まだある東京五輪の「負の遺産」~さまよえる都庁マンパワー問題~

 いったい東京五輪とは何だったのでしょうか。組織委員会がまとめた報告書も開催都市のトップである小池知事も、成功、成功と、○○のひとつ覚えのように繰り返すばかりですが、都民・国民は「大本営発表」を聞かされている気分です。 

 おまけに、東京都も国も組織委も、無観客になったお陰で経費節減につながり開催経費を1.4兆円に抑えることができたとドヤ顔で発表するあり様。しかし、そもそもこの数字は招致時の2倍、コロナ前の試算(2019年12月時点)と比較しても1千億円増なのですから、自慢できる内容ではありません。当事者ではなく、第三者による客観的な検証が行われなければ、到底、納得できません。

 莫大な開催経費とともに、東京五輪の「負の遺産」といえば、東京都が新設した6つのスポーツ施設の今後が気がかりです。黒字が見込めるのは1施設だけで、全体では毎年7億3千万円の赤字をたれ流すという試算も出ています。つまり、東京五輪はまだ終わってはいないということです。お金と箱モノの後始末は、中長期にわたって都政に影響を与え続けるのはまず間違いないでしょう。

 、、、と、ここまでは大手メディアが既に伝えている事柄ですが、もうひとつ、都庁職員にとって看過できない「負の遺産」があります。組織委に派遣されていた都庁職員の処遇問題です。最盛期には千人を優に超える職員が組織委に派遣され、国や民間企業、他の自治体からの社員・職員と仕事をしていました。職層も一般職員から管理職まで様々です。通常の異動によって派遣される者もいれば、自ら希望して(庁内公募制を活用して)組織委に乗り込んだ者もいます。

 ただ、様々な出自を持つスタッフからなる混成部隊ゆえ、組織風土の違いや業務の進め方・意思決定のやり方の違いに悩まされた職員も多かったようです。あまり言いたくはありませんが、民間の場合はあくまで短期のお手伝い感覚、国は相変わらずの上から目線、結局、実務を担う都庁職員に負荷がかかってしまうケースが多く、中には激務や上司からのパワハラでメンタルになり、休職を余儀なくされた職員も少なからずいました。また、派遣期間は長期間化する傾向にあって、私の知る限り、派遣が5年に及んだ管理職もいます。こうなるともう浦島太郎です。

 開催1年延期とコロナ禍という異常事態の中、任務を全うした彼らの都庁への帰還が始まっています。ところが、意気揚々の凱旋とはいきません。本来なら、国家的な一大プロジェクトに携わった彼らに、ご苦労様の意味も込めて希望する異動先を用意すべきところですが、今、都庁はそれどころではないからです。

 コロナ対策のため、毎週のように局をまたいだ異動内示が発令されており、当然、組織委派遣組もこの渦に巻き込まれます。直接、保健所や大規模接種会場、療養施設のホテルに回されないにしても、異動希望は叶わず、未経験の部署に行かされることも覚悟しなければなりません。問題はモチベーションの維持です。各自のキャリア・パスとは無関係に仕事があてがわれる状態は、本人にとっても組織にとっても決して良いことではありません。マンパワーの劣化さえ心配されるのです。

 こうした組織委派遣組のたらい回しは、大げさかも知れませんが、どこか太平洋戦争中の中国戦線から南洋戦線に転戦させられる一兵卒のようにも感じてしまいます。いったい東京五輪とは何だったのか。安易な結論を出して幕引きを図るべきではありません。都庁へのインパクトも含めて、時間をかけて総合的な評価を導き出し、後世に引き継ぐ必要があると思います。

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