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都庁を辞めて失ったたくさんのものとたった1つの得たもの


はじめに

こんにちは、もっちゃんです!

この記事では、僕が都庁を辞めて失ったもの3つとたった1つの得たものについて話していきたいと思います。

このまま公務員として、働き続けていていいのかわからない。

という方は、実体験をもとにお話しするのでとても参考になると思います!ぜひ最後まで読んでみてください。

軽く自己紹介

改めて、こんにちは!もっちゃんです!

都庁を2年で退職し、SNSマーケティングを中心にフリーランスとして活動しています。

また、自分自身でも、フォロワー7万9千人(2024年 7月26日現在)のアカウントを運用しています。

インスタから集客してオンラインで日本語のレッスンを行ったり、動画教材や書籍を販売しています。


スペインの方とレッスンの様子

最高評価をいただいた動画教材

出版した書籍



また、インスタグラムを通した事業構築のサポートを行っています。

では、自己紹介はこれくらいにして早速本題に移りましょう!

都庁を辞めて失ったもの3つ

僕が都庁に就職したのはもう3年前のこと。それから1年と8ヶ月勤務した後、年度途中で退職し、さまざまな紆余曲折があって都庁を退職しました。

都庁を辞めた理由はこちらの記事に書いています。

それからはフルコミッションで働いています。つまり、固定給なし、という状態で7ヶ月。なんとか暮らしています笑

都庁を辞めた7ヶ月前、僕が失ったものを数えると本当にキリがない。なので、主要な三つのものを紹介します。

まず、失ったのは家。

僕は実を言うと、新宿の本庁舎ではなく、都内の事業所でもなく、伊豆大島の事業所に赴任していました。(都庁職員は一定数島に派遣されるんですね)

なので、島に新卒が自分で探して住める家もないわけですから、社宅、のようなものに入れてもらいました。

その社宅が本当に広かった笑。さすが都庁という感じですね。1LDKで無料の駐車場付き、しかも家賃が都内の通常の物件の10分の1という具合で、友人全員に「ずるすぎる」と言われましたね。

だけど、当然都庁を辞めるとなったら、当然その家をでないといけない。同時に島も出ないといけないということで、僕は都内のワンルームのボロボロの賃貸に引っ越すことに。

それなのに家賃は10倍以上になりました。すごい転落ぶり笑

防音も全然ダメで上の階、隣の部屋の音がバンバン聞こえてきて、それが深夜まで続くの「どうなるんだ、これから」って毎晩不安になりながら敷布団の上でぐるぐる考えてました。

仕事

次に失ったのは、当然ですが「仕事」です。

朝目覚めても、特に「やらなくてはいけないこと」が一つもないわけですね。これって皆さん羨ましいって思うかもしれませんが、結構きついです。

今までは、目覚めたら自動的に行くべき場所があって、やるべき仕事がそこにある。という状態。特に迷わなくたっていいわけですよね。

だけどそれが全くない。何かをしなければならない。体と頭だけはぐるぐる回っているんだけど現実、「やらなくちゃならないこと」が目の前に一つも用意されていない。

「どうするんだよ!」

って一人で焦ってましたね。だけど、僕はバイトとかクラウドソーシングで仕事を請負うということはしたくなかった。それって公務員の時と同じ働き方になってしまいますからね。

自分で仕事を生み出して、売り上げを立てる。

仕事を失った僕は、新しい仕事を探すんじゃなくて(それだと失った意味がないです)新しい仕事を生み出すために日々行動し、悶々とし、というような日々が続きました。

貯金は減っていく一方。初月、そして2ヶ月目は本当に精神的に厳しかったですね笑

まあそれは今も変わりませんが。

名刺

そして3つ目に失ったものは名刺です。

つまり、「都庁に勤めている金本です」と名乗るための名刺です。

この「都庁に勤めている」の枕詞が使えなくなったということ。当然、物理的な名刺も意味をなさないものになりました。

だから、都庁を辞めてから、新しい人に会う時に「自分はこういうものです」って言えるものが一つも無いという状態。

だから都庁を辞めた当初は、「都庁を1週間前に辞めた金本です」と自己紹介していました笑

そうすると意外とみんな興味を持ってくれる。

しかし、当時の僕には、個人的に売上を立てている事業も、うまく回っている仕事も一つもなかった(インスタもやっていませんでした)わけですから、それ以上に深ぼられるとかなり厳しい状態でした。


都庁退職後、「何かをしなくては」という思いで震災直後の石川県にボランティアにいった

都庁を辞めて得たもの

ここまで読んでいくと

「失ったものばかりじゃないか」
「都庁を辞めるなんてバカだな」

と思う人もいるかもしれませんが、僕はさまざまなものを失ったとしても、それを補ってあまりある貴重なものを得たと思っています。

それは「決定権」です。

上記で失ったもの。すなわち、家、仕事、自分が何者か、全て失ったからこそ、今度は自分で作り上げていくしかなくなった。

全幅の決定権が手に入ったわけですね。これを僕は自由って呼んでいます。だから、自由というのはかなり重みのあるものだってわかっています。

決定するということは、その決定に責任を持つということ。

全てを失ったことで、初めて、誰かのせいにできない。一切の責任を自分で負わなくてはいけない状態になった。今までは親が僕の人生を決定したり、つるんでいる友人が決定したり、就職先の職場のルールが決定したりしていた。

そういうものが人生で初めて無くなりました。

ここに来て初めて、僕は自分の人生と1対1で向き合うことになったわけですね。

「失うこと」は能力のうち

人はいろんなものを所有したがります。

だけど、家も仕事も、肩書きも、お金も所有すればするほど「それを失ったときの不安」はどんどん大きくなる。

不安が大きいからフットワークもどんどん重くなってしまう。だけど、そうとは頭でわかっていても、なかなか手に入れたものを手放せないのは、勇気がないとか、そういう問題ではなくて、普通に「失うスキル」が未熟なだけだと思っています。

失う、というのは、僕はスキルの一つだと思っています。僕は7ヶ月前に、あえて自分で全てを失ってみたわけですね。そうすると、「これは失ってもいいもの」「これは失ってはいけないもの」というようになんとなく分別がつくようになってきた。

そもそも、今持っているものを失うことをしないと、新しいものは多分ずっと入ってこない。

失うことを恐れて持ち物だけがどんどん増えると、人生の新陳代謝がどんどん悪くなって、 いつか不調を起こします。人間の体とおんなじです。

まとめ

都庁を辞めて、今日紹介した以外にもたくさんのものを失いました。

それをみて「バカだなお前」とか「かわいそうだね」とか言ってくる人もいます。

しかし、失ってみることで、得られたのは「失う能力」です。これは本当に大事な能力だと思っています。

あまりにも多くのものを所有しすぎて、動きが取れなくなっている人もこれを読んでいる人の中でもしかしたらいるかもしれない。

それはあなたが悪いんじゃなくて、これまでそういう練習をしてこなかったからというだけの話です。

だから、一回試しに失ってみればいいと思います。もちろん、リスクのない範囲で。

ではまた!


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