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燃ゆる女の肖像を見た

信じられないほど寒い、と感じるくらいがちょうど良い、と思った。
帰り道。今年人と会うのは今日が最後だと思う。そりゃそうか。大事なものは本当のところあんまりたくさんはないけれど、そうでもないような気がしてしまいながら生きている。生き延びてしまうということは、つまりこういうことで、だらだらと続きはしなかったものばかり、鮮烈に焼きついている。そういう悲しい性をどうしても認めてしまいたくはなくて、ずうっと続くことばかりがいいものだ、と、そう思える理由を繰り返し放った。だけれど言葉は言葉以上のものになるにはまだ足りず、いえきっと永遠に足りず、いつも願望は、ただの言葉になっただけでまるで叶ったような面をして終わる。書き留めておかなければきっと未来のわたしはそのことを忘れてしまうけれど、書き留めてさえおけばいいという話でもないものよ。それは嬉しいことばかりとは限らないのだから。そう音楽のように脳が喋りながら、ちょっと信じられないほど寒い夜道をゆく。線路ぎわを歩いている時が、もっとも人生の長さを感じる。普通の線路はいいよねえ、はじめから一定間隔で駅が置かれていて、そしてそこがほとんどの時間ぴかぴかと光っているのだもの。だけれどこちらときたら、どう路線を辿って行ったらどこに到着するものなのか、ずっと教えられてこなかった。ただ、この道をいくんだよ、としか言われなかったから、そのまま生きていたら、いつの間にか他の道があったことさえ分からなくなってしまった。「燃ゆる女の肖像」という映画を見た。ぎりぎりで駆け込んだBunkamura ル・シネマは満員の人であふれていて、途中人がずり落ちたような音や咳き込む時の音、ペットボトルキャップの開閉音が鳴り響いているのがまざまざと解るほど、映画は静かだった。そのかわりに、スクリーンのこちら側でどんなふうに雑音がなっていても忘れてしまうほど、登場人物たちの表情は音楽のように胸に鳴り響いた。りんりんと、愛の音がする。そうだ、愛の音は金色の鐘の音だったと思いませんか。それを、確認する前から言っている人のことは皆好きになった。そういうはるかな愛を思い起こすように、わたしの眼には映画の中の女たちがちかちかと瞬く金色の星に抗えずに駆けて行くしかない様が映っては、そして眼球をすべり終わっていなくなってしまった。

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