっと、職業がスーパースターじゃなかったら誰か一人の想いに応えてそのまま顔を変えなかったかもしれない。誰かから与えられる「そのままで好きだよ」という想いは、本来そのくらい大きくて尊いものなのだと思う。
今までの顔を愛したミッキーファンの祈りはそのまま、本当の愛の形の一つなのかもしれなかった。この平成の終わり、ディズニーランドにて、愛するひとの今までを肯定するがゆえの切なさと無念が、今までの顔と新しい顔との上に同時に降り注ぐ。変化というのはいつも、過去と未来の愛のあり方を浮き彫りにするものだ。
そして、愛され続けるために、或いはさらにたくさんの人に愛されるために変わり続けるという選択もまた、いじらしく可愛らしいものだと思う。
もっと愛してもらいたい、という願いを口にするのは誰にとってもきっと少しは恥ずかしい。だからきっと、勝手にこっそり少しずつ見た目を変えたりしては発信するのだ。「愛されたい」と、声なき声で。
そもそもミッキーの顔は全世界で徐々に変わってきていたものだから仕方ない、というド正論も一旦置いておいて、きっとこの変化だってミッキーという存在がより愛され続けて行くようにという願いの先に生まれたものに違いない、と私は解釈する。
そうしてずっとスーパースターで居続けてくれるミッキーは、やっぱり可愛いお顔に変わったって存在がかっこいいのだ。きっとこれからも嵐のコンサート衣装みたいな洋服を着て全てのひとに平等にさわやかに手を振り続けてくれる。新しい手袋で、新しい出会いの数々を大切に包み込みながら。
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