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ひりひりするんだ

 1日でも早く新しい季節に足を踏み入れたくて、ミュールをおろした。鮮やかな青色をベースに赤・緑・黄色のタータンチェックがパッチワークされていて、つまさきはつんと尖っている。いつも着ている色を全部混ぜたみたいな服がすきで、買うものは年々派手になり、クローゼットはそれだけで大竹伸朗のコラージュ画のように騒がしく存在している。濁っていない鮮やかな色を着ていると、心がしゃきんとする。顔でも体型でもなく、魂の方に似合えばいいのだ、服も、季節も。そう思うとぐんと楽になる。本当は暦の数字には関係がなかったのかもしれない。春の日差しに、春の日差し、と名付ける前に心だけ戻って、それから、池を泳ぐ鴨たちのたしかに泳いだ痕跡のかたちに打ち揺れる、光としか言いようのない光に、今日の自分の眼差しが似合っていることをただ祝福する。半袖に薄いジャケットを羽織っただけではまだ寒い。だけれど世界がまぶしく、胸をすくような新しく懐かしい音楽が大きな音でわたしの耳の中にだけ流れ、風が吹くと、ずっと歩いていけるような気がする。そうしてほんとうに二時間でも三時間でも歩く。アルコールで滅菌されることのないこの地表に吹き付ける風が、ゴミも塵も埃も含んだままいちばんまともだった。1秒ごとに世界は変わる。そこを解体すると1秒の中にももっと細かい一瞬がやまほど含まれていて、一瞬という言葉は、精神世界の上ではもっとも永遠に近いとされているのだった。永遠みたいに波打っていくあの水面のひかりを、あんなに綺麗だと知らないままで泳いでいく鴨が、きみかもしれない。そうして私たちは自分以外の存在に眩しい思いをさせられるのだ。この眩しさを、ある文化圏の中では、春、という。


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