見出し画像

#日刊よくできました 18

【映画を見て美術館に行く】


 朝から見たかった映画があったのだけれど間に合わず、死にたい気持ちで街を彷徨い歩くことになった。あと一駅で最寄り駅というところまでは、少し遅刻して走ったりはしたものの、当社比では順調なほうだった。一つ前の駅までは精神がすっきりとしていたのに、一瞬虚無に入ったらもう目的地の次の駅だった。今から戻っても間に合わないので適当なところで乗り換えてとりあえず栄えている街へ行く。なんとなくずっと何かに急かされているように、早足で歩く。横断歩道をわたる途中、行儀よく並んでいるいろいろな形の車に太陽光が反射して光に満ちる一瞬がある。こういう時にすぐに取り出して写真が撮れるようにいつもポケットにインスタントカメラを入れておくべきだ、と思いながら、横断歩道の真ん中で立ち止まってしまうことはせずにちゃんと通過する理性が残っている。大学1年くらいの頃、深夜に自転車で徘徊をしては撮るべき光を探していて、見つけ次第必ずカメラにおさめようという気持ちだけで動いていたら、交番に連れて行かれたことがある。あまり記憶はないけれど、横断歩道の真ん中でカメラを構えて座っているところを見つけられたそうだ。今はもうかなりまともなので、ちゃんと道路だって渡り切って、映画を借りにいこうか本屋に行こうか考える。結果まだまだ家に読んでいない本があるくせに新しい本を買った。そこら一帯で一番高いビルの屋上にのぼって読む。日差しは暖かく、座っているだけで眠くなる。気がついたら眠ってしまっていて、時計を見るともう待ち合わせの時間が近づいていたので、急いで駅へ向かった。

小走りで飛び乗った電車に乗って清澄白河へ到着し、飯田さんと合流して東京都現代美術館で石岡瑛子展を見た。広告の仕事から映画美術・衣装デザイン、オリンピックのコスチュームデザインまで、濃密な仕事の数々がとてつもない量、並んでいる。私はというものの、小説「野生時代」のアートワークに胸を射抜かれてしまってからは、ずっとマスクの中で口をあんぐりと開けたまま見続けるはめになった。唖然、という言葉はこういう時に使うのだろう。仕事一つ一つのクオリティの高さと感度の良さと大胆に添えられる反骨精神、それら全ての圧倒的な存在感。人間が一生にできる仕事の量を、あまりに超えすぎているように感じ、途中からはもう驚くことにも疲れてしまった。近代だから人間のアートディレクターとして扱われているけれど、時代が時代なら神の類として人々に見られていたと思う、そのくらい、凄まじい仕事ぶりだった。特に印象に残ったのが三島由紀夫を描いた映画「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ 」の舞台美術の大胆で鮮烈なデザインと、ビョーク「コクーン」のMusic Video。山ほどの衣装展示のなかで、女という肉体に生まれた生き物の、元来の欲望のようなものが透けて見えるデザインを幾度も見かけたような気がする。燃えるような向上心と、大衆の心を掴む的確さ。ポスターも、装丁も、衣装も、ひとめ見ると脳から「目を離すな」という信号が送られたかのように、瞳孔のぐっ、とひらく感覚が確かにあり、そのままより深くまで見つめようとさせられる。見るべきものというのは、決して自分の意思では選べず、デザインに選ばされているのだな、と気が付く。見なければならない何か、を意図して作ることができる人に、時代は抗えないだろう。

 到底真似できない濃度の生き様に、比べて落ち込むことさえもできない。見ることができてよかった。

 展示内容とそのボリュームにカロリーをすっかり吸い取られてふらふらになった私たちは同美術館内のカフェに行き、各々ご飯をしっかり食べた。見始める前は全然おなかが空いていなかったのに、終わった頃には今にも鳴り出しそうなほど空腹だった。夕暮れ時のMOTは美しい。昼間もずっと美しいけれど。地下のレストランにも大きな窓があって、水鏡に映る夕景が見えた。私たちは撮りたい像の話をした。食後に食べた固めのプリンがあっさりしているのに満足感があって、とてもおいしかった。

ありがとうございます!助かります!