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ブランニューオペレッタ





Cape jasmine」10/7 18:30-の公演を観劇しました。iphoneのメモからそのまま忘れないうちに張り付けてここに置いておきます。



  声を出して笑わないよう注意することにも慣れた日々の中で「むふっ」と変な声が漏れるほど笑い、キャストひとりひとりの存在の破壊的面白可愛さに幸福を貰い、あんなに楽しかったのに気付いたら泣いていて、終演後もずっとラストのシーンの地続きに続く暗く淡いセピア色の帰り道に涙が出ました。
  最後寄りかかりあっていたふたつの後ろ姿は私の中に確かに元から居たふたりの姿で、こんなところにどうして私の生きづらさが、スポットライトを浴びて哀しく美しく寄り添い会うのだろう、と涙がどうしても止まらなかった。

  どうして芸術をするのだろう。いつか確かに見えない何かと約束をしてしまったから、そのためにと駆り立てられてゆくけれど、そんなことは私以外のだれにも関係がなく、私はやたらと尺を取る壮大で稚拙な妄想の中をひとり延々と狼狽えているのと変わりないだろう。私はこの騒がしい脳に膨大な時間を消費されている。毎日何時間も、部屋の片付けも洗濯もAmazonのダンボールをたたむことさえいつまでも出来ない程ずっと消費されている。脳に生活を牛耳られている、芸術に触れた日のあの光の見え方にずっと牛耳られている。       
  壮大でマクロで唐突で且つ腑に落ちすぎるメタ構造に導かれたどり着いた世にも美しいラストに、知りたかったほんの些細な本当のことがあった。私はこれが見たかった、毎日たかが自分の脳の五月蝿さに他人を付き合わせて本当に申し訳ないな、と泣いてばかりいるから、今夜たった3度だけのこの新作演劇の千秋楽に立ち会えてどれほど助かったか言葉にならないから、行こう、ずっと行こう、と思った。Cape Jasmineに関わったすべての皆さんに頭を下げてお礼が言いたいけれどそれよりもずっと、行こう、私と私の芸術との関係を、証拠も何も残らない、目の前で起こったということだけが分かる、見たことは覚えているけれどここで見たものはいつか忘れてしまうかもしれない、だからこそ美しい何かの中に、確かに見たのだから行こう、芸術と共に生きざるを得ない哀れな人生へ一輪の花くらいの真実を手向けながら。それはずっと救い救われ合うようなやさしいことだよ。とわざと言葉にするように。そういう、あるく速度のような納得の仕方で微笑むように、泣きながら、そう思いました。イヤフォンの中の曲が終わるまでは家のドアを開けない理由があった、そういう日々の全てが今日も接続されて光ります。芸術によってしか可能にならないタイムリープ。ずっと美しいものをありがとうございました。ずっと胸の中で。

ありがとうございます!助かります!