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身体性という言葉

さっきある人のブログ読んでいたら、

今日の満月の時刻が書かれていて、ふとスマホをみやったら17:58

ピッタリと月が満ちる時間だったので、なんだか身体がそわっとして、目を瞑ってすわってみた。

わたしは26歳でトレーニングを受けてから、間のブランクを除けば10年ほどヨガの講師業をしてきました。

この今ではすっかり馴染みの「ヨガ」というものにも、3年ほど前から取り組んでいる舞のお稽古も、

アート関係の出身ということもあるのでしょうか

「雰囲気」や「触感」「感覚」といった動物的な感性で経験してきているなぁと感じたので、一度言語化することを試みています。

ヨガには先人達が得てきたさまざまな智恵、彼らが実体験を通じた身体と心へのアプローチ方法がたくさんあるのですが、直属のグル(師)を持たないわたしにとっては、

それらを知識として得たあとは、(知識としても学ぶに限りないもので、これはギヤーナヨガと呼ばれますが今のところそこには取り組んでいません)

普段の社会生活のなかで接しているモノ、コト、ヒト全てがグルとなってくれているのです。

タイトルにした「身体性」という言葉をはじめて意識したのは、美術大の学生のころでした。

一度観にいって衝撃を受けた、コンテンポラリーダンスのカンパニー代表者が語っていた言葉に「現代人には身体性が欠如している。」というようなことがありました。詳細を記憶していないのですが、それゆえ世界中で争いが無くならないことや、不調和をもたらしているというような意図で仰られていたと思います。

当時その舞台上の照明と音楽とオブジェという背景の中で踊り、声を発し、見たこともないような空気をつくり出すダンサーの姿とあいまって、強く印象にのこったのでした。


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